暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

2016年 炉開きの会・・・・・その1

2016年11月05日 | 暁庵の裏千家茶道教室

 <img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/cb/e10512679538c91302f42c5d3095b945.jpg">  

                   「献上かざり」

11月2日に暁庵の茶道教室の炉開きの会をしました。
11月2日にしたのは2つの行事、「亥の子」と「献上かざり」を取り入れたいと思ったからです。

炉開きはふつう旧暦10月(亥の月)の初亥の日に行うそうですが、今年は11月1日がその初亥の日でした。
江戸時代から亥は陰陽五行で水性にあたり、火災を逃れるという信仰がありました。
茶の湯の世界でもその日を炉開きの日として、茶席菓子として「亥の子餅」を食べ、火災の厄除けや子孫繁栄を願います。

「亥の子(いのこ)」という年中行事があり、主に西日本で行われています。
旧暦10月(亥の月)の最初の亥の日に行われ、玄猪(げんちょ)あるいは亥の子祭りとも呼ばれていて、「亥の子餅」を食べ、無病息災や子孫繁栄を祈ります。

愛媛県西予市出身のツレの話では、その日に子供たちが地域の家々を、唄を歌いながら亥の子石で地面を搗いて回るそうです。
子供たちが石を搗くと、餅、菓子、小遣いが振る舞われ、皆で均等に分けるとか。
外国の風習のハローウィンが日本で大もてですが、「亥の子」の年中行事は廃れつつあるらしく、なんか残念ですね・・・。
菓子舗「寿々木」製の「亥の子餅」を予約できたので、炉開きの趣向の一つにしました。
(亥の子餅を食べ終わってから写真がないのに気が付きました・・・ )


「遠山無限碧層々」のお軸

もう一つは「献上かざり」です。
11月3日は「文化の日」ですが、昭和23年までは「明治節」といい、明治天皇の生誕日でした。
「明治節」を祝って、菊の花を奉書と紅白の水引で飾る「献上かざり」をしたそうです。
菊花は黄色で、2日までは小菊を、3日からは大輪の菊を飾ります。
この風習もすっかり廃れてしまっていて、茶友の炉開きの茶事(2014年11月)で初めて見聞きした次第です。
それで、11月2日なので黄色い小菊の「献上かざり」とし、趣向の一つにしました。                
さて、肝心な炉開きの会ですが、茶事の稽古になるので茶事形式で行いました。
待合(板木、白湯)、外腰掛、迎え付け、席入、(炉開きの挨拶)、口切、初炭、昼食(懐石弁当、煮物椀、一献)、菓子、中立(銅鑼)、濃茶(台天目と濃茶平点前)、薄茶、退席です。



待合で詰Yさんが板木を打つと、亭主Fさんが汲み出し(志野焼)をお出しし、外腰掛へご案内しました。
席入後に改めて炉開きの挨拶をし、新しく入会された方の紹介や全員の自己紹介をしました。
亭主Fさんへ再びバトンタッチし、お一人ずつと挨拶を交わし、いよいよ口切です。
正客N氏より「ご都合によりお壷の拝見をお願い致します」
「ご都合により・・・」と言ったのは、口切の前と、口切の後に拝見するのと仕方が二通りあるからです。ここでは口切の前に拝見する仕方で行いました。

床に荘られている壷がかぎ畳へ運ばれ、口紐と網が外され、かぎ畳を大きく回って正客前へ運ばれました。
右から左へ、左から右へ・・・・、カニ手(?)で壺を持ち、重いので下でごろりごろり・・・ゆっくり回して拝見です。



拝見を終わり、亭主が御茶入日記を正客へ運びだし、壺を持ち帰ります。
封印を改め、再び口覆をすると、正客N氏より
「お壷は?」
「丹波焼で、市野信水作でございます」
「小壺ながらぴりりっとした切れ味があり、壷肌にかかる釉薬の景色が何とも味わい深く・・・堪能させていただきました。お口覆の裂地は?」
「笹蔓緞子でございます」
「ありがとうございました」


       2016年 炉開きの会・・・その2 へつづきます


      暁庵の裏千家茶道教室   前へ   次へ   トップへ


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。