暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

振り出しの網袋

2011年06月29日 | 茶道具
                    ( 紅額あじさい  季節の花300提供 )

K先生に仕覆を習いだして一年半になります。
月に二回の稽古日ですが、他の用事や花月の稽古と重なることが多く、
月一回がやっとという有様です。

今は振り出しの網袋を編んでいます。
振り出しは平和島骨董市で買った茶籠に入っていた豊楽焼です。

最初に、ミツクリを繰って緒に使う紐を作ります。紐の色はシルバーです。
それからが大変。
ミツクリを繰って、今度は細い紐(五本どり)を20本作りました。
とても時間がかかる作業で、稽古日の三日ほどを費やして紐作りです。

細紐二十本を緒に懸けて、先ず細編みを
教室だけではなかなか進まないので家に持って帰り、編んでいます。
編み方はマクラメで、七宝模様です。

先日、先生から言われた宿題を仕上げて持っていくと
「最後の二段が大きすぎるのでほどいてやり直してください」
解いてから霧吹きで濡らして編み癖をとり、細かめに編み直しました。

編み直したところを再びほどいて、細編みのように編んで底を平らにしていきました。
最後に余分な細紐を始末して、やっと振り出しの網袋が出来上がりました。
無心につくる過程の充実感、出来上がった時の嬉しさは格別ですが、
コスト的には頼んだ方が安く済むこともわかりました。

                 

仕覆づくりをなかなか覚えられないダメな生徒でしたので
ついに一昨日、K先生から「喝!」を入れられてしまいました。

「仕覆づくりもお茶の稽古と同じで、身体で覚えるしかないのです。
 それには自分で考えながら繰り返し作ってみるしかありません。
 しっかり取り組まないと、今までのことが無駄になってしまいますよ」

気合いを入れ直して、頑張ってみようと思っています。

それで暑い中、瀬戸茶入「初心」の仕覆づくりに取り組んでいます。
自宅で作ってみると、曖昧だったところ、足りない道具類などがよくわかります。
曖昧なところは試行錯誤で考えながら、材料や道具の手配をしながら、
とにかく、自力でやるっきない!・・・状態です。

                           

茶筅荘  水無月の稽古

2011年06月27日 | 稽古忘備録
                    ( 額あじさい  季節の花300提供 )

「江上数峯青」(こうじょう すうほう あおし)

江上の大河は長江でしょうか?
河霧が立ちこめる河にいくつかの峯が青く重なっている、
幻想的な風景が目の前に浮かんできます。文浄和尚筆です。
露を含んだ額あじさいが三友籠に生けられていました。

水無月最初の稽古は小習と四ヶ伝でした。
Kさんが唐物と茶碗荘、私は初炭のあと、台天目と茶筅荘をご指導頂きました。

茶筅荘は水指などが由緒、伝来のあるものを用いたときに行う点前です。
茶事で万が一水指の拝見を乞われた場合
スムースに身体が動けるよう、昨年に続きお願いしました。

水指の上に、茶杓、茶巾に茶筅をのせて荘り、
水指前に茶入を入れた茶碗を置きました。
茶筅荘の場合、前席(待合)の床に何も荘られていないので
席入りして初めてお客様は茶筅荘ということに気がつきます。
それで、何故、茶筅荘にしたのかをお客様へお伝えしなくてはなりませんが、
二つの仕方があるとのことでした。

一つは亭主から申し上げます。
茶道口で建水を下座に置き、襖を開けて一礼し、
亭主から何故茶筅荘にしたかを話します。
「茶室披きの折に、菩提寺の興福和尚より
 お祝いに頂戴いたしました水指を使わせて頂きましたので
 茶筅荘とさせていただきました」

もう一つは、柄杓を引いて総礼のあとに、正客からお尋ねします。
「茶筅荘のようでございますが・・・」
「はい、還暦の折に菩提寺の興福和尚より
 お祝いに頂戴しました水指を使わせて頂きました」
「古格のある水指でございますね。水指は?」
「・・・」

・・・と亭主は答えてから、建水をすすめ、居ずまいを正します。
点前が進み、茶入、茶杓、仕覆を拝見にだします。
最後に拝見物について問答のあとに
正客より
「ご造作をおかけしますが、なにとぞ水指の拝見をお願いいたします」

亭主は一礼して茶入など拝見物を持って水屋へ下がり、
水指の水を空けて拭き清め、
白布(さらし)に載せて正客前に持ち出しました。
一膝下がって一礼して茶道口に下がり控えています。

正客は白布からはずし、水指を縦に少し寝かせて
茶壷を転がすように拝見し、白布に載せて次客へ送ります。
戻された水指を水屋へ引き、茶道口で一礼して終わります。

蓋の扱いについてお尋ねすると
「蓋は通常、水指の拝見に出しませんが、
 特に・・と所望されれば、別にお出しすれば良いでしょう」
「先生、お教え有難うございます」

                   

