暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

車で四国遍路・・・(12)般若心経を合唱する

2019年09月29日 | 車で四国遍路

第52番太山寺・・・長い長い石段のある札所が多いです

つづき)
5月29日 
第10日目(5月29日)の行程
ホテルマイステイズ松山(バイキングの朝食が美味しくお勧め)~第52番太山寺~第53番円明寺~松山市堀江の親戚宅~第54番延命寺~第55番南光坊~第56番泰山寺~第57番栄福寺~第58番仙遊寺~第59番国分寺~別格第10番興隆寺~別格11番生木地蔵~ビジネスホテル田中屋泊



朝一番に第52番太山寺の長い石段を上りながら、松山のSさまを思い出しました。
私もですがSさまも膝を悪くされていて、施茶の場所として太山寺が候補にあがったのですが、駐車場から本堂まで長い階段を登らなくてはならず・・・ここでは無理と断念した寺です。
早朝の札所は参拝者が少なく、気持ちも新たに般若心経を唱えました。

般若心経は一番短いお経だそうで、全文276字です。
経本を開き、文字を追い、よく理解できないままにお経を唱えています。
般若心経を唱えている時は集中して無心の境地になることもあり、そんな時に「車で四国遍路」の充実感を感じます。


 第52番太山寺の本堂(国宝)・・・鎌倉時代に河野氏が再建


 第53番圓明寺にあるキリシタン灯ろう(十字架形灯ろう)


 握手修業大師と握手しました・・・第59番国分寺

第59番国分寺は恩師N先生の生家の近くと言うことで、何か親しみのある気持ちで訪れました。
本堂近くに握手大師がいらして、ユーモラスな看板がありました。
「お大師様と握手をして 
    願い事を一つだけ
 あれこもこれもはいけません
 お大師様も忙しいですから  五十九番国分寺」


もちろん、握手して一つだけお願いしました。
事故に遭って以来、遍路中の願い事はただ一つ「結願して無事に帰れますように・・・」。


 第59番国分寺・・・だいぶ日が傾いてきました

陽がだいぶ傾いて来て、境内には誰もいなかったので、ツレと般若心経をやや大声で唱和しました。
最初の頃は息が合わず、経本の読みの違い、息継ぎの場所、変なアクセントやリズムが互いに気になったり、途中で読経が止まってしまうこともありました。
毎日何度も般若心経を唱和していくうちに、自分の思う通りでなく相手に合わせていけば、向こうも自然に合わせるようになることにやっと気が付き、次第に読経に集中できるようになりました。

そんな葛藤を経ての第59番国分寺で同年代の男性のお遍路さんが声を掛けてきました。
「先ほどから聞かせてもらいました。
 お二人の般若心経が美しくハモって、合唱も好いものだなぁ~と聞き惚れていました」
思いがけないお言葉にびっくりして
「お恥ずかしゅうございます」と照れて言うと、手を振って
「いやいや・・・とんでもありません。ありがとうございました」
「こちらこそ、お声掛け頂き、ありがとうございます・・・(合掌)」


    「般若心経」のお軸

横浜へ帰ってから少しでも「般若心経」に近づきたいと思い、「松原泰道師「般若心経」を説く」のCDを何度も聞きました。特に次の3つを興味深く伺いました。

○ 般若心経は文字ではない
釈尊の教えを伝承する詞なので文字はあっても文字で表わさない・・・そうです。今は経本がありますが・・・教えを耳に聞いて、それを他に伝承するのが基本です。(陰の声・・・お茶の教えと同じですね)

○ 「空(くう)を説く」 
空とは、全ての物事は移り変わって行く、とどまることがないという意味です。
従って、物事にとらわれず、移り変わることを受け入れる心の重要さを説いています。

○ 「無我」
無我とは、物事(人)はそれぞれが単独で存在することができないので、いろいろなものが関連して成り立っていることを意味します。
従って、人々や物事の関係に注力し、そのことに感謝する心の重要さを説いています。

