暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

四国遍路  般若心経 (2)

2009年11月19日 | 四国遍路
    (つづき)
過去・現在・未来の三世にまします諸仏たちも
般若波羅蜜多を実践されて、
この上ない正しい完全な悟りを得られたのだ。
だから、このように言うことができよう。

般若波羅蜜多というのは、
すばらしい霊力のあることば、
すなわち真言であり、
すぐれた真言、無上の真言、無比の真言である、と。

それはあらゆる苦しみを消滅させてくれる。
じつに真実にして虚ならざるものである。
そこで、般若波羅蜜多の真言を説く、
すなわち、これが真言である――。

往き、往きて、彼岸に達せる者よ。
まったき彼岸に達せる者よ。
悟りあれ、幸いあれ。
              (静子出)


私事ですが
十月に母が亡くなりました。八十九歳でした。
まだまだ先と思っていた別れの時が
思いがけない早さでやってきました。

「あんなにずっーとがんばってきたのに、
 それなのに僕たちはまだ「がんばれ、がんばれ!」
 って言い続けて・・・
 もうがんばらなくっていいからね。お母さん・・・」

葬式の時に弟が泣きながら母へ語りかけた言葉です。
今、母はやっとやすらかな眠りについていることでしょう。
私たちを産み、育て、愛し、支えてくれた母に感謝し、
あぁ~もすれば・・と悔いながら、般若心経を唱えています。

1週間ほどめそめそ泣いて暮らしていましたが、
立ち直るきっかけはお茶でした。
茶事へお招きいただいていたのです。
「どうなることかしら?(正客だった・・)」
心配しながら出かけました。

ご亭主さまやご連客さまのお蔭でいつものように
楽しく過ごすことができ、感謝しています。
お茶をやっていてお茶の仲間がいて本当に良かった
とつくづく思いました。

その後、がんばって何とかやり遂げた春草廬・有楽茶会
お茶を後押ししてくれた母もきっと喜んでいる・・・
と思うこの頃です。 合掌。

   
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      写真は「四国八十八ヶ所巡拝御宝印譜」の軸です。

   

四国遍路  般若心経 (1)

2009年11月18日 | 四国遍路
今年の4月、四国遍路へ出かけた日のことです。

二番札所極楽寺境内の掲示板に
先導師の静子さんが訳されたという
「般若心経」が書かれていました。
わかりやすく素晴らしい現代訳と思いまして、
ノートに写してきました。
紹介させていただきます。


「般若心経」
釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)が説きたまえる
すばらしい般若波羅蜜多(はんにゃはらみだ)の
精髄を示したお経

観世音菩薩(別名 観自在菩薩、観音さま)が
その昔、深(じん)・般若波羅蜜多を実践された時、
物質も精神もすべてが空であることを照見されて、
一切の苦厄を克服された。

舎利子(しゃりし)よ、
あらゆる物質的存在は空にほかならず、
空がそのまま物質的存在にほかならない。
物質的存在が空、空がすなわち物質的存在なのだ。

知ったり、感じたり、判断したり、意欲したりする
われわれの精神作用も、これまた同じく空である。

舎利子よ、すべての存在が空である
-すべての存在に実体がない-ところから、
生滅もなく、浄不浄もなく、また増減もない。

したがって実体がないのだから、
物質的存在も精神作用もなく、
感覚器官もなければ対象世界もない。
そして、感覚器官とその対象との接触によって
生じる認識だってない。

人間の根源的な無知迷妄がなく、
また無知迷妄が消滅するわけでもない。
そして老死という苦しみもなく、
老死という苦しみが消滅するわけでもない。

仏教で説かれてきた「四つの真理」もなく、
智もなければ得もない。
もともと得るということがないからである。

菩薩(求道者)たちは、
般若波羅蜜多を実践しているので、
その心はなにものにも執着せず、
またわだかまりがない。

わだかまりがないから、恐怖もないし、
事物をさかさまに捉えることもなく、
妄想に悩まされることもなく、
心は徹底して平安である。
                           

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    写真は大日如来坐像


四国遍路  薬王寺で打ち止め

2009年07月13日 | 四国遍路
第二十三番札所薬王寺門前のふなつき旅館の女将さんが
疲れ果てて到着した私を待っていてくれました。
「龍山荘からこの時間に着けたなんて、がんばりましたね。
 お風呂にゆっくり入ってお疲れをとってください」
とねぎらってくれます。

部屋に入り、足のテーピングをとり始めました。
歩き遍路を続けるには何と言っても自分の足が頼りです。
私の足は靴ずれや捻挫予防のテーピングで、足の指一本一本、
踵から足首にかけて、フランケン・シュタインみたいに
ぐるぐる巻きになっているのです。

そっと、テーピングを剥いでいきます。
テープでかぶれた甲の皮膚がズルッと剥がれました。
「痛いっ!」 
赤裸の皮膚はかなりの大きさです。
そういえば、平等寺で足の甲に違和感を感じたことを
思い出しましたが、あとの祭りです。

