暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

都筑民家園の月釜  利休忌

2011年03月28日 | 茶会・香席
今日は利休忌です。

25日に都筑民家園(横浜市都筑区)の月釜へ出かけてみました。
大震災から2週間経っていますが、電車に乗って初めての遠出です。
同行のIさんも同様でした。
「とても外出する気分になれなかったけれど
 貴女から誘われて、やっとその気になれました・・・」

都筑民家園は、横浜市営地下鉄「センター北」駅から徒歩約10分、
「大塚・歳勝土(さいかちど)遺跡公園」の中にあります。
江戸時代の民家「旧長沢家」を移築し、管理棟、庭などで構成されています。
旧長沢家の隣りに月釜が行われている茶室(輪亭と鶴雲菴)がありました。
昨年10月のアート茶会に続いて二回目の訪問です。

                
                
                
広間の輪亭が待合になっていて、客(予約制)は七名でした。
床には、辛卯弥生の月釜を象徴するように
「無事」 紫野 太玄和尚筆の軸が掛けられていました。
半東さんの案内により広間から庭をまわって
蹲をつかい、小間の鶴雲菴へ席入りしました。

鶴雲菴は三畳台目出炉ですが、京畳のせいか広く感じられました。
昨年五月に席披きをしたばかりで、明るく心地よい茶席です。
すぐにお菓子が出され、まもなく濃茶点前が始まりました。

席主は裏千家流の男の方で、
「今日は利休忌の設えでございますが、同時に
 東北関東大震災で亡くなられた方々のご冥福を願って釜を掛けました」
とのことでした。
床には、次のような俳句が書かれた軸が掛けられていました。
「とらや-とらや-
   無限次元の
     夜が明けて」
    
「とらや-とらや-」は陀羅尼経のお経だそうです。
経筒に白い桃の花が入れられていました。心の中で合掌。

                

しずかに濃茶点前が進んで行き、松風だけが吹き渡っています。
濃茶への期待感が膨らんでいきました。
たっぷりと頂戴したお茶の熱く美味しかったこと!
同席の皆様も同じ思いだったようで、お心こもるお茶を頂戴して、
このような時間を持てることに感謝でした。
続いて、干菓子が出され、薄茶も頂戴しました。

ご亭主と半東さんの息がぴったりで、お二人で全てをこなしていらっしゃるのに
感心したり、参考になったりしました。
お二人のお茶へ向かう真摯な姿勢やおだやかな人柄が垣間みられ、
「また月釜へ伺いたいわね」
とIさんと話しています。

都筑民家園の月釜はHPの茶室行事予定をご覧ください。

                           

   写真は上から、「矢指谷戸の菜の花畑(横浜市旭区)」
             「大塚・歳勝土遺跡公園」
             「都筑民家園の鶴雲菴」
             「弘法大師坐像」



大震災後の稽古  仙遊之式

2011年03月26日 | 七事式&いちねん会
東北関東大震災の後、やっと稽古が再開され、花月之式でした。
二月の花月の稽古以来なので、みんなで無事の再会を喜び合いました。
科目は、仙遊之式、香付花月、四帖半花月です。

床には七事式げじゅ(長谷川寛州筆)が掛けられ、
桜川の透木釜、徒然棚、棚の中には芽張り柳の棗、タケノコの蓋置、
先生心づくしの春爛漫の設えで、気持ちが久しぶりに浮き立ちます。

早速、仙遊之式から始まり、私は一の札を引き、正客でした。
半東が花台を運びだし、廻り花です。
私(正客)は、伊予水木とフキノトウを青磁の花入れに入れました。
半東が伊予水木とピンクの椿を入れたところで
「どうぞお水を」と声をかけました。

                

花、炭、香、濃茶、薄茶と進みますが、
何度やってもわかりにくい(わかっていない)のが
濃茶から薄茶への流れ、それから仕舞つけから退席です。
そこを中心に想い出しながら書き記してみました。

東が濃茶を点てて茶碗を定座へ出すと、すぐに中仕舞をして
東の席へ戻ります。
正客は茶碗を取り込み、総礼をして濃茶を頂きます。
半東が飲み終えると、正客より
「茶碗の拝見を」がかかり、半東は茶碗を正客へ持っていきます。
三客まで拝見したら三客は茶碗を縁内に預かります。

その間に東は点前座に戻り、中仕舞を解きます。
水を一杓釜へ汲んでから東は客付へ廻って
「薄茶は花月で」と挨拶します。
東は居前に戻り帛紗を腰に付けますが、同時に客も帛紗を出し腰に付けます。
帛紗を付けてから三客は茶碗を定座に返します。
東は茶碗を取り込み、総礼。

