暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

再び・・・東京国立博物館「茶の湯」展へ

2017年05月30日 | 美術館・博物館
               
                     (4月半ばの写真でごめんください・・・)
               
5月26日(金)、16日(火)に続いて東京国立博物館「茶の湯」展へツレと行ってきました。

前にも書きましたが、東京教室のS先生から「茶の湯」展のお話を伺いました。
「えっ!・・・」と驚くようなS先生独特の視点のお話はどれも興味深く、自分の目でそれらを確かめてみたくなりました。
・・・ところが、2つほどもう一度じっくり見たいものがあったのです。
さらに、5月23日から展示の原三渓翁に係わる茶道具も是非観たい!・・・と。

               
                         京鹿の子

○ 書状 二月十四日 松佐宛 (147)
(上段)
    熊々御飛脚過
    分至極候富佐殿
    柘佐殿御両所為
    御使堺迄可罷
    下之旨
    御諚候条俄昨
    夜罷下候(乃?)淀
    迄羽与様古織様
    御送候て舟本ニて
    見付申驚存候
    忝由頼存候恐惶謹言
     二月十四日   宗易(花押)
(下段)
    (封)    利休
 松佐殿   回答   宗易
 

熊本・細川藩家老の松井靖之に宛てた利休の手紙、
二月十四日の日付から切腹する(二月二十八日)直前の文で、表装されずそのままの状態(折紙)で展示されています。
消息のせいか、ガラガラだったのでじっくり読み下し文と照らし合わせながら読み進めていくと、
豊臣秀吉の堺へ下向せよとの命を受け、その夜ただちに舟に乗ったところ、淀まで羽与様(細川忠興)と古織様(古田織部)が見送りに来てくれ驚いた、その御礼を伝えてほしいと書かれています。

すでに死を覚悟していたであろう利休、
ただならぬ状況の中、忠興と織部が見送ってくれたことへの御礼と感慨、
長年親しい付き合いのあった松井靖之へしたためた無言の最後の想い・・・などが短い書面から伝わってきます。
この書状に出会ったことで、始めて生身の利休を手紙の向こうに感じることができ、思わず涙が・・・。

松新宛の利休の書状はもう一つ、「黄天目・沼田天目(122-1)」に続いて「書状 七月十六日 松新宛(黄天目 沼田天目 添状)」が展示されており、二人の親密な様子がこちらからも窺えます。

               
                珍至梅(ちんしばい) (庭七竈(ニワナナカマド)の別名)

○ 唐物茶入
「本物の瓶子蓋を見てくるように・・・」
瓶子蓋(へいしぶた)とは茶入の牙蓋の一種で、掴みが酒次の瓶子の形に似ているので名付けられました。
瓶子蓋の場合、蓋を逆さまにして置く・・・と習いにあります。
・・・ありました! 唐物尻膨茶入「利休尻膨」の瓶子蓋のなんと見事なこと!
同じ唐物でも唐物茶入「利休鶴首」は瓶子蓋ではありません。

それにしても写真では何度もお目にかかっている唐物茶入ですが、改めて実物との違いにびっくり。
オーラを感じる形や存在感、特にスケールの違いを実感しました。
「利休鶴首」のなんと小さく、華奢なことか。
この茶入を愛した利休や戦国大名たちの手の大きさやごつさ(?)を一瞬想像してしまいます。

             
                    横浜三渓園・蓮華院
             
                    蓮華院の内部(土間の待合)

○ 蓮華(東大寺三月堂 不空羂索観音持物) 奈良時代・八世紀 (254)

東大寺三月堂 不空羂索観音持物と伝承され、近代数寄者・原三渓翁が明治36年(1903)に手に入れ、蓮華院の茶会で飾ったという蓮華。 
蓮華院で名残りの茶会をして以来ずっーと気になっていて現存するならば見てみたい!と長年憧れていました。

その蓮華を観ました。
大きな蓮の台(花托)を蓮華が取り巻いていて、木製漆塗とありますが、漆が剥がれ古材の持つ好い雰囲気が醸し出されています。
枝の部分は金銅製で繊細な細工が施され、不空羂索観音持物にふさわしい荘厳さを感じます。
「こんなに立派な蓮華だったのね・・・」
蓮華院の琵琶床に飾られていたそうで、その時に床に飾られた「慶慈保胤書状」(253)も展示されていました。
さらに、三渓翁が茶会で使ったという「無地刷毛目茶碗 銘・千鳥」(256)と「唐津茶碗 銘・入相」(257)
も一緒に展示されています。
しばし、三渓翁の茶会をあれこれ想像し、参席しているような夢心地になりました。

再度「茶の湯」展へ来て本当にヨカッタ! 