松原泰道師の易しく語りかける講話を伺うと「ふむふむ・・・」とわかった気になるのですが、こうして書いてみると難しく、理解が今1つなのがよくわかります。

懲りずに思うことは、元気でツレと2人で四国遍路へまた行きたいな!
そして、無心に頭を垂れて、般若心経を合唱したいです。  


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車で四国遍路・・・(11)感激! 薄茶一服のお接待

2019年09月26日 | 車で四国遍路

石手寺・・・中門前にある橋は「洗い石」と呼ばれ、遍路は通ることができません
弘法大師が渡ったとされ、石の裏側に経文が刻まれているそうです


つづき)
5月28日12時半頃に第51番石手寺に着きました。
その日は雨模様、しかも5月末のオフシーズンのせいか、正面入り口にある回廊の店は閉めらえれていて、いつもの賑やかさはありません。
あわただしく本堂と大師堂にお詣りしました。


 大わらじが奉納されている仁王門(国宝)で一礼

その頃から雨が激しくなってきて、待ち合わせ場所の駐車場へ急ぎました。
すると、傘をさした女性がたたずんでいました。
「こんにちは。暁庵と申しますが、Sさまでしょうか?
「はい、Sです。初めまして・・・ようこそ松山へいらっしゃいました」
「雨の中をお待たせしてすみません・・・。今日はお世話になります。
 このような姿(白装束)ですが、お許しください」
松山城や坂の上の雲ミュージアムへ行くというツレと別れ、Sさまの車に乗り込みました。


石手寺の三重塔・・・右手の赤い旗のある建物が「茶堂」(休憩所)


 金糸梅 (季節の花300)

松山城北側にあるSさま宅へ伺うと2匹の陶器の番犬がお出迎えです。
見事な石組のある庭に面した八畳の茶室へ通されました。
広い床の間、書院棚、戸棚に貼られた裂地など、凝った造りに目を見張りながら御軸を拝見すると、
「和気兆豊年」
たしか雲林院寛道筆とお伺いしました。(「雲林院」とは能がお好きだというSさまらしい・・・です)

見も知らぬ遍路中の暁庵を自宅へ招いてくださった上に、「和気・・・」の御軸を掛けて歓迎してくださったSさま・・・お気持ちが素直に伝わって来て、嬉しく思いました。
乾漆でしょうか、瑞々しい緑の「胡瓜」香合が荘られていました。
自宅の庭のものなの・・・という花は、縞葦、ホタルブクロ、京鹿の子、七段花、金糸梅。
唐物四方籠に華やかに生けられ、雨模様の陰鬱さを吹き飛ばしてくれました。


 ホタルブクロ (季節の花300)

点前座は、唐銅の道安風炉に筒釜が掛かっていたように思います(なんせ、必死に思い出していますの・・・)。
宗旦好みの黒塗丸卓に朝鮮唐津の水指がシックな雰囲気を醸し出していました。
棚の上に置かれている棗が目を惹きました。
朱塗なのですが、とても落ち着いた色合い(うるみ朱?)で、あとで拝見するのが楽しみです・・・。

私の膝を心配して、小さなテーブルと椅子が用意されていて、そこに座らせて頂きました。
先ずはお菓子を頂き、Sさまのお点前(裏千家流)で薄茶を頂戴しました。
たっぷりいただくと、まろやかな薄茶が喉を優しく潤してくれました。
茶碗は、時代のある高麗青磁のようで落ち着いた色合いが好ましく、見込に魚が3匹泳いでいます。

替茶碗でもう一服頂戴しました。
八ツ橋でしょうか、菖蒲が美しく華やかな替茶碗は今岡妙見作でした。
お仕舞になり、棗と茶杓の拝見をお願いしました。
先ほどから気になっていた棗は、朱塗の中棗で蛍蒔絵があり山中塗です。
手の中に棗を入れると、蛍が一瞬、光を放ったように見えて楽しい棗でした。

茶杓は自作で、「仮の宿」というご銘でした。
・・・遍路途中の「仮の宿」で、素晴らしい庭を眺め、雨音を聞きながら、薄茶一服を堪能しました。


    京鹿の子 (季節の花300)

薄茶のお接待の後、共通の知り合いの茶人さんの茶事の話しで大いに盛り上がりました。
きちんと茶事ごとの写真や記録をファイルしていらして、ご亭主をよく知っている茶事の記録も多く、Sさまとの御縁を改めて感じた次第です。私もその茶事に同席しているようで楽しかったです。

お別れの時が近づいてきました。
お土産に持参した「あられ糖」(岡田製糖所)と茶杓をお渡ししました。
茶杓は大徳寺高桐院・松長剛山師の銘で「二人静」です。
「能がお好きと伺っていたので「二人静」の茶杓を選びました」
「何よりのお土産です。早速、茶事で「茶杓荘」をしたいと思います」(喜んでくださってヨカッタ!)