女将さんに教わって、近所の薬屋さんへ行くと、
「この辺で足を痛めるお遍路さんが多いのですよ。
 どれどれ・・・これはちょっとひどいですね。
 無理しないで、少し休んだ方が早く直りますよ」

龍山荘から30キロの行程を歩ききって、
「さあ明日からは、いざ室戸の最御崎寺へ!」
と思ったところだったので、この展開は想定外でした。
でもすぐに、「きっとこれはお大師さまのお導きだ」と思いました。

「今回は打ち止めにし、しっかり直してまた来なはいや」

こういう時には無理をしないで、引き返すことも必要です。
明日、第二十三番札所薬王寺で打ち止めを決意しました。

                    

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四国遍路   由岐の思い出

2009年07月12日 | 四国遍路
第一巡目、美波町由岐での忘れられない思い出があります。

二十二番札所平等寺までは山の道ですが、
そこから室戸そして高知を経て足摺岬までは海の道になります。
日和佐の二十三番札所薬王寺へ向かう途中、由岐で海に出あいました。

どこでお昼を食べるかは遍路中の楽しみの一つです。
海の道には海鮮料理のレストランがあるはずだと思い込み、
その日は昼食を何も用意していなかったのです。

由岐に近づくと、期待通りイセエビ、アワビ料理を謳った
レストランの看板が目に飛び込んできました。
イセエビも悪くないな・・・十二時を過ぎていましたが、
三キロ先のそのレストランまで歩くことにしました。

県道から少し入ったところにおしゃれなレストランを見つけ、
遍路姿のまま中へ入ると、ご主人が
「うちは予約しか受け付けていないのです。
 それに今日はこれから団体さんがお見えになるので、
 申し訳ありませんがお昼をお出しできません・・・。」
と言うではありませんか。

無理も言えないので「わかりました」とすぐに外へ出ました。
来る途中に食堂も店もなかったので、内心途方にくれながら、
店の前の縁台にリュックを下ろしました。
休まず歩いてきたので、休憩しないと私の足は一歩も先へ進めません。

すると、奥さんが黒糖入りのコッペパン二個と缶コーヒーを
載せたお盆を持ってきて
「折角来て頂いたのにごめんなさい。これはお接待です。」
はらぺこの私はお接待に感謝して、お礼に納め札を手渡しました。

木陰の縁台でレストランの番犬と一緒に
いただいたコッペパンの何とおいしかったことか。
到着した団体さんの視線も何のその、夢中で食べました。
・・・そして、この縁台こそが遍路である私にふさわしいことを
思い知らされたのです。

「いつまでも何をやっているのかッ!
 遍路はその分をわきまえて、俗世の欲望を捨て去り、
 簡素な生活をこころがけるように」
と、お大師さまに喝を入れられた思いがしました。
やっとやっと、遍路開眼です。

こうして、いろいろなことを体験しながら、
「お遍路さん」になっていきました。
                   

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四国遍路・一期一会   由岐(雪)点前

2009年07月10日 | 四国遍路

第二十番札所鶴林寺と第二十一番札所太龍寺を打って、
以前から泊ってみたかった、龍山荘に宿泊しました。

龍山荘から第二十二番札所平等寺を経て、
第二十三番札所薬王寺まで30キロの行程です。
かなりがんばって歩かなくては・・・の距離です。

月夜御水庵を過ぎ、国道へ出ると道が二つに分かれています。
迷いましたが、車とトンネルが多い国道を避けて、
前回と同じ由岐を経由する海沿いの道を選びました。

今まで山道ばかりでしたので、海へ出た時の気持ち良さを
想像すると、道の遠さも厭いません。
それに、由岐には忘れられない思い出も・・・

途中に新しく遍路小屋が建てられています。
その一つ、田井ノ浜にある遍路小屋でお接待を受けました。
美波町由岐に住む三人の女性が今日の当番だそうで、
食料や飲み物をたくさん用意して待っていてくれました。

温かいコーヒーと手作りの稲荷寿司が美味しく、
お腹も心も満たされます。
先を急ぎたい気持ちもありましたが、お礼がしたくなりました。

「たまにはお遍路さんから接待されるのもよいでしょう?」
抹茶と振り出しの霰糖をお出ししました。

「こんなことは始めてです。ありがとうございます!」
と三人の女性は嬉しそう。
「この点前は何というのですか?」
「茶箱の雪点前といいます」
「あらっ、私たちにぴったり。由岐(雪)点前ですね!」

前回訪れた時の由岐での思い出を話していると、
お遍路さんの団体がやってきました。
きびきびとお接待する三人に黙礼して、お別れしました。

田井ノ浜・遍路小屋でのんびりしすぎたので、それからが大変。
今までで一番長い30キロを歩ききって、日和佐のふなつき旅館へ
着いたのは6時を回っていました。
最後はくたびれ果てて、足を引きずりながらのゴールでした。
                          
 
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    写真提供:陸の孤島だより~美波町由岐ナビ~