東京国立博物館「茶の湯」展は6月4日(日)までです。



    

能 「江口」 と茶の稽古と

2017年05月25日 | 歌舞伎・能など
                 


5月20日(土)、横浜能楽堂で能「江口」を観てきました。

京都から横浜へ戻ってきて能を観に行ったのは1度だけ、いつか遠い存在になっていましたが、
横浜能楽堂から送られてきた案内を見ると、「江口」でした。
「江口」は、能を観るきっかけとなった横浜能楽堂特別企画「能・狂言に潜む中世人の精神」の第3回「仏教」で演じられ
それ以来、観る機会もなく時が過ぎましたが、三人の遊女が川遊びをしている、美しくもはかない情景がすぐに目に浮かんできます。

もう一つ、京都・西行庵の朝茶で掛けられていた能「江口」に因むお軸を思い出します。
上方に天女のような女人、下方に西行法師が描かれていたような・・・
女人は遊女・江口の君、普賢菩薩となって空へ上って行くところです。

その日は夏日でしたが、気合を入れて着物で出かけます。
白地に絣模様のある夏大島、杏の地色に牡丹がぼかして描かれている塩瀬の帯を締めました。

最初は狂言「船渡婿(ふなわたしむこ)」、面白い狂言なのに早や睡魔が・・・この先どうなるのでしょう。
休憩の間に動き回って眠気を覚まさなきや! 少々あせるほど眠い。

                  

笛が吹かれ、幕が上がりました。
(囃子方の藤田六郎兵衛の笛に魅せられ、能のあの世へ引きこまれていきました・・・)
あらすじは、
諸国を巡っている僧が津の国天王寺詣での途中、江口の里に着く。
江口の君の旧跡を懐かしみ、昔、西行法師が一夜の宿を主の遊女に断れて詠んだ歌、
   世の中を厭うまでこそかたからめ   
         仮の宿りを惜しむ君かな
と口ずさむ。
するとどこからともなく現れた女に宿を惜しんだのではないと咎められる。
女は遊女の返歌、
   世を厭う 人とし聞けば仮の宿に
       心とむなと 思おばかりぞ
と詠み、江口の君の幽霊であると明かし消え失せる。
その夜、僧がその霊を弔っていると、川舟にのった江口の君と侍女達が現れる。
遊女としてのこの世の無情、悲しみ・華やかさ・迷いを説く。
そして舞を舞い、普賢菩薩の姿を現し、舟は白象となり、月光の中、西の空へと消えて行く。


                  

ここで、茶の話へ。
いつも客席から能舞台を俯瞰すると、茶室と露地を思い浮かべ、そこで繰り広げられる茶事と相通じるものを感じます。
無駄なものをそぎ落とし、能(茶)をハイライトするための合理的な空間。
演者(亭主)はただひたすら能(茶)を通してその思いを客へ伝えます。

シテの動き、特に足の動きに注目していると、90度方向を変えるのにほんのわずかずつ、数~十歩かけて動いています。
手を顔にかざす・・・手だけでなくゆっくりと腕全体を大きく動かし、顔の角度と相まってさまざまな感情が見事に表現されます。
歩き方・・・上部は動かず姿勢をきちんと保ったまま、擦り足の動きの端麗さと緩急。
姿勢・・・身動きせずに舞台で立っているだけでシテの感情が静かに見事に伝わって参ります。
茶の点前や歩き方もかくありたい!と思いながら舞台を見詰めておりました。

他流に比べ裏千家の点前は無駄な動きを極限までそぎ落としたシンプルな点前です。
シンプルだからこそ能のようにゆっくりと端整に身体を動かし心を込めて点前をしなければ・・・。
そうだわ!今日「江口」を観たのは、きっとお茶の神様が改めてそのことを考えさせてくれたに違いない。
急にお茶の稽古がしたくなりました!(なんせ、稽古不足ですので・・・)
帰ったらお茶の稽古に励んでみよう、所作を基礎からやり直し考えてみよう・・・と。


