暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

哲学の道の蛍

2014年05月30日 | 京暮らし 日常編
                        哲学の道

昨夜、蛍を見に哲学の道へ行きました。

3年間、蛍みたさに通っています。
最初の年(2012年)が一番たくさん見れましたが、
その年によって天候が微妙に違うので、同じ時期でも全く見れなかったり・・・。
昨年は6月10日頃に行くと、近所の方に
「今年は早かったようで、もう終わってるのとちがう?」
たしかに・・1匹も会うことなく帰りました。

今年は京都新聞に蛍の記事が出ていたので、
満を持して、5月28日に出かけました。
夜8時過ぎがピークだと思うので、7時30分に家を出ました。

             
                        近衛坂

哲学の道へは近衛坂を上って行くのが近道なのですが、
まだ明るいとはいえ、夕闇がすぐそこまで迫っています。
近道はお墓やお堂があり、この時間に抜けるのはちょっと怖いので、
神楽岡坂ルートを選び、真如堂の脇を通り、哲学の道へ急ぎました。

             
                        大豊神社

2年前に一番たくさん見れた場所、大豊神社の近くを目指すと、
1匹が明るく点滅しているのを発見!
昨年が空振りだったので、1匹でも見れて感激しました。
他の場所にもいるのですが、叢の奥だったりで、その光はひそやかでした。
こちらもじっと動かず、目をこらして待たないと見えてこないのです。

大豊神社の近くの場所へ戻り、そこでじっくり鑑賞することにして、
ひたすら飛翔を待ちました。
殿さま蛙(?)の貫録ある鳴き声をBGMに待つこと15分、
私たちの期待にみごと応えて、2匹が長く飛翔してくれました。
「ヤッター! ありがとう・・」
はかない光ですが、種の保存という力強いエネルギーを感じます。

今年も哲学の道の蛍に出逢えて
「夏がやってきた・・・」と実感しました。

             

翌日、ホットカーペットと炬燵を仕舞いたがらなかった主人が
率先して片づけ、障子や襖を簀戸(すど)に入れ替えてくれました(ホッ!)。
傾いている古家なので簀戸を入れるのに一苦労です。
やっと簀戸が入っても半分しか開かず、言うことを聞いてくれません。
それで茶道口は、たとえ習いにそむくとも、
スムースに開閉できる場所を選ぶことにしています。

畳や簀戸を拭き、気持よい汗を流して、夏座敷が出来上がりました。

             
                      平安神宮の花菖蒲

さて、蛍の次の楽しみは、平安神宮の花菖蒲真如堂の菩提樹の花
大豊神社の珍至梅(チンシバイ)かしら?

             
              真如堂と菩提樹

             
                  大好きな珍至梅  大豊神社にて

他にもお薦めがあったら教えてね!

                              


三宅八幡宮から圓通寺へ-2

2014年05月27日 | 京暮らし 日常編
                  比叡山を臨む  圓通寺にて
(つづき)
実相院から「岩倉具視幽棲旧居」を偶然見つけて寄りました。

            
            
                     岩倉具視幽棲旧居

旧居のガラス戸から庭を臨むと、○○貼り(?)の障子が美しくモダンです。
昭和3年に旧居の隣りに対岳文庫が建てられ、修理以前の旧居の写真や絵、
岩倉具視遺品や明治維新関連書類を展示収蔵しています。
対岳文庫の設計は、京都市庁舎本館を手掛けた武田五一氏です。

     
  田植えが終わったばかり            対岳文庫

            

そこから妙満寺(左京区岩倉幡枝町)を目指しました。
妙満寺には「雪月花」三名園の一つ、有名な「雪の庭」が現存しています。
この庭を見るのが今回の楽しみの一つでした。

庭に面した戸が開け放され、室内に座しながら「雪の庭」を眺めることができます。
雪も比叡山もありませんが、その昔、寺町二条に妙満寺があった頃の
比叡山を借景に雪積もる「雪の庭」を想像しました。


                    妙満寺 「雪の庭」

宝物館で妙満寺を創建した日什大正師(にちじゅうだいせいし)のことを知り、
その一生にびっくり仰天し、尊敬の念を抱きました。
日什上人は、もと天台宗の僧侶で、比叡山の学頭までなった人でしたが、
故郷の会津で日蓮上人の教えに触れ、惹かれながら学頭という立場もあり、
なかなか比叡山を離れることができませんでした。思いを貫き、
67歳という高齢にもかかわらず宗を改め、日蓮上人門下に入ったそうです。

