暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

ナマケモノの自主稽古

2024年04月08日 | お茶と私

    (我が家のしだれ桜が一分咲きです・・・さくら雨の合間に撮影)

 

3月末から立礼の稽古をあわてて始めました。

今年初めて立礼の茶事を4月半ばに予定しているので、自主稽古を泥縄で頑張っています。

いざ稽古を始めると、前回から半年経っているので覚えているつもりでも曖昧なことだらけでした。しかも、思い込んでいた間違いがあったりして「どうしょう!」

 

       (植え付け前のパンジーの鉢)

これから茶事が終わるまで毎日、たとえ一点前でもよいから稽古をすることにしました。

頭で考え理解することは重要ですが、それを身体でスムースに表現できるようになるには稽古を重ねるしかありません。

それに茶事で使う茶道具で稽古してみると、道具によって個性があり、ちょっとした気遣いが必要なこともわかります。

 

  (なかなか咲かなかったけれど今年は二輪咲きました)

久しぶりに「茶道点前の三要素」を思い出しました。

「茶道点前の三要素」とはだいぶ前にブログにも書きましたが、三要素とは、順番、位置(道具を置く位置、正面など)、所作です。

先ず点前の順番と位置の確認。

点茶盤に唐銅道安風炉を置くので少しだけ中央ラインがずれてしまいます。

炭手前をしてみると、炭斗が大きいので水指を奥へ置かないと、羽根を置くスペースが取りにくいことを思い出しました。また、釜を下ろす位置、どこまで引くか、鐶の置き場所、何より香合が取りやすいような釜の位置・・・などなど、実際にやってみて頭と身体で確認しながら進めています。

でもね!・・・この時間がとっても楽しいのです。

    (元気がなかった乙女椿に花が一輪咲きました)

今日は朝からさくら雨・・・桜の時期に降る雨を「さくら雨」と呼ぶそうです。稽古がお休みの日だったので午前中から稽古に没頭していました。

障子を開け放って庭に咲く花たちや木々の新芽に見守られながら、初炭、濃茶、後炭と集中して稽古します。無意識のうちにも「茶道点前の三要素」の基本を確認していたようです。

S先生の声が聞こえてきます。

「点前を崩すことはいつでもできますが、基本に忠実な点前が一番美しいと思います」と。

 

   (頂いたクリスマスローズが清楚な花を咲かせています)

敬愛する茶事の師匠の声が聞こえてきます。

「心を込めるのは当たり前ですが、心を込めていることを客にわかってもらえる点前を工夫することも大事です」と。

裏千家流の点前は無駄なことを全て削ぎ落したシンプルな点前なので、基本をしっかりと踏まえて、かつ緊張感のある美しい点前で御茶一服差し上げたいと思います。

とにかくやるきゃない・・・のです。普段の稽古をサボっていたことを反省しながら自主稽古に励んでいます。

そして、これがあるから茶事をするのかもしれない・・・と思いながら。 

 

 


立礼の茶事を再開します

2024年03月18日 | お茶と私

 

令和6年4月から立礼の茶事を再開します。

令和5年10月29日に「野月の名残りの茶事」(立礼の茶事)をした時に、炉の時期は茶事をお休みし、来年風炉の時期が近くなったら茶事をするかどうか決めよう・・・と思っていました。

先のことは何があるかわからないからです。

思いがけず手術入院がありましたが、入院中も茶事のことを考えていました・・・。

あと何回出来るかわからないので、1回出来たら、また1回とやって行きたいのですが、茶事はお客さまのためにするので、お客さまが決まらないと先へ進めません。

 

     (鶯神楽、蕗の薹、藪椿)

4月中に今年第1回の立礼の茶事をすることにし、お客様のご都合をお伺いしたところ、すぐに快諾してくださって嬉しい限りです。

お客さまは15年くらい前に出逢い、七事式や茶事を通していろいろご指導頂いた先輩方なので、今からお会いするのがとても楽しみです。

特にお正客様から私の茶事を最優先にして日程調整をしてくださるとのご返事を頂き、茶事が始まる前からもう!感激しています。

      (大紅と蕗の薹)

茶事をする時は約2か月前にお客さまへメールでご都合のお伺いをします。本当は1ヶ月前で良いのでしょうが、忙しい方もいらして2ヶ月前でも遅すぎたかしら?と思うほどです。