(忘備録)
横浜能楽堂特別講演  平成29年5月20日(土) 午後2時開演  

 狂言 「舟渡聟」  シテ(船頭) 野村萬 
             アド(婿) 野村万之丞  小アド(船頭の妻)野村万蔵
                
  能  「江口」  シテ(里女・江口の君) 浅見真州
            ツレ(遊女)浅見慈一  ツレ(遊女)長山桂三 
            ワキ(旅僧)殿田謙吉  ワキツレ(従僧)大日方寛  
                         ワキツレ(従僧)野口能弘
            間(里人) 能村晶人
        
           囃子方  笛   藤田六郎兵衛
                 小鼓  曽和正博
                 大鼓  白坂信行
                

「破天 西中千人のガラス展」のご案内

2017年05月20日 | 美術館・博物館
  


西中千人(ゆきと)さんとの最初の出会いは釜師・長野新&珠己夫妻の初釜(2017年)でした。
その後、頂いたパンフレットで世界を股にかけて活躍中のガラスアート作家さんであることを知りました。
パンフに掲載されたガラスの茶道具たちに魅了され、制作の原点である言葉(想い)に心惹かれ、
「桜の森の満開の下で」の茶事へお声掛けし、ご縁が繋がりました・・・。

   終生
   変わることのない
   想いはただ一つ。

   ガラスは割れる。
   人は死ぬ。
   だから、
   今 この一瞬を生きる。    西中千人

この度、日本橋高島屋で西中千人さんが2つのガラス展を開催するそうで、心から応援のエールを送ります。
きっと!あなたの心を震わせるガラスアート空間や作品に出会えると思います。
どうぞご高覧下さいませ。 


● 5月31日(水)~6月20日(火) 
 「一瞬に煌めく永遠  ガラスアートの瞑想空間へ」
  日本橋高島屋1階正面ホール(6階美術画廊にも作品を展示)


高さ2mのガラスの柱が立ち並ぶ砂利と苔の舞台は、
禅を礎とした「現代版枯山水」ともいえるアート空間です。
市場から回収したガラスびんを溶かして、アート作品を制作するこの取り組みは、
循環する命、資源について、一人一人が考えるきっかけを作ることが
もう一つのテーマです。
「永遠と一瞬」が、光や水、命のように続く無限の循環を体感してください・・・西中千人



  


● 6月21日(水)~27日(火) 
  西中千人展 「破天 天をも破り、未踏の地へ」 
  日本橋高島屋6階美術画廊


   不完全の美を追求する「ガラスの呼継」から派生した「転生」は、
   より純粋にヒビが心に刺さる作品です。
   これに加え、「一瞬に煌めく永遠」、
   光の粒で生命の煌めきを表現した「ヒカリ包む」「悠久の種」など
   「ガラスは割れる 人は死ぬ。だから、今この瞬間を生きる」を
   メッセージした作品をぜひご覧ください。

光が対象物にあたってはじめて見えるように
アートは、その奥にある想いが共鳴し、はじめて完成します。
皆様の心と私の作品が響き合えれば、これ以上の幸せはありません。・・・西中千人





東京国立博物館「茶の湯」展へ

2017年05月18日 | 美術館・博物館
                

5月16日(火)、重い腰を上げて東京国立博物館「茶の湯」展へ行ってまいりました。

行く予定ではいたのですが、混雑ぶりを想像すると、なかなか足が向きません。
5月10日、東京教室の稽古中にS先生から「茶の湯」展のお話を伺いました。
「えっ!・・・」と驚くようなS先生独特の視点のお話はどれも興味深く、自分の目でそれらを確かめてみたくなりました。

それに37年ぶりという「茶の湯」大展覧会の目的は、茶の湯の全体像を今一度通観してみようと、展示作品数は259点に上るらしい。
ならば茶の湯に携わる者として、茶の湯にかかわる様々な分野の名品を1つでも多く見ておきたい、その中で心に残る作品と魂が触れ合うことができれば望外の喜び・・・というものです。

行く直前に東博のホームページから展示品一覧表を打ち出し、現在展示中のものをチェックしました。
中には展示終了やこれから展示予定もあり、今後の機会があると良いのですが・・・。
○ 重文 油滴天目 京都・龍光院・・・よく真のお稽古で使わせて頂いているので拝見したかったのですが、残念。
○ 国宝 印可状 虎丘紹隆宛(流れ圓悟) 圓悟克勤筆
○ 国宝 偈頌 照禅者宛(破れ虚堂) 虚堂智愚筆
○ 蓮華(東大寺三月堂 不空羂索観音持物)・・・かつて原三渓翁が所持し、昭和8年蓮華院の茶会で飾ったもの。