現実に帰れば、由緒、伝来のある水指などを持っていないので
茶事で茶筅荘はとてもできませんが、
茶友Hさんに新しいさらしを分けて頂いて、万が一に備え、
白布の用意だけはしております・・の(汗)。

                            



いちねん会  茶通箱付花月

2011年06月25日 | 七事式&いちねん会
                      ( 山法師 )

だいぶ経ってしまいましたが、6月のいちねん会(七事式の勉強会)
茶通箱付花月をしました。

1週間ほど前に打ち合わせの電話をすると
「あらっ、四つはできると思いますよ」とKさんは涼しい(?)顔です。
それで、炭付花月、茶通箱付花月、四畳半花月、貴人清次花月をみんなで頑張りました。

床には、戸上明道和尚の筆で「水上青々翠」(すいじょう せいせいたるあおし)。
蛇目籠に紫色のシランが清楚です。

五時半に起きて準備をしてくださったそうで、灰型は遠山でした。
そういえば
「遠山に挑戦してみるので、見てくださいね」
山がもう少し右寄りが私の好みですが、美しい遠山でした。
今度教えて頂くつもりです。
淡々斎お好みの荒磯棚に青白磁の水指が涼やかに映えています。
薄器は井伊宗観好みの金輪寺、鵜飼舟の蒔絵です。

               
                ( 南天の花   季節の花300提供 ) 

炭付花月は5月に続いて二度目の風炉初炭手前ですが、
花を引いたSさんはサラサラとなさっていました。
いよいよ茶通箱付花月です。
いくつかポイントを確認しながら勉強しましたが、
頭の中で整理ができていませんでした。

23日に先生宅の花月の稽古で茶通箱付花月をご指導頂き、
やっと書くことができそうです。

茶通箱付花月(風炉)の主な流れは、
亭主が迎え付けの挨拶し、客は帛紗をつけ、四畳半に入る。
折据を廻し、月と花が名乗り、二人で茶通箱の点前をする。
月が先の濃茶を点て、全員でのむ(濃茶付花月と同じ)。
花が茶巾をたたみかえると「今一種のお茶を・・・」。
花が茶通箱からのちの茶入を出し、清め、濃茶を点て、全員でのむ。
折据は茶碗を追ってまわす。
詰めがのみきり茶碗を置くと一同札をとり、
花(薄茶の)と松(濃茶の二人)が名乗る。

薄茶(花月、三服点て)になり、一の花は水一杓、
「先の茶入と仕覆の拝見を」を受け、
拝見にだしてから薄器を清め、薄茶を点て、
二の花は棗と薄器の置き換え、二服目を点て、
三の花(仕舞花)は三服目を点て、仕舞いつけ、
後の茶入、茶杓、大津袋、箱を拝見に出す。
あとは常の花月とほぼ同じです。

次回にもう少し詳しく書いてみますので、
その時はイメージトレーニングにお付き合いください。

                            

雨に笑えば・・・ 雨の写真

2011年06月22日 | 閑話休題
6月22日(水)、今日は夏至です。
雨を待っているのに雲一つない晴天でした。

6月19日(日)、戸栗美術館(渋谷区松濤)へ出かけた日のことです。
相鉄線の駅で相鉄瓦版「雨に笑えば」(フリーの小冊子)を入手しました。
冒頭に写真家・佐藤秀明氏の「雨天こそ撮影日和」の談話が掲載されていました。

佐藤秀明氏といえば、以前ブログに書いた「男梅雨」でご紹介した、
「雨の名前」(高橋順子文 佐藤秀明写真 小学館)の、
素敵な雨の写真を撮られた写真家です。

佐藤氏が雨に意識を向けたのは、10年前。
福井県の小浜を旅しているときに急な雨に降られ、
お寺の境内で雨宿りをしていたときのことでした。

ぼんやりと雨滴を眺めていて、しみじみと
「ああ、雨っていいな」
日本では1年のうち三分の一は雨天なので、
雨をテーマにすれば、一年中撮影ができる!と思ったそうです。
佐藤氏のお話で、こんなことを参考にしたら面白いかも・・です。

  
   雨を撮り始めて間もないころ、あることに気が付きました。
   それは雨そのものを撮影対象にしてもそれほど面白くないということです。
   滴を点で撮るか線で撮るか、滴を光らせるかなどという技術的な問題しかありません。
   それよりも雨にまつわる景色というものを広く捉えた方が、
   奥行や深みのある写真が撮れる。例えば・・・(略)・・・
   「雨の写真」を大きな枠で捉えるとイメージがぐんぐん刺激され、
   さまざまなものが被写体として輝いて見えるようになりました。
                                  