第2回目は5月中を予定していて、今まさにお客さまのご都合をお伺いしているところです。

古いブログの記事を読み返していると、その時の茶事の悩みや迷いを思い出すと同時に、心に入って来る文章に出合うことがあります。茶事のお正客様が決まらずに不安を感じていた時だったので、何か天の啓示を得たような気がしました。

     (如来三尊像(北魏)  根津美術館にて)

禅心茶話・・「捨てる」と「放つ」」(淡交2006年7月)に書かれた次の文章が心に入って来たからでした。

私たちの心は、時として不安やストレス、様々な欲望、嫉妬や羨望、優越や劣等といった悪心を内に詰め込み、自らの行動を縛りあげてしまっている。
心がちっとも片付かない。
片付かない心は、意志と決断が緩慢になるから、必然的に自己中心に向かってゆく。それしか方向がないのだ。

「放つ」ということは、心を片付けるということだ。
片付いた心は、自ら信じる道筋に沿って、幸も不幸も、成功も失敗もすべて、その場その場の心のピュアなはたらきとして受け入れていくのである。あるがままに。・・(後略)・・

 

すべてをあるがままに受け入れて、私は今やれることを全力で尽くせばよいのだ。そう自分に言い聞かせると、心が片付いてすっきりしました。

昨日、新たなお正客様から嬉しいご返事を頂き、5月の茶事を全力で頑張ろう! お客さまやスタッフの方たちと一緒に大いに楽しもう!と思っています。  

 

 


耕雲亭の台目席と「南方録」

2024年01月11日 | お茶と私

 

ぶるっ ぶるっ お寒いですね! 

令和6年の初釜でお借りするロイヤルパークホテル東京日本橋の耕雲亭の小間は四畳半台目、台目構えになっています。

初釜に向けて台目の初炭、後炭、濃茶点前を指導しながら、以前S先生から興味深い話しを伺ったことを思い出しました。

「台目構え(台目切(出炉)・中柱・釣棚からなる点前座の構えをいう)には台子が封じ込められている」そうで、基本の考えが南方録に書かれているそうです。

利休の時代を前後する頃から、通常の畳より一尺五寸(台子の座:台子の幅一尺四寸プラス屏風の厚み一寸)短い台目畳を持つ台目席が流行します。

なぜこの時代に台目席が始まり、流行したのか、利休によって総合された草庵の侘茶とも深い関連があるようですが、今一つそのうねりが分からないところです(これについては調べてまたの機会に・・・)。

台目席は現代にも受け継がれています。

 

  (横浜三渓園・春草蘆の台目席・・・三畳台目席です)

ロイヤルパークホテルの耕雲亭もですが、横浜三渓園の春草蘆箱根湯本・玉庭の仁庵など、台目切の茶室を使う機会があるので、広く「台目」について勉強する良い機会と思い、冬休みに「南方録を読む」(熊倉功夫、淡交社)の「墨引」を読み始めました。実は「曲尺割(カネワリ)」が苦手で何度も挫折しています・・・。

それでも読みだすと、書院の茶から草庵の侘茶への変化、台目畳の成り立ち、炉の位置の変遷とそれが意味すること、利休の茶の変革の過程を想像しながら、興味深く面白かったです。

一方で、「陰陽や五行の思想」や「曲尺割」についてはとても難解で根気が続きません。

 

   (箱根湯本の仁庵の台目席・・・四畳半台目です)

順不同ですが、興味あるままにメモしておきます。

〇 2つの大きな茶の流れ(伝統)があり、利休によって総合された

  ① わび茶の伝統     珠光--宗陳・宗悟--紹鴎--利休

  ② 書院台子の茶の伝統  能阿弥--空海--道陳--利休 

〇 台子(長板)の幅は一尺四寸とする。これを基に台子の曲尺割が台目席へ適用されている。

〇 炉の寸法・・・草庵の炉は最初その寸法が決まっておらず、一尺六寸や五寸の大きな炉が一般的だった。紹鴎と利休が相談して大台子の法を基本として向炉(注:現在の隅炉のこと)を一尺四寸と定めた。