                


「茶の湯」展で特に心に残ったものをいくつか記念に記しておきます。

○ No.2 油滴天目  中国建窯  南宋・12~13世紀 
(伝来)豊臣秀次・・・西本願寺・・・京都三井家・・・若狭酒井家・・・大阪市立東洋陶磁美術館

今回「茶の湯」展一番のお目当てです。
大阪市立東洋陶磁美術館へなかなか行けませんで、やっと念願の対面が叶いました。
空いていたので展示ケースを廻りながらいろいろな角度で油滴の織り成す小宇宙を楽しみました。
耀変天目のような鮮やかな青色はありませんが、光の加減でしょうか、金色銀色の油滴が蒼黒くうごめいていて、宇宙を旅しているような神秘的な世界へいざなわれます。
背伸びすると、茶だまりが小粒のダイヤモンドのように清らかに光っていて、この部分だけ別世界のようでした。
この天目茶碗でお茶を喫すると、茶の翠が一段と美しく映え、光の加減で周りの油滴とコラボしてキラキラ耀くことだろう・・・と想像しています。

                

○ No.9 遠浦帰帆図(えんぽきはんず)  牧谿筆
(伝来) 足利義満・・・珠光・・・織田信長・・・荒木村重・・・徳川家康・・・松平正綱・・・徳川家光・・・戸田家・・・田沼意次・・・松平不昧・・・吉川家・・・京都国立博物館

この「遠浦帰帆図」は足利義満によって切断され掛軸に改装された、「御物御画目録」に記載されている牧谿筆「瀟湘八景図」断簡の一つです。
「遠浦帰帆図」は天正元年(1573)の織田信長の茶会や天正11年の豊臣秀吉の道具較べで掛けられた大名物とか。
牧谿筆「煙寺晩鐘図」(畠山美術館)に魅せられて以来、このシリーズは見逃すことができません。

洞庭湖の湖面を渡ってくる風が湖畔の木々の枝を揺さぶり、吹き荒れています。
湿り気を帯びた風の強さを画面から体感していると、洞庭湖に浮かぶ帰帆の影らしきものが2つ、ぼんやり見えてきました。
大きな画の広がりが帰帆する舟の心細さや、自然の猛威のすさまじさが観る者に迫ってきます。
静謐と激しさと、いつまでもこのまま見入っていたい・・・そんな「遠浦帰帆図」でした。

                

○ No.134 赤楽茶碗 銘「白鷺}
長次郎の楽茶碗の名碗が5つ並んで展示され、圧巻でした。
赤楽・銘「白鷺」(裏千家今日庵)、赤楽・銘「一文字」、重文の黒楽・銘「ムキ栗」(文化庁)、黒楽・銘「万代屋(もずや)黒」(楽美術館)、重文の黒楽・銘「俊寛」(三井記念美術館)です。

長次郎作という楽茶碗がいくつ現存するのか知りませんが、今回の展示品は東博の学芸員によって選び抜かれた逸品ばかりなので、見ごたえがありました。
中でも裏千家今日庵蔵の赤楽茶碗・銘「白鷺」を初めて拝見しました。
ほっそりとした素朴の味わいのある筒茶碗で、柔らかな赤肌色の胎土を感じさせる色調が印象に残っています。

解説(図録)によると、長次郎の最も初期の作と思われ、高台(見えませんでしたが・・・)も他の赤楽茶碗に比べると素朴なんだそうです。
展示されていませんでしたが、裏千家4代仙叟宗室が箱書きをしていて、内箱蓋表に「白鷺 長次郎焼」、
蓋裏には「面白やうつすかりなも身につめは 鳥の羽音も立つにつけても 宗室(花押)」とあるそうです。
長次郎の名碗には仙叟の書付が多いと言われているのも嬉しいですね(仙叟ファンなので・・・)。
この茶碗は伊予久松家に伝わって5代不休斎常叟の消息が2通添っているそうです。
S先生から今日庵からの出品はこの茶碗だけ・・・と伺っていましたが、長次郎の「白鷺」に逢えて感激しています。 



皐月の教室だより・・・「七事随身」と初風炉の茶杓荘

2017年05月12日 | 暁庵の裏千家茶道教室



牡丹が咲き乱れ、風薫る気持ちの良い季節になりました。
世の中はゴールデンウィークでしたが、3日から初風炉の稽古を始めました。

床には「七事式の偈頌」を掛け、五月人形を飾りました。
?十年ぶりに陽の目を見た5月人形にこのお軸が一番ふさわしいように思ったのです。
それに、12日から五葉会・新年度がスタートすることだし、「七事随身」(碧巌録)の教えを思い起こしてみたい・・・と。