Sさまから木工の三匹のカエルをお土産に頂きました。
「四国遍路を結願して、無事に横浜へカエルように・・・」と。
何よりのお土産をありがとうございました! お蔭様で無事にカエルことができました。  


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車で四国遍路・・・(10)第48番西林寺で施茶 「有縁相會」

2019年09月20日 | 車で四国遍路

  松山市内にある第48番西林寺 (門を入って右側に茶堂がある)

つづき)
ちょっと先を急いで途中を飛ばします。また、戻るかもしれませんが途中の行程(5月26日と27日)を文末に記しました。

5月28日 ときどき
第9日目(5月28日)の行程
古岩屋荘~第46番浄瑠璃寺~第47番八坂寺~別格9番文殊院~第48番西林寺(施茶をする)~第49番浄土寺~第50番繁多寺~第51番石手寺~Sさん宅にてお接待して頂く~ホテルマイステイズ松山(泊)



四国遍路へ出発前に松山市在住のSさん
「松山の札所の何処かで2人で施茶(お遍路さんに茶を点てふるまうこと)をしてみませんか?」
というメールが交わされていました。
松山へ近づくと、次第に施茶モードになって来て「どこか施茶ができる場所があるかしら?」と札所ごとに気になり始めました。

5月28日は朝から雨が降ったりやんだりで、午後になると雨がひどくなるという予報でした。

国民宿舎・古岩屋荘を出発し、33号線三坂道路を走るとすぐに第46番浄瑠璃寺へ着きました。
浄瑠璃寺から第51番石手寺まで札所が7ヶ所もあり、Sさんと13時に石手寺で待ち合わせをしていました。
雨のためSさんとの施茶は取りやめ、午後はゆっくりSさん宅で薄茶一服のお接待を受けるという何とも贅沢な予定です。
それまでに石手寺までのお詣りを済ませたい・・・と少々あせり気味でした。



   西林寺の境内 (茶堂の写真がないのが残念・・・)

第48番西林寺へ着くと、門前に境内の建物配置図があり、「茶堂」と書かれた建物がありました。
「茶堂」は屋根のある立派な休憩所で、造り付けのコの字型にベンチがあり、時にはお遍路さんへ茶などをふるまい、お接待する場所のようです。

「なんて立派な茶堂なんだろう」と横目で見ながら、本堂と大師堂へ急ぎました。
帰りに茶堂を通ると、お遍路さんが3人(男性2人女性1人)大きなリュックを下ろして休んでいました。
2人は外国人で、歩きのお遍路さんと一目でわかります。
疲れ切っている様子をみると急にお茶を差上げたくなって、声を掛けました。
「あのう~お急ぎですか?
 よろしかったらお接待させてください。茶道のお点前で抹茶とお菓子を差し上げたいのです」
「えっ!よろしいのですか? ぜひお願いします」北海道から来たという男性が代表して応えてくれました。



  持参したMy茶箱 (色紙蒔絵のある一閑塗)


  茶箱の中身 (茶箱・雪点前の仕度になっています)

駐車場が近かったので、車から茶箱一式を持って来て、茶堂の一画がお茶空間に早変わりです。
ツレに手伝ってもらい、卓上コンロで湯を沸かしてもらいました。
その間に、茶箱や建水を用意し、姿勢を正し、雪点前を始めました。
先ずは振りだしを取り出し、遍路2日目に岡田製糖所で買っておいた霰糖(和三盆糖)を賞味して頂きました。
仕服を脱がすと、棗や茶碗や茶杓が現われ、帛紗や茶巾で浄めていきます。


  家で雪点前の稽古を・・・(遍路中は鉄瓶がポットに代わります)