なかなか含蓄のあるお話しでしょう・・・それで急に「雨の写真」が撮りたくなりました。
ところが、敵(?)もさるもの、今度はなかなか降ってくれません。
とりあえず、ここ1年間で撮った「雨の写真」を掲載します。
今度はもっと被写体をひろげたいな、人や生活をいれたいな・・と思います。
笑って見てやってくださいな・・・。

 



 

 

                                     
    写真は上から、「雨の公園」 「メダカ池」
              「雨の模様」
              「蓮華寺池 藤枝」 「蓮華寺公園の菖蒲苑」
              「モリアオガエルの卵  藤枝・玉露の里」
              「雨香満竹林」

 追記) 相鉄瓦版「雨に笑えば」は相鉄線の各駅に置いてあると思います(6月中ならたぶん・・・)。


青磁の潤い 白磁の輝き  戸栗美術館

2011年06月20日 | 美術館・博物館
6月19日(日)、戸栗美術館(渋谷区松濤)
「青磁の潤い 白磁の輝き」展へ行ってきました。
讀賣新聞に紹介された記事を読んで以来、「行きたい!」と思っいながら
終了間近になり(6月26日まで開催)、やっと重い腰を上げました。

戸栗美術館は、渋谷の東急文化村の裏、閑静な住宅地の中にありました。
日曜日でしたが、とても空いていて、ゆっくりと拝見できました。

17世紀から18世紀につくられた伊万里が展示され、その構成は、
第一室は青磁(青磁釉(青緑色のガラス質の膜)に覆われた磁器)、
第二室は白磁(白い素地に透明な釉薬を施した磁器)、
第三室は青磁や白磁以外の釉薬(銹釉、瑠璃釉、辰砂釉)を施した磁器でした。

                

                
                
第一室No.1は、読売新聞に紹介された「青磁染付 樹鳥文 葉形三足皿」でした。
伊万里の地で、青磁に染付を融合させる(掛け分ける)という高度な技術が
ほぼ完成された江戸時代17世紀後半の作です。
解説によると、白磁の素地に呉素で絵を書き、その上だけ透明な釉薬を施し、
その他は青磁釉を掛け分けています。

慶長の役で朝鮮半島から日本へ連れてこられた伊万里の陶工たちは
白い素地となる土をさがし出し、長い研鑽の末に、
青磁と染付を融合させるという、新たな美をつくりだしました。
同時に、青磁を愛し、飽くことのなき独自の美を追及する日本人の存在を感じます。

                

第一室No.13の「青磁染付 波文 舟形皿」は、朝茶事に使いたい・・と思いました。
一番のお気に入りは、No.35の「青磁 瓶」(筍形瓶 鍋島)でした。
耳なしのどっしりした下膨らのような形はやすらかな安定感があり、
胴に入った横線(帯)が微妙なアクセントになって、見ていて飽きません。
何度も見たくなり、戻っては「やはりこれ好いな!」

青磁が好きです。気品、柔らかさ、硬さをあわせ持っていて・・・。
そういえば、最初に心惹かれたのは青磁の水指(香炉の転用)でした。
機を逸して、その埋め合わせ(?)に購入した青磁の茶碗、蓋置、建水などが
手元にありますが、どれも気に入っていて、とても役立っています。

茶事で道具の取り合わせがほぼ決まり、
「あと一つ何にしようかしら?」という時に目だたず、
されど独自の美を持つ青磁にすると、ぴしゃりと納まることが多々あります。
「苦しい時の青磁頼み」とか「お助け青磁」と、頼りにしています。
そして、こんなにも心惹かれる青磁のルーツを知りたくなりました。

他にも、光を通す白磁の繊細な美しさに見とれ、
第三室の「銹釉染付 双鶴文 輪花皿」(当初、九谷の吸坂手と言われていたもの)は、
錆釉と銹釉を抜いた白磁(鶴)の対比が素晴らしい逸品でした。
瑠璃色がグランブルーを思い出させる「瑠璃釉 牡丹唐草文 三足香炉」や、
白磁を残してアクセントにした「瑠璃釉 扇面梅花文 三足香炉」も優美です。

                

青磁、瑠璃、銹、辰砂、金銀、多彩な釉薬を組み合わせた磁器があることも
展示品で知り、伊万里・鍋島の魅力ある世界を垣間見た気がしました。
閑静な戸栗美術館へせっせと通おうかしら?

次回の展示は、「伊万里焼の技と粋」~古伊万里で学ぶやきものの”いろは”~
7月3日(日)~9月25日(日)です。

                           

   写真は上から、「戸栗美術館」
             「美術館の陶製ドアノブ」
             「昨年5月、有田陶器市で購入した青磁染付のカップ」
             {昨年5月、大川内山で購入した色絵のカップ」