七事には「内ノ七事」と「外ノ七事」の2種があり、
「内ノ七事」は精神的な修養として禅の修行が肝腎であるとし、「外ノ七事」は禅の修行に必要な七つ道具をさしています。
さらに、これを武の七つ道具である弓・矢・刀・剣・甲・冑・戈(ほこ)に比すべきものとし、
一つも欠くことなくこの七事を常に身に備えなければならない・・・と説いています。(裏千家茶道点前教則26・七事式一より)

何となくわかったような・・・わからないような・・・
「七事式の偈頌」を読むだけで警策で打たれたような身が引き締まる思いがしますので、
「七事随身」の意味するところをじっくり考えるのもたまには必要な気がするのですが・・・。


 建長寺の「柏槇(ビャクシン)」(和名イブキ)       

「七時随身」についてわかり易く書かれ、妙に納得する記事(茶道の禅語)を見つけたので掲載させて頂きます。
      

この「七事」というのは、中国の故事で、名将の持つ七つの武具のことを言います。
つまり、弓、矢、刀、剣、鎧、兜、鉾、この七つの武具が備わっていることが「七事随身」であります。
禅門では、修行者を指導する者は、すべてを兼ね備えていなければならない、という意味で、この「七事随身」という言葉が便われています。
茶の湯では、もっと精神的な意味で、この「七事随身」という言葉を解釈されたらいいのではないでしょうか。
つまり、ほんとうに豊かなお茶をするためには、お点前ばかりでなく、書、絵画、建築、料理といった、あらゆる方面のことをすべて学ばなければなりません。
また人間的にも、もっともっと成長しなければならないのです。そうすれば、いかなる場面に遭遇しても、少しもあわてる必要がない。
ちょうど名将が七つの武器を身につけているときのように、どこから攻撃を受けても、堂々と受けて立っことができます。
そういう心境でお茶をすれば、どんなに楽しいお茶ができるかということです。

なお、お茶の「七事式」は、この「七事随身」からとられているわけですが、それはやはり、茶人は最終的にはすべてのわざを身につけねばならない、というところからきているのだと思います。(以上)


                       


さて、初風炉の稽古ですが、Fさんの初炭手前と茶杓荘から始まりました。
先ずは床に紫の袱紗を敷き、お持ち出しの茶杓を筒のまま荘って頂きました。

初炭で炭を置いてもらうと、灰形の出来が気になります。
火床の深さはよさそうですが、もう少し広くしないと胴炭が入りにくそうでした。
調整した時と違い、五徳と釜のバランスも今一つ気に入りません。
落ち着くまでにはもう少し時間が必要のようです。

半年ぶりの風炉初炭手前ですが、流石ベテランさん、すらすらとなさいます。
灰器の取り置きも身体がしっかり覚えていて、月形も美しく上品です。
風炉は唐銅面取、釜は波文尻張釜(畠春斎造)、灰器が備前焼から小ぶりの黄瀬戸になりました。
練香から白檀に変わり、淡々斎お好み「鯉幟香合」がかわいらしく泳いでいました。



つづいて、Fさんリクエストの茶杓荘です。
今、Fさんは問答を熱心に勉強中ですので、どのような茶杓でどのような由緒が語られるのか・・・
とても楽しみでした。
茶杓を拝見すると、節より上部にある1本の深い樋が何かを語っているような、質実剛健な印象の白竹中節の茶杓でした。
かなり年季が入っているらしく薄茶に変色しています。

あまり詳しく書けませんが、その茶杓は習われていたA先生が教室を閉めるときにFさんに贈られたものでした。
裏千家○○斎作、茶杓銘も誠に素晴らしく、筒と箱の拝見を所望しましたが、箱書は○○斎宗匠の生涯や佇まいを髣髴させる内容で申し分ないものでした。
その茶杓をFさんに託されたA先生のお気持ちがひしひしと伝わってくるようでした。
「この茶杓を使う機会をたくさん作って、これからもお茶を楽しみながら精進してくださいね!」(A先生の代弁??・・・)

初風炉の茶杓荘で思いがけなく貴重な茶杓を拝見することができて嬉しいです・・・ 

     
      暁庵の裏千家茶道教室    前へ   次へ   トップへ