(谷川岳ロープウェイとリフトで展望台へ・・・一面の銀世界でした。 11月4日撮影)
昨年の「炉開きと口切の会」ではN氏所蔵の天目茶碗と天目台が使われました。いずれも美術館で見られるような貴重なお品でした。
今年もN氏にお願いして、所蔵の骨董美術品の中からいくつかを選んでいただき、拝見と解説をお願いしました。
N氏が選んだのは「古染付」でした。
「私が一番好きな「古染付」をお見せしたいと思います」
向付、香合、盤、皿、鉢などたくさん見せてくださいました。「古染付」のふるさとである景徳鎮は明末・天啓期(1621~1627)になって官窯でなくなっため、職人たちが自由闊達に作品を作れるようになりました。
そのため絵や形などの作風におおらかな味わいが出てきたこと、その代わり「そげ」や「虫食い」(焼成により釉薬の一部が欠けた部分)などの粗雑なものが多くなりましたが、これらを日本の茶人は「不完全な美」として愛玩したそうです。(詳しくはこちらをご覧ください)
1つ1つ拝見しながら、茶道具としてどのように使うかをあれこれ想像するのが楽しかったです。
「古染付」の優品を拝見しながら、「古染付」や産地である中国・景徳鎮の歴史について講義していただきながら、江戸時代初期の日本の茶人に愛された「古染付」の魅力や見どころを教えてくださいました。箱や仕覆などの付属品が立派で、代々の持ち主の愛情をうかがい知ることができます。
扇形の「香合」、少し大ぶりで、持ち手が個性的です。
「鉢」、山水の他に皿の縁までいろいろな絵がいