暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

炉を開く

2010年10月29日 | 稽古忘備録
秋を飛び越して冬が来たような寒さの到来です。
札幌に初雪が降ったというニュースを聞きながら
炉に灰を入れたり、五徳を合わせたり、炉開きの準備をしました。
一昨日(10月27日)、やっと炉へ火を入れ、釜をかけ、
濃茶と薄茶平点前の初稽古をしました。
いつもより大分早い炉開きです。

開炉の時期について、利休さまは
「柚子の実の色づく頃に・・・」
年による寒暖や降雨の違いをこのように表現されたのでしょうか。
一方で、旧暦十月の初の亥(い)の日に、塞がっていた炉を出すことを
茶家の習いとしています。
社中が集い、 炉の初稽古を行い、炉開きとなります。

この頃は口切の時期とも重なりますので、盆と正月が一緒に来たような
賑やかなことになります。

昨年初めてN先生の元で、「炉開きと口切の会」へ参加させていただきました。
「11月の花月之式の稽古は口切の茶事形式で、
 炉開きを兼ねていたします。」
11月5日がその日でしたが、アットホームな内にもとても充実した会でした。
詳しくは「炉開きと口切の会」をお読みくださいませ・・・。

                 

今年、我家の炉開きを早くする訳がありました。
11月14日に行う茶事に備えてのことです。
今年2月の鶯の茶事以来、久しぶりの茶事なのです。
風炉から炉へ点前が変わるので、身体と頭がスムースに動くよう
稽古を積まなくてはなりません。
それに、炉用の釜や使用する茶道具を使い込んでおきたいのです。

炭を置いて火を熾し、釜に水を入れて湯を沸かし、
新しい茶入から茶碗に茶を入れ、点ててみます。
道具組を決めてからでも、足りないものはないか、不都合はないか、
実際に点前をしながら確かめます。時には時間を計りながら・・。

「ご準備大変ですねぇ・・・」
「とんでもございません・・・
 茶事ができることがとても嬉しく、ありがたいです」

茶事の楽しみは亭主七分と言われていますが、
無い道具をあれこれ考えて工夫工面したり、
お客さまの顔を思い浮かべて茶碗の順番を入れ替えたり、
稽古不足を痛感して、稽古に夢中になったり、
今が一番楽しい時なのです。

ですから不器用な暁庵は、茶事までなるべく用事を入れないで
茶事の準備を楽しみたいと思っていますが、
単純なようで、これまた大変なことです・・・。

                             

  写真下の花入は、「平和島 骨董まつり」で購入した蛸壷
  花は秋明菊です。

箱根 金時山へ

2010年10月26日 | ハイキング・ぶらり散歩
10月24日、大学時代の友人たちと箱根・金時山へ登りました。

金時山は箱根の外輪山の一つで、標高は1212m。
遠くからでも一目でわかる特徴的な山容を持ち、
山の形からかつて猪鼻嶽(いのはなだけ)と呼ばれていました。

坂田公時(さかたのきんとき、幼名金太郎)がこの山で山姥に
育てられたという伝説から、金時山と呼ばれています。
2時間くらいで登れ、富士山や山頂からの眺望が素晴らしいので、
箱根でも人気の高い山です。
 
                 
                 
                
「ご一緒に金時山へ登りませんか?
 ゆっくり登りましょう。
 最少催行人数5名で、暁庵が同行いたします」

同窓会のアトラクションの一つとして幹事の呼びかけに
7名が申し込んでくれました。8月のことです。
10月に入って友人たちも所用が重なったりで、5名になりました。
加藤さん、寺尾さん、岩崎さん、河村さん、そして私です。

実は、2週間前から右足全体の痺れや痛みがひどく、私自身が
「登れるかしら?」と案じていました。
マッサージや湿布薬のおかげで何とか痛みが無くなったので、
やっと最終打ち合わせの電話をかけたのは二日前でした。

コースは4つありますが、明神ヶ岳登山の折、
下山道で通った「矢倉沢コース」を登り、
帰りは「公任(きんとき)神社コース」で下りました。

                 
                 

仙石の金時山登山口を10時20分頃から歩き出し、頂上へ着いたのが12時20分。
途中、リンドウ、秋の田村草、ホトトギスなど秋の花がいっぱい咲いていました。
河村さんと私は花の写真を撮りながら、ゆっくりマイペースで登ったので、
他の3人には大分頂上で待たせてしまいました・・・ゴメンナサイ!