長板(台子)の幅一尺四寸をもとにして、風炉の座一尺四寸四方を炉(向炉:隅炉のこと)として、炉の向うに二寸五分の板を入れたのは、台子を置いた時の向う四寸五分の内から二寸五分を板にとり、残りの二寸を道具を置く余裕としての秘事にして、合わせて一尺八寸五分に曲尺割を取り決めた。これが炉の法の根本である。

〇 炉の変遷・・・最初は向炉(現在の隅炉)に始まり、炉を客席へ近づけた向炉(現在の向切。炉が客席に近い右側になる)、その後に台目切(現在の出炉で中柱の右側に炉を変えた形式。炉が台目畳より出て、より客席近くになり炉中が拝見しやすくなる)と変遷した。

〇 台目畳・・・一畳の畳みの大きさ(六尺三寸)の内、向う一尺五寸を右の畳へ出炉として出したつもりで除き、残りの四尺八寸の畳を台目畳という。

〇 台目切の曲尺割・・・(図にかいてみると分かり易いのですが・・・)

 台目畳四尺八寸の中で、一尺六寸五分は中柱の前から向うの壁までの長さで、内訳は中柱の太さ二寸と遊び(余裕)の五分で、残りが一尺四寸となり、台子の曲尺割(カネワリ)が適用されている。

 中柱の前の面から下、一尺四寸が炉。さらにその下一尺七寸五分は亭主の居座の分で、このうち三寸五分は台子を置いた時の台子の向う側、屏風までの長さであるが、ここに含めて居座での動きが自由になるようにする。残りはまた一尺四寸である。

〇 中柱・・・今日 、台目切の茶室ではゆがみ柱といわれる皮付きの自然木がつかわれている。しかし、「南方録」によればその由来は省略された台子の4本の柱を集めたもので、一寸角の台子の柱が4本合わされて二寸角の中柱となるのを定法とする。

以上、図に書いたり、うんうん唸りながらも「台目構えには台子が封じ込められている」というS先生のお言葉を理解しようと努めた結果、台子の曲尺割が実感としてわかったような気になっています・・・ふ~~っ(汗)。

 

  (桜や椿が咲く、暖かい春の日射し待ち遠しいです・・・)

 

 


令和6年の年頭に思うこと

2024年01月03日 | お茶と私

   (茶室・耕雲亭・・・都心とは思えない佇まいです)

 

昨年末の某稽古日のことです。

「3月頃にお招きしたい方がいて炉の茶事をしたいけれど、亭主は無理だから私に代わって亭主を社中の方にお願いして、私は後見としてお客さまとお話しする・・・というのはどうかしら?」

頭の中で眠っていた炉の茶事への願望が口をついて出てきたのですが、「日が合えばいつでもお手伝いさせてください・・・」という嬉しい返事が返ってきました。

「これって正に「他力本願」ではないかしら?」と思い、ブログの「他力本願のすすめ」を読み返してみました。しばしお付き合いください。

 

他力本願のすすめ・・・

という京都法然院・梶田貫主の法話をお聞きする機会がありました。
自力本願で一生懸命一人頑張ったとしても
大したことは達成できないことがわかったので 
他力本願に変えたら、同等もしくはそれ以上のことができたのです。
それ以来、他力本願を旨とし、みなさまにもおすすめしています。
・・・というようなお話でした。 (中略)

他力本願の真意は、
人は自分一人で生きているのではなく、周りの人によって生かされているだから
他力本願を旨とすることで、それまで見えないことが見えて来て、
他人との縁の中で自分を生かすことの重要性が体得できる・・・ということでしょうか。

・・・(後略)・・・ 

 

 

ブログの記事を読むと、十数年も経っているのにその頃の気持ちが鮮明に思い出されるから不思議です。

そして改めて自分に問いかけます。

「今年は何をしたいの?」

「お茶で一番にしなければならないことは何?」・・・と。

答えははっきりわかっているけれど、自分一人で出来ることはありませんでした・・・。

生徒さん、茶友、あるいはどなたか協力者がどうしても必要なのです。

・・・そのことに気が付いて本当に良かった!と思っています。

他の方と協力して何かを成し遂げれば、それまで見えないことが見えてきたり、いろいろ新しい茶の湯の経験が出来ると思うからです。

「もう膝や腰の不調を理由に何もしないであきらめるのはやめよう!」

「先入観(思い込み)やこだわりは捨てて柔らか頭で丁寧に事に当たろう!」

「たとえ後悔することがあっても、やらないで後悔するよりやった方が良い!」

これらは自分自身を勇気づける言葉ですが、新たな道筋(やるべきこと)を見出した喜びを噛みしめています・・・。

 