茶碗へ湯を入れ、茶碗をまわしてゆすぎ、
湯を建水に捨て、茶碗を少し前について置きます。
総礼後すぐに半東は水屋へ入り、折据を乗せた干菓子盆を正客へ運び出します。

東、半東、干菓子器を持った正客と客、一同同時に立ち、
四畳半へ入ります。
半東は前から仮座へ、亭主は後ろを廻って四客へ。
半東より「どうぞ折据のおまわしを」。

                

折据に続いて干菓子器がまわされ、折据は半東があずかり、
干菓子器を正客へ戻し、一緒にお菓子を頂きます。
同時に札を見て、花のみ名乗り、折据を戻し、花は替え札を取り、
折据がおさまってから点前座へ進みます。

薄茶は三服点てです。
三服目の茶を飲んだ月は茶碗を縁外へ預かり、
折据(すみかけ)が正客へ戻るのを待ちます。
正客は干菓子器へ折据を乗せ、最初の正客へ送っておきます。
ここで月は定座に茶碗を返します。
仕舞い花が茶碗を取り込み、総礼。

最初の正客は干菓子器を持ち、客一同、元の自席へ戻ります(蜘蛛の子散し)。
仕舞い花は仕舞いつけ、道具を拝見に出します。
柄杓、蓋置を棚に飾り、建水を持って下がり、敷き合わせに置き、
自席へ戻ります。
その間に、客は拝見をし、三客は拝見物をあずかっておきます。

半東は建水、続いて茶碗を引きます。
水次を持ち出し、水指に水を注ぎ、水屋へ戻ります。
三客は拝見物を定座へ返し、正客は干菓子器の正面を正しておきます。
東は干菓子器を、半東は拝見物を同時に取りに行き、総礼。

東が一足先へ水屋へ入り、半東が続きます。
東、半東で送り礼をし、東、半東の順で水屋へ下がり、互礼します。
客は帛紗を懐中し、正客より順に退席し、水屋で互礼します。

                

書き出してみて、だいぶ流れや動作が鮮明になってきました。
(あともう一息なんだけれどなぁ・・・ふぅ~!)

仙遊之式をすらすらできるようになりたいと夢見ていますが
それには回数と同好の士が必要ですよね。
七事式をご一緒に勉強してくださる方がいらっしゃると嬉しいです。
是非お問い合せくださいませ! 

                     


茶籠  茶碗の仕覆

2011年03月23日 | 茶道具
茶籠に入れる茶碗(豊楽焼)の仕覆がやっと出来上がりました。
東北関東大震災の前日のことでした。

仕覆を三つ作ってみたところで(初めての仕覆づくり茶入の仕覆
仕覆づくりは裂(きれ)との出会いが重要だとわかりました。
これといった裂の持ち合わせがないので、古布屋さんで購入した
白と緑の絣が入っている着物の裂(つむぎ)で作りました。
裏地は絹で滑りの良いものが好いそうで、
最初に使った裏地は針が通りにくい堅いものでした。

「その裏地は縫うのが大変なので、これを使ってみてください」
先生が奥から取り出してきた裂は、江戸時代の武士が着用していた
裃の下に着る着物の、さらに下に着る着物(二枚重ね?)でした。

表地と同じ色合いですが、時代を経てとても薄い裂です。
すいすいと縫えて(・・といっても縫うところは少ないのですが)
最初の布とは進み具合が違います。
紐の色は絣模様の緑に合わせて、組紐で編みました。

                  

つがりに紐を通して仕上げた頃に、お客さんが見えました。
以前、仕覆教室へ習いに来てらしたというF氏です。
骨董が趣味で、今は酒杯に夢中なご様子で、
先生に注文した仕覆を取りにみえたのでした。

傍らから拝見していると、中身の酒杯は見えませんが、
それぞれの酒杯に合せて素敵な仕覆をまとっています。
趣味で集めた裂を持込みで依頼されたそうです

一つはインド更紗で、とても手に入らないような更紗とのことでした。
もう一つは苺緞子のような裂地でした。
F氏は月に一回、地方の出張先から東京へ出ていらして
好きな骨董と裂地を骨董市で探すのを楽しみにしているようです。

さて、私は次の仕覆に取り掛かっています。
豊楽焼の振り出しは編み袋の仕覆にしようと、
そのための糸を二十本、ミツクリという道具を使って撚っています。

一つ、また、一つ、茶籠の茶道具の仕覆が完成するのを愉しみに
少しずつ前へ進んでいます・・・たぶん。

                            