いったい何が始まるのだろうか・・・と、3人のお遍路さんは目を丸くして興味深そうにお点前を見守っています。
一服目が点ち、飲んで頂きました。
「いかがでしょうか?」
「とっても美味しいです」
「お抹茶を飲んだのは初めてですか?」
「飲んだのもお点前(tea ceremony)も初めてです。遍路中にこのようなお接待を受けて元気をもらいました。
 四国へ来て遍路をして良かった! 本当にありがとう!」

彼らも私もカタコトの日本語と英語での会話ですが、3人の喜びと感動が素直に伝わって来ました。
(こちらこそありがとう! たくさんエネルギーを頂いた気がします)
「勇気を出してお声掛けしてヨカッタ!」と思い、お茶の持つ不思議な力を実感したのでした。
彼らの感動がツレにも伝わったようで、いつにもまして甲斐甲斐しく手伝ってくれました(アリガトウ!)。

お礼に納札を3人から頂き、私の納札を差し上げました。
香港から来たという女性から渡された納札の裏に次のように書かれていました。

Thank you for your tea.
It's my pleasure to meet you too.

有縁相會


ステキな一期一会でした・・・。      



5月26日  
第7日目(5月26日)の行程
ツレの故郷・西予市に2日間逗留。午前中に亡き両親の墓参りや親戚への挨拶廻り、溜まっていた洗濯物を片づけ、すっきりしました。
午後になって、第43番明石寺~別格6番龍光院~宇和島市伊達博物館~宇和島にてサイドミラーの交換修理~西予市の親戚宅(2泊目)


5月27日  夕方から
第8日目(5月27日)の行程
西予市の親戚宅~別格7番出石寺~別格8番十夜ヶ橋~第44番大宝寺~第55番岩本寺~古岩屋荘(泊)



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車で四国遍路・・・(9)足摺・金剛福寺と補陀洛渡海

2019年09月11日 | 車で四国遍路

  足摺岬・白山洞門・・・この海の彼方へ向かう「補陀落渡海」があったという

つづき)
5月25日 晴れ 
第6日目(5月24日)の行程
ネスト・ウエストガーデン土佐~第38番金剛福寺~白山洞門~第39番延光寺~第40番観自在寺~第41番龍光寺~第42番仏木寺~西予市の親戚宅(泊)


その昔(もしかしたら今でも・・・)、お遍路さんは深い悩みや生老病死の苦しみを抱えている人がほとんどでした。帰る家もなく、仏の慈悲を願いながら亡くなるまで遍路を続ける人もいたと聞いています。

足摺岬の断崖に建つ第38番金剛福寺は、蹉跎山・補陀洛院・金剛福寺(さださん・ふだらくいん・こんごうふくじ)といい、御本尊は三面十一面観世音菩薩です。
院号に補陀洛院とあるように、足摺岬から「補陀落渡海」が行われていたと聞いたことがあります。
以前から「補陀落」とは?「補陀落渡海」とは? わからないまま不思議に思っていたので調べてみました。

補陀落(ふだらく:Potalakaの音写)はインド南海岸にある観世音菩薩の住処(浄土)のことで、平安時代に観音信仰が盛んになると、補陀落に擬された場所が各地に存在するようになりました。
日本では紀州の熊野那智、高知の室戸岬や足摺岬などが有名で、補陀落信仰の聖地となっています。


     金剛福寺の山門

金剛福寺は、補陀落の東の入口として、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が建立したと伝えられています。
かつてここから観音浄土への往生を願って、帰らぬ覚悟で小舟に乗って海へ出かける「補陀落渡海」が僧行として行われていたという。
平安時代から江戸時代末まで行なわれ、全国で56例の記録・文献が残っています。そのうち熊野那智からの渡海が一番多く28例、高知足摺からの渡海は7例が記されていました。


大きな池(海?)のある浄土庭園が新しく作られていました・・・金剛福寺にて


足摺からの「補陀落渡海」の記録の一つに後深草院二条(正嘉2年(1258年)-没年不詳)が嘉元4年(1306年)に記した「とはずがたり」があります。
以下に讃岐屋一蔵氏の古典翻訳ブログより「とはずがたり 現代語訳 巻五4」の一部を転用させて頂いた。