       (茶室・耕雲亭)

1月某日に暁庵の裏千家茶道教室の初釜をします。

茶友のN先生の茶道教室と初めて共催の初釜ですが、まさに「他力本願」で実現することになりました。

ロイヤルパークホテル東京日本橋のステキな茶室・耕雲亭で行う令和6年の初釜、暁庵社中が小間で濃茶席、N先生社中が広間で薄茶席を担当します。お客さまは社中と社中のようなゲストです。

今からとっても楽しみにしています。  

 

 


伊藤宗観先生を偲んで

2023年03月02日 | お茶と私

   (静岡の旅で出合った椿(名前が?)・・・吉田町能満寺にて)

 

弥生3月になって茶室の設えを春らしいものに変えたいと苦心しています。

たくさん御軸や茶道具があれば良いのでしょうが、無ければ無いで良しとし、あるもので頭をひねっています。頭をひねるのが結構楽しいです。

御軸や茶道具を吟味していると、1本の御軸が目に留まりました。

「去々来々来々去々」(足立泰道師の御筆)です。

・・・そして、このお軸に最初に出合った日のことを鮮明に思い出しました。

 

  (「去々来々来々去々」の御軸、足立泰道師の御筆です)

2012年12月1日の朔日稽古でした

修復工事に入るので今日庵での朔日稽古は当分できなくなるとのことで、いつもの数倍の方が朔日稽古に参加されました。

それでOさんと茶道会館・心花の間へ移り、ご指導して頂いたのが伊藤宗観先生でした。

昨年秋に伊藤宗観先生がお亡くなりになったことを淡交タイムズで知りました。心からご冥福をお祈りいたします。 合掌・・・

伊藤先生は私たちのことを覚えていらっしゃらないと思いますが、先生との朔日稽古の思い出は楽しく懐かしく・・・今でも鮮明に思い出されます。

床の御軸が「去々来々来々去々」、初めて目にする禅語でした。

「御軸はなんとお読みするのでしょうか?」とお尋ねすると、

「紫野・大亀老師の御筆で「きょきょらいらい らいらいきょきょ」と読みます。「去っては来る 来てはまた去っていく」という意味ですが、いろいろなことを問いかけ、また語りかけてくる、誠に良い御軸だと思います・・・」と。

伊藤先生のお話を伺い、朔日稽古で良い御軸に出合え、伊藤先生のステキなお話をたくさん伺えてて幸せだな~と思いました。私も「去々来々来々去々」という禅語の持つ意味を時々考えたくなり、その後、雲澤禅寺・足立泰道師にお願いして書いていただきました。

とても大好きな御軸で、茶事(「秋待つ撫子の茶事」「クリスマスの茶事」

)や稽古の折に掛けていますが、そのたびに問いかけて来るもの、語りかけてくるものが微妙に異なり、禅語の解釈が変化するのも趣深いところでしょうか 

     (静岡の旅で出合った椿(名前が?)・・吉田町能満寺にて)

もう一つ、伊藤宗観先生との思い出があります。

真之炭手前から朔日稽古が始まったのですが、恐れ多くも私が正客、Oさんが次客に入らせて頂きました。羽箒の掃き方、湿し灰の撒き方などを丁寧にご指導いただきました。

香合が出され、青磁の桔梗香合でしたが、後で香合と香のお尋ねをしなくてはなりません・・・急に胸がドキドキしてきました。思い切って

「心に染み入るような青磁のお色が素晴らしい香合でございますね。こちらの香合は?」とお尋ねしました。

「心に染み入るような・・・」の一言が先生の琴線に触れたのでしょうか? その一言で先生の心が私の方を向いてくださったように思い、先ほどの「去々来々来々去々」のお話に繋がって行ったのです。

そして、この後すぐ感激が残るうちに青磁の桔梗香合(押小路窯)を購入し、真之炭手前の稽古で使っています。

素敵な今日庵・朔日稽古の思い出をくださった、伊藤宗観先生のご冥福を心からお祈りいたします。