68歳の時、日蓮上人の「帝都弘通」(都で教えを広める)の遺志を胸に
都へ上り、後円融天皇の「弘中弘法の綸旨」を賜わり、
康応元年(1389年)に妙満寺を建立、根本道場とします。
その後、兵火や移転を経て、昭和43年に現在の岩倉へ移転しました。
「雪の庭」は寺町二条にあった頃、松永貞徳(俳諧の祖)が妙満寺塔頭・成就院に
造営したもので、昭和43年の移転で、成就院より本坊の庭へ移築されました。

            
                      妙満寺門前の池にて

妙満寺から圓通寺へ徒歩15分位です。
20年以上前の夏、深泥池から山の中を通り、圓通寺へ来たことがありました。
だいぶ草木が伸びて、いつまで比叡山が見えることか・・・と、
感激と共に心配したことを覚えています。
もう一つ「白雲抱幽石」の軸が掛かっていて、雄大な比叡山の借景と
ぴったりはまって、今なお記憶に鮮明です。

            

雲一つない青空に比叡山が以前より見やすく、青々と聳えていました。
住職のご説明によると、
景観条例によりこの庭の景色が保護されることになったとか、ヨカッタ!
10名くらい見学者はいましたが、みんな思い思いの場所で静かに庭を山を
眺めています。私たちもゆっくり眺めていました。

            
                 (・・・ただ黙って座っていたい)

            

昔、登ってきた切り通しの道を下って深泥池(みぞろがいけ)へ出ました。
アオサギ、白鷺、菖蒲、ジュンサイ・・・
「昔はジュンサイを採って食べたりしたけれど、今はねぇ~。
 あそこの土手が切れている所へ行くと、採れるかも?」
と池の前に住んでいる方が教えてくれました。
行ってみると看板があり、深泥池では動植物を採ってはいけないそうです。
ジュンサイはともかく、景色が素晴らしく、鳥も花もいっぱいのパラダイスです。

            
                   (ジュンサイだと思う・・)

京都市内にこんなところがあったなんて・・・。      
                               

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三宅八幡から圓通寺へ-1

2014年05月25日 | 京暮らし 日常編
緑風に誘われて、外へ飛び出しました。

次のようなコースで、三宅八幡宮から最終目標地は圓通寺でした。

   京都バス(大原行)~三宅八幡宮~徒歩40分~実相院~徒歩3分~
   岩倉具視幽棲旧居~徒歩40分~妙満寺~徒歩15分~圓通寺~
   徒歩15分~深泥池~徒歩5分~深泥池バス停~市バスにて帰宅



            (三宅八幡宮の大鳥居・・ここからの参道が好き!)

                 
念願の三宅八幡宮へやっとお詣りすることができました。

恥ずかしながら、京都に住まいしてから3度も大怪我をしています。
幸い命に別状はないものの、2度目の時に、ついTYさんにこぼすと
「一度、三宅八幡宮へ怪我の無いようにお詣りせんとあかんね」
と貴重なアドバイスを頂きました。先月、転んで三度目の怪我があり、
・・・「もうこれ以上、怪我をしませんように」  いたします!

               

              
                  「願いごと」が書かれたよだれ掛け  

三宅八幡宮は「虫八幡」といい、子供の疳の虫除けの神様として
篤い信仰をあつめています。
神前にはよだれ掛けがいっぱい奉納されていて、
書かれた願いごとを読んで胸が熱くなりました。
「心おだやかにやさしく美しく育ちますように・・」
「夜泣きがなくなりますように・・」

国の重要有形民俗文化財に指定された絵馬を拝観しました。
全部で124枚、幕末から明治のものです。
京都市内から三宅八幡宮へ詣でる子供たちの行列が何枚も、
多いものでは1つの絵馬に600名の子供が描かれていました。

             

絵馬には子供の無事息災を願う親心がひしひしと感じられます。
着飾っている子もいれば、普段着の子も、付き添いの大人たちは
丁髷だったり、断髪もあり、古き時代の風俗習慣を今に伝えています。
行列の中に七宝焼で名高い並河靖之氏の名前とお姿を発見!