山には春も・・・

2011年03月21日 | 閑話休題
                  
               
今日は朝から雨が降っています。
一雨ごとに野辺の緑が色濃くなり、花も梅から桜へ変わり、
「花開万国春」の到来ですが、
楽しみしていた茶事や稽古が次々と中止や延期になりました。

4月2日に我が家で花の夕去りの茶事を予定していました。
御茶一服差し上げ、春宵一時を花を愛で語り合いながら
過ごしたいと思っていました。
・・・が、先週のうちに次のようなメールをお客様へ差し上げました。

                 
 
誠に残念でございますが、
4月2日の花の夕去りの茶事を中止させて頂きたく、お願い申し上げます。
ご案内の手紙も書き、投函するだけになっておりますが
電気、交通、食料品や日常品の入手など、当分、不測の事態が続くことと思います。

花の夕去りをとても楽しみにしておりましたので正直迷いましたが、
あまりにも懸念材料が多いので決断いたしました。
電力が安定供給され、安定した日常生活が取り戻せるようになったら
茶事を再開し、真っ先にお招きしたく存じますので、
何卒ご了解くださいませ。

この困難な時期を、力を合わせ、未来をみつめ、お茶の力を信じて、
乗り切りたいものです。
どうぞ、皆様もくれぐれもお体に気を付けてお過ごしください。
                                

                 

   花ちれる水のまにまにとめくれば
       山には春もなくなりにけり    
                         清原深養父 (古今集)
桜が咲くのはこれから・・・だというのに
「山には春もなくなりにけり」の心境ですが、
被災地や避難先で不自由な生活をされている方のことを考えて
元気を出さねば! ですね。

昨日も姫路に住む茶友からお見舞いの電話を頂き、
お茶事が出来ることが、普通の生活をおくることが
何とシアワセだったことか・・・と話し合っていました。
一日も早く、笑顔で会える日が来ますように。 
                   
                               

春を訪ねて・・・停電中

2011年03月19日 | ハイキング・ぶらり散歩
計画停電で3月15日から毎日3時間の停電が続いています。
初日の15日は19時から22時までだったので、
夕食は膳燭の灯りの元で食べました。
暖房は無しでしたが、ガスと水道が使えるので助かります。

17日は13時から16時まで停電だったので
春を訪ねて・・・約2時間の散歩へ出かけました。
目指す処は、矢指谷戸(やさしやと)(横浜市旭区)です。

途中で、金ヶ谷広町公園に寄ってみました。
ここの白梅は今がびっしり満開です。
梅と一緒に白やピンクの花モモが咲き始めていました。

公園に隣接した家に山茱萸(サンシュユ)の見事な大木があって
一面黄色い花に覆われていました。
この花を見ると「春が来た!」といつも嬉しくなります。
刈り込まれた土佐水木も黄色い花をつけ始めていました。

                
                

矢指谷戸の入り口にある「一里山の湧水」へ寄ってみました。
湧水と言っても井戸からポンプアップしているので、
湧水の流れは止まっていました。
一番近い湧水で、茶会などによく汲ませてもらっています。
お目当ては野菜直売所のフキノトウです。
売り切れていたので、近くの土手でフキノトウを5個摘んできました。

矢指谷戸は一部、横浜市・矢指追分市民の森になっています。
谷戸の田んぼにはホトケノザ、オオイヌノフグリ、カラスノエンドウが
小さな花をつけていました。
菜の花が満開でした。
むせ返るような濃密な花の香りがあたり一面に漂っています。

「菜の花を使うのは2月28日の利休居士の命日を過ぎてから」
と先輩から伺ったことを思い出したり、
こんなに香りが強い花を利休さんは好んだのかしら?
と思ったりしました。

                

梅や菜の花が咲いている谷戸ではジョギングしている人、絵を描いている人・・・
ここだけ見ると大震災やただ今停電中が嘘のようです。
お花もですが、ここは大好きな木五倍子(キブシ)の宝庫なのです。
山間なので遅めですが、花芽がだいぶ膨らんでいて
1週間くらいで黄色い花房が見られそうです。

たくさんの春に逢えて、好かった!
                          

   写真は上から、「サンシュユの大木と梅  金ケ谷広町公園」
             「ホトケノザ」 (季節の花300提供)
             「カラスノエンドウ」 (季節の花300提供)
             「菜の花畑」 (季節の花300提供)