それでも、同窓の5名で金時山頂上に立てたのはとても嬉しく、
加藤さんがマサカリを持った、記念写真を撮りました。
「ばんざぁーい!」

天気の崩れが早く、時折、小雨がぱらつく天気でしたが、
大湧谷、仙石原、箱根の山々が見渡せて、これで富士山が
見えればいうことなし・・・でした。
金時娘の茶屋へ寄り、ボリュームのある名物味噌汁とコーヒーを
頂きながら、旧交と身体を温めました。

大学を卒業してから何十年も立ち、それぞれ仕事をやり遂げて
今こうして会ってみると、
元気に会えること、一緒に愉しく行動できることの
シアワセをつくづく感じました。

また、一緒に登りたいと思いますが、
みんなの足を引っ張らないように
もう少し、身体と足を鍛えなければ・・・です。

                           後から 

  写真は上から、「金時山」
           「金太郎と山姥 歌麿画」
           「山麓の金時蹴落石」
           「ガマズミの実」
           「松虫草」
 

長屋門公園 「古屋和子一人語り」

2010年10月23日 | 茶事
横浜市長屋門公園の清水靖枝さんから
「古屋和子さんの一人語りが10月16日(土)午後にあるので
 いらっしゃいませんか?」
と、お誘いがありました。

「古屋和子一人語り」は長屋門公園で年1回開催されている
大好きなイベントですが、なかなか行けませんでした。
囲炉裏ばたの舞台で琵琶をかきならしながら語った
「修善寺物語」の素晴らしさを思い出し、すぐに申し込みました。

二百年を経た古民家の囲炉裏ばたが舞台であり、客席です。
座布団が板の間に並べられ、土間には椅子席が設えてありました。

                 

シックな着物姿の古屋和子さんが琵琶を持って登場しました。
演題は池宮彰一郎作 赤穂事件外伝より
「その日の吉良上野介」と「下郎奔る(はしる)」でした。

「その日の吉良上野介」は、
赤穂浪士の討入りのあった元禄15年12月14日の前日、
吉良邸の茶室で上野介が家臣と明日の茶会の準備をしながら
浅野内匠頭が刃傷に及んだ、その日のことや
刃傷へ至った数々の行き違いの経緯、心境を思い起こすというものです。

天下の名器、「交趾の大亀香合」がからむ話になっていて、
夢窓国師の墨蹟、鶴首古銅、名物の茶道具が次々と話の中に登場するので
茶会の道具組や様子を想像しながら、楽しみました。

赤穂事件最大の謎とされる刃傷の真因が
吉良上野介の述懐として次第に解き明かされていきます。
詳しくは小説(角川文庫)をお読みください。
内匠頭の刃傷沙汰について従来と全く違う解釈が成り立つことが
新鮮で面白く、大いに納得させられました。

ぐいぐいと私たちを古屋和子の「語り」の世界へ惹き込んで行く
古屋和子さんの力量に惚れ直しました。

偶然隣り合わせた太田さんから、いろいろな「語り」を聴く会が
あることを教えて頂き、名詞交換しました。
今度「語り」の会があったらお知らせくださるそうです。
古屋和子さんが語ることもあるとのことで、楽しみです。

             

最後に古屋和子さんの略歴を紹介します。 

 早稲田小劇場を経て、1978年水上勉主宰「越前竹人形の会」を
 契機に「語り」に取り組む。
 その後、横浜ボートシアターの女優を経て、現在「一人語り」で活躍中。
 平家・近松の古典や泉鏡花・中島敦・ユルスナール・宮澤賢治・安房直子等
 幅広いレパートリーを持つ。

                            

追伸です。10月30日(土)14時開演
「俳優高橋長英一人語りの会」が長屋門公園であります。
詳しくは長屋門公園HPをご覧ください

草和会茶会

2010年10月20日 | 茶会・香席
10月17日(日)、畠山記念館・明月軒で行われた
草和会茶会へ伺いました。
花月でお世話になっている悠遊会の重鎮、K先生社中の茶会で、
茶友のSさんとIさんをお誘いして出かけました。

点心席で一献と三友居のお弁当を頂いてから、
明月軒本席へ席入りしました。
要所に顔見知りの方がいらして、同じ社中のような親しみを感じます。

床のお軸は、鵬雲斎大宗匠の力強いお筆で
「日々是無事」

「毎日がただ無事ではなく、無事であることを歓び、
 我が身の糧となるような日々を送りたい・・・。
 いつもこのお軸をみると、大宗匠に背中を押して
 頂いている気がします」
席主のお話を伺ってジーン・・心を打つものがありました。

K先生と社中の皆様が今日無事に草和会茶会を迎えられ、
私も茶友共々元気に参席できたことが嬉しかったです。
「おめでとうございます・・!」

糸ススキ、秋明菊、ホトトギス、リンドウが備前花入に
すっきりと入れられ、香合は上品な白菊置上です。
席入りの時、お香の好い薫りがしたと次客さま(私は風邪気味で?)、
席名は第一席が初音、第二席は白菊、第三席は柴舟
三つの名香から名付けられて、ステキなご趣向でした。