             

三宅八幡宮は鳩が神の御使いです。
狛犬の代わりに鳩、実在の鳩も餌をついばんでいます
「鳩餅」の看板に惹かれて、門前の茶店でお茶セットを頂きました。
「鳩餅」は鳩の形、聖護院八ッ橋のようなニッキ味の素朴な餅です。

             

花の香りを含んだ風が気持ちよく吹き渡る日曜日の昼下がり、
スーパーで買った行楽弁当を、公園の藤棚の木陰で広げました。

次に訪れた実相院(左京区岩倉上蔵町)は天台宗の門跡寺院、
東山天皇中宮・承秋門院から賜った大宮御所が客殿として現存しています。

             
             
             
                    実相院門跡にて

この客殿の「滝の間」の床に反射する「床もみじ」が超有名です。
秋は凄い人出らしいですが、日曜日だというのに閑散としていました。
青葉の床もみじもなかなか好いものです・・・。
                                   

         三宅八幡から圓通寺へ-2へつづく


皐月の自主稽古 2014年

2014年05月22日 | 自主稽古(京都編)&奥の細道会
                (夏蝋梅を釣花入に生けてみました)

5月16日に久々に3人で自主稽古をしました。

今月から風炉になったので、風炉の灰形から準備を始めました。
置き炉では風炉灰と風炉炭を使っているので、
その灰をメッシュ80の篩でふるいました。
本当はさらにメッシュ100の篩でふるうと良いのですが、手元にありません。
まぁ、メッシュ80で度々ふるうようにすれば、灰は確実に良くなっていきます。

相変わらず、灰形は二文字押切です。
風炉の最初にしてはまあまあ(?)・・と自己満足(これがいけない!)、
灰をふるってから自主稽古まで10日ありましたが、灰形の稽古は2回だけ。
子供の時からお尻に火がつかないとやらないタイプなのです。

    
                                    山法師と先代萩

当日、灰形を調え、水の卦を書き、撒灰をすると、遅ればせながら
「風炉の季節 到来!」という、茶事とは違う実感が湧いてきました。

「あっ、誰かいらしたようです・・」
Yさんが木槿の鉢を2つも持ってきてくださいました。
前から欲しかった「ピンク」と「白の祇園守」です・・ウレシイ! 
(枯らさないように大事に育てますね・・)

さて、自主稽古の科目は
1.行之行・台子点前
2.四ヶ伝の盆点
3.四ヶ伝の台天目

             

この日のお菓子は四ヶ伝に倣って3種、
薯蕷饅頭、棹もの(世田谷区「たちばな」の「新樹」)、苺です。
濃茶は「雲門の昔」と「青雲」、いずれも一保堂詰です。

天目茶碗での美味しい濃茶の練り方が話題に上がり、勉強になりました。
自分で練った濃茶を評価する機会が少ないので、
次回は多めにしてお点前さんにも味わってもうおう・・・と思いました。

前日が葵祭だったので、お疲れのご様子で全員1科目ずつでした。
次回はがんばって、真之炭手前、真之行・台子点前、大円之真・台子点前、
行之行・台子点前をすることに決まり、早めに解散しました。

             
                    夏蝋梅をガラス花入に

翌日、思いがけなく「夏蝋梅」の花が届きました。
偶然、ご近所にブログの読者がいらして、お庭の花をいただいたのです。
はじめて見る「夏蝋梅」、中国より輸入されたとか、
大山蓮華に似ていて、清楚で可憐な花です。
床の間、玄関などに生けて楽しんでします。

いろいろなご縁がありがたく、きょうの暮らしを彩ってくれます。
                                     
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楽美術館茶会ー2  茶碗との出合い

2014年05月20日 | 献茶式&茶会  京都編
(つづき・・・やっと
5月11日の楽美術館茶会から1週間以上経ってしまいました。

茶会で出合った6つの茶碗は
1)不二乃絵赤楽茶碗 (流芳五十之内)

  大きく口縁がうねっているような歪みのある造形、とても重く、
  思わず両手で扱って、この茶碗で薄茶を頂戴しました。
  赤楽ですが肌色に近く、胴に白い不二らしき画があります。
  ・・・覚々斎手造り50の茶碗の一つで、他に江岑50年忌に使われた
  「鈍太郎」という黒楽茶碗があるそうで、前に拝見したかも?