4 足摺
・・・(前略)・・・
その岬には一宇の堂がある。本尊は観世音菩薩でいらっしゃる。
垣根もなく、また坊の主もいない。ただ修行者や行きずりの人が集まるだけで、身分の上下もない。
「この堂にはどのような縁起があるのですか」
と尋ねると、次のように語った。

 むかし一人の僧がいた。この地で修行していた。を一人使っていた。
そのは慈悲を第一とする志を持っていたが、どこからともなく一人の法師がやって来て、朝食と午後の食事をするようになった。

はいつも自分の食事を分けて食べさせていた。坊の主は注意して、
「一度や二度ならまだしも、いつもそのように分け与えていてはいけない」と言った。
法師は翌朝も食事の時刻にやって来た。
「私は食べさせてあげたいと思いますが、坊の主がお叱りになるのです。今後はおいでにならないでください。今回限りです」と言って、また自分の食事を分けて食べさせた。やって来た法師は、
「あなたのかけてくださった情けが忘れられません。どうか私の住み家へおいで下さい。さあ、参りましょう」と言う。はその言葉に誘われてついて行った。

坊の主が怪しく思ってこっそりあとをつけると、二人はこの岬にやって来た。
そして一艘の舟に乗り、棹をさして南の方へ行く。坊の主は泣きながら、
「私を見捨ててどこへ行くのだ」と言うと、は「補陀落(ふだらく=観世音菩薩の浄土)へ参ります」と答えた。
見るとと法師は、二体の菩薩になって舟の舳先と船尾に立っている。

坊の主はつらく悲しくなって泣きながら、足摺りをしたということだ。そこでこの岬を足摺の岬というのである。
岩にはの足あとが残っているのに、坊の主はむなしく帰ってしまった。
それ以来「分け隔てする心があるために、このようなつらい目に遭うのだ」と垣根も設けず、身分の上下もなく人々が集まって暮らしている。


 『法華経』に、「観世音菩薩が三十三通りに姿を変えて現れ、教えを垂れて衆生をお救いになる」とあるのはこのことかと思うと、まことに頼もしい。






選ばれて或いは自ら志願して観世音菩薩の住処へ導かれる「補陀落渡海」へのあこがれと、この世に残り生きることの意味を問い続ける坊の主・・・どちらもそれで良かったのだと思いたい。

金剛福寺にはもう一人、ゆかりの女人がいらして気になるものがありました。
大好きな和泉式部です。
平安時代に和泉式部が自ら黒髪を埋めて供養したという逆修塔(生前に死後の冥福を祈って自ら建てる墓)があるはずです。
案内板もなく、運よくお寺の方にお尋ねして教えて頂きました。


  和泉式部逆修塔・・・向かって右の石塔

後深草院二条と言い、和泉式部と言い、この最果ての金剛福寺を訪れ、何かを強く願い、逆修塔まで建立する情熱に圧倒され、ちょっぴりエネルギーを頂いたように思います。
そのエネルギーをお裾分けしたくって、お土産のお守りをたくさん買い込みました。  


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車で四国遍路・・・(8)事故に遭う

2019年09月07日 | 車で四国遍路

   第32番禅師峰寺(高知市)から太平洋とこれから向かう足摺方面を眺める

つづき)
5月24日 晴れ 
第5日目(5月24日)の行程
南国ビジネスホテル~第30番善楽寺~第31番竹林寺~第32番禅師峰寺~第33番雪渓寺~第34番種間寺~第35番清瀧寺~事故に遭う~第36番青龍寺~別格5番大善寺~第37番岩本寺~ネスト・ウエストガーデン土佐(泊)



5月24日はいろいろあって、長く大変な1日でした。
朝一番に第30番善楽寺へ向かったのですが、ナビの誘導する場所に寺が見つからず迷いました。
運よく車がやって来たのでお尋ねすると
「善楽寺まで案内しますのでついて来てください」
お大師様のお導きの様に思われ、朝から助けて頂きました。

善楽寺から第34番清瀧寺(きよたきじ)までは順調に進みました。
第31番竹林寺は五台山にある名刹で、本堂の文殊堂、夢窓疎石の作庭と伝えられる庭園、五重塔など見どころ満載ですが、今回はお詣りだけで先を急ぎます。