                          
主菓子は、虎屋製の「秋の彩(いろどり)」。
黒餡を白餡で包み、紅葉色のそぼろを纏ったきんとんは
しっかりした甘みでした。
濃茶点前が始まると、二十名の席中が静まり、点前を見守ります。

私たち五名は水屋からの点だしでしたが、
光右衛門造の鼠志野茶碗で美味しく頂きました。
最近やっと、志野の良さが解りかけてきたところなのです。

茶銘は宇治すみよ園の「洛の露(みやこのつゆ)」です。
茶会が始めての殿方がいらして、折角の濃茶が少し残っていたので、
もう一度頂いてしまいました(役得!)。
お二人とも堂々とした所作で、濃茶と薄茶を喫んでいました。

お道具は、どれも素晴らしいものばかりでしたが、
拝見した薄茶の主茶碗は、九代大樋長左衛門の飴釉でした。
軽く手に優しい形、飴釉の繊細なきらめきが今でも瞼に残っています。
私は青磁雲鶴の茶碗で薄茶を頂きました。
青磁の上品な色相が印象的な茶碗で、雲鶴のバランスも好ましく、
しばし離しがたい思いがしました・・・。

遠目にも形と上釉が美しい茶入は高取の肩衝で、亀井味楽造。
枯淡の味わい深い茶杓は鵬雲斎大宗匠御自作で銘は「一粒万倍」でした。

              

「茶会はもうやりません・・」と、以前言ってらしたK先生。
社中の修練のため、母上から引き継いだお道具のため、
そして、何より先生ご自身のために茶会をやり遂げられて、
本当に良かったです!
どうぞ懲りずに、また、暁庵をお招きください。

                        ときどき 


  写真の一番下は、おみやげに頂戴した「兎饅」(虎屋製)

立礼の茶事 (2) 神無月に

2010年10月18日 | 思い出の茶事
本席の軸は、十四代淡々斎のお筆で
「遠山無限 碧層々」

お正客さまから懇ろに待合、露地、掛物など、ご亭主のお心入れを謝し、
懐石がはじまりました。
亭主相伴の間に杯台を正客へ、円椅を正客前に置きました。
あとでご亭主が
「あらっ、円椅を運んでくださったのですね。
 折角ですので、お正客さまとだけ献酬させていただきます」
立礼の懐石で千鳥の杯を行う時、半東が控えていて
移動のたびに円椅を動かしますが、省略する場合も多いのです。

懐石を和やかに美味しく頂戴すると、炭が置かれました。
炭斗は桐の蒔絵が優雅な冊屑箱(さくずばこ)でした。
香合は、梨地に秋草蒔絵の錫縁小箱で、
「かなり古いもので江戸より前の時代のものでございます。
 お姫さまが琴爪でも入れていたのでしょうか?」

炭手前が終わり、縁高が運びだされました。
主菓子がとてもステキだったので、ご紹介します。

薄紅色の芙蓉の花のようで、葉が敷かれていました。
中は白餡、葡萄酒と葡萄ジュースが入った葛で包まれ、
花芯の干し葡萄が3粒のっています。
菓子銘を聞き損ねましたが、フルーティで上品な甘さが絶品でした。

               
 
中立のあと、迎えつけは銅鑼でした
音(響き)と間合い、大小中の打ちわけも程好く、
いいですねぇ・・・大好きな瞬間です。
後座の床には、祇園守り、鉄線、ホトトギス、ワレモコウなど
名残りの花が背負い籠へ入れられています。

点茶盤の茶道具は、海外へ夢が広がるようなエキゾチックな取り合わせでした。
中でも義山の大きな水指はリスの絵柄のある珍しいもので、
団扇のような平たい耳が面白く、木蓋は遠い異国の教会の扉とか。

よく練られた濃茶を美味しく頂戴しました。
この一服を差し上げたくって・・・という
ご亭主の気持ちが込められていました。

主茶碗は志野で、豪快な作風の茶碗ですが、
秋風になびくススキのようにも見えて、時候にぴったりです。
添えられた古袱紗が素晴らしかったです。
ずっしりと重い玉虫のような煌きのあるモールで、
密かに「玉虫の厨子」と名付けました。
次茶碗は弘入の赤楽で、これも味わい深いものでした。

後炭手前をしっかり見せて頂き、風炉中拝見では
灰形、炭の風情に嘆声が続きます。
鮮やかな五色の組み紐で編まれた釜敷に惹きつけられました。
あとで淡々斎の箱書を拝見すると、記念とだけありましたが
何の記念か、謎だそうです。

薄茶と干菓子を美味しく頂戴し、
N先生のおもてなしを深く心に刻んでお暇しました。

ご亭主さま、お正客さま、ご同席の皆様、有難うございました。
Nさんと共に過ごした、神無月の優雅な一会でした・・・。

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