2)赤楽茶碗 伝来「武蔵野」写  9代了入

  実はあまり感動なく拝見、その様子をみてか、当代が・・・
  「この茶碗は表千家に伝来されている古萩「武蔵野」の写しですが、
   実によく雰囲気や三つ割高台が写されている茶碗です」と力説。
   さらに
  「楽茶碗は手づくねですが、萩は轆轤を使います。
   この茶碗は手づくねですが、轆轤をひいたように見せ、このように
   石ハゼまでそっくりに写しています」
   ・・・飛び上がってもう一度拝見し、帰宅後、「武蔵野」を茶道大辞典で
   すぐに調べましてございます(汗)。

3)御本写楽茶碗  10代旦入作
  肌色に御本の赤が美しい、赤楽茶碗だったと思う・・・。 

            

4)鷺之絵赤楽   狩野永岳画 11代慶入作
  鷺の絵は大好きなので、雰囲気のある茶碗でした。
  高台を見せながら
  「これは茶碗ではなく向付か小鉢として作られたものですが、
   赤や黒の楽茶碗ばかりではつまらないので、遊びを入れました」

5)菖蒲之画赤楽茶碗 即中斎画賛 14代覚入作
  大きく、力強く、一目で覚入らしい作風と思いました。
  見込みに「五月」とあり、菖蒲画と共に即中斎の手によるものです。
  「杜若づくし」の茶会にぴったりの茶碗でした。

6)黒楽茶碗 銘「初冠(ういこうぶり)」 
  襲名初造之内  大印在  15代吉左衛門(当代)

  必ず一つ、当代の茶碗がでますが、若き日の作「初冠」は
  在原業平のカキツバタの和歌と重なって、嬉しい趣向でした。
  しかも、この茶碗はとても凝っていて、釉薬が二重掛けされています。
  艶のある黒釉の上にカセた釉薬が掛かり、
  黒の役者たちの競演を見るような、深い味わいを感じる茶碗です。
  楽印は大小二つあって、今は高台内に小を使っているそうですが、
  大印を使った数少ない一つとか。

他にも楽茶碗に使う「土」を世代を超えて寝かせ、大事に使っている話や、
展示中の「あまやき(尼焼)」にまつわる話など興味深く伺いました。

            

茶会後、2階の展示を拝見、次の2つの茶碗を書き留めておきます。

1)比丘尼  黒楽茶碗(尼焼)
  元伯宗旦  武者小路千家・5代文叔書付  

  先ず形に魅せられる・・・ほっそりとした胴長(半筒?)で小振り。
  今まで遭ったことのない形と柔らかい雰囲気を持っています。
  黒の釉薬の半分は光沢もあり滑らかな反面、もう半分は
  茶色に近くカセていて、肌も荒々しく、二面性が何とも・・・。

  解説・・・「尼焼」は長次郎の妻の作とされる。
  作行き、上味、釉調から判断して、道入以前の古楽の作品と考えられるが、
  作者の特定はむずかしい。

2)十五代吉左衛門(s.24~)
  焼貫黒楽茶碗  銘「砕動風鬼」

  解説・・・「激しさの中にあえて身を置き、己を見つめた。
  長次郎とは真反対の方向、装飾の彼方へ投げ出す。
  形は鬼なれども心は人なる風体。
  世阿弥の「二曲三体人形図」から、その時の心情を銘に託して
  「砕動風鬼」と名付けたという。
  焼貫の技法で、しかも楽茶碗において初となる金彩、銀彩により
  装飾された一碗」

  感想・・・茶碗と解説を見ながら、次のフレーズが頭を横切っていきます。
  能  能舞台  能役者の光と影  栄光と挫折と 百鬼夜行・・・
  手に余る大きさの茶碗、形も印象も鋭く激しく、
  金彩と銀彩の肌に、眉間の縦じわを連想する深い黒、
  心血をあらわすような赤のまじわり・・・好悪いろいろな感情が消えては現われる
  不思議な茶碗にしばし魅せられ、見つめます。

  圧倒されながらも
  「この茶碗でお茶を喫んでみたい!」
                             

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