      第31番竹林寺の五重塔

第33番雪蹊寺といえば、この寺の前で行き倒れていた山本玄峰師は山本太玄住職に助けられ、僧門に入り修行重ねます。後に名僧といわれるまでになったというエピソードを思い出します。山本玄峰師の銅像が建てられていました。


  山本玄峰老師の銅像・・・第33番雪蹊寺にて

第34番清瀧寺からの眺めがすばらしく、境内には高さ15mの薬師如来が建立されていて、胎内を戒壇めぐりすると厄除けになるそうです。
戒壇めぐりは大好きですが、この時はしなかったように思います(う~ん・・・それで厄除けが足りなかったかしら?)。


     第34番清瀧寺境内からの眺望


薬師如来の戒壇めぐり入口(出口?)・・第34番清瀧寺

清龍寺から国道56号線を走り、交差点(土佐市高岡)を右折し、宇佐方面へ行く39号線へ入ろうとした時の事です。
なんと!信号待ちの反対車線の車の間から軽トラックが急に出てきて、車の側面にぶつかりました。
「えっ!なんで横から車が・・・?」 
全く予想できないことが起ったのです。
警察や保険会社に連絡をとりながら、真夏日の炎天下、事故対応に時間とエネルギーを取られました。
サイドミラーが壊れ、ボディ側面に傷はついたものの、幸い車はそのまま走れそうです。


   側面の傷が痛々しい愛車・・・横浜へ帰ってから修理

事故に遭って、今まで眠っていた脳内のアクシデント対応回路にスイッチが入りました。
先ずはミラーの修理です。
部品調達に時間が掛かるとのことで、2日後に向かう宇和島市のスバル営業所に連絡し、部品を注文し2日先の修理を取り付けました。
でも、すぐに車を走らせ旅を続けたいので、近くのイエローハットへ飛び込みました。
店員さんに相談すると、「こちらには対応できるミラーがありませんが、100円ショップで探してみては?」
100円ショップで丁度良い大きさの鏡を購入し、サイドミラーに透明テープで取り付けました。なんとか、2日後の本格修理までこれで走れそうです。

いつ何処で何が起きるかわかりませんが、怪我もなく旅を続けられることが不幸中の幸い・・・と、お大師様にもう感謝!でした。


   第36番青龍寺の長い石段を一歩一歩・・・


波切不動明王とつながっている綱に「道中安全」を託して

事故対応に2時間以上掛かったので、その後は第36番青龍寺(しょうりゅうじ)、別格5番大善寺、第37番岩本寺までで精一杯でした。

第36番青龍寺は、参道に昔の遍路道の風情を残す札所です。
弘法大師が留学した唐の青龍寺を模した寺で、ご本尊は波切不動明王です。
弘法大師が唐から帰朝する時に不動明王が現われ、宝剣で荒波を切って海難から救ってくれたという伝説があり、不動明王に「道中安全」をお祈りしました。

青龍寺から横浪黒潮ラインを通り、須崎市の別格5番大善寺を初めてお詣りしました。
下に大師堂があり、急な坂道を登り切ると、本堂のある境内から須崎の海がキラキラ光って見えます。
ここは昔、海に突き出た岬になっていて「土佐の親不知」と言われ、旅人が波にさらわれるなど海難事故が多かったそうです。それを聞いた弘法大師は海岸に立つ二つの大石の上で死者の菩提を弔い、往来安全の祈祷を行い、一寺を建立したのが大師堂の起源で「二つ石のお大師さん」と呼ばれています。


    別格5番大善寺の鐘楼から須崎の海が輝いていました


  別格5番大善寺の本堂、下に大師堂があります

国道56号線を走り、17時ぎりぎりに第37番岩本寺に到着しお詣りを済ませました。

これにて本日の遍路は終了、さらに先の道の駅「ビオス大方」で車中泊の予定でした。
ツレが歩き遍路で泊ったというホテルへ食事に行くと、そこは私が歩き遍路の時にいつか泊まってみたいと思ったホテルでした。
心身共に疲れ切っていたので車中泊は止めて、急遽そのホテルで宿泊をお願いしました。
あこがれのホテルの大きな風呂に浸かると疲れも癒えて、また明日から元気に遍路が続けられそうです。
ホテルはネスト・ウエストガーデン土佐、幡多郡大方町入野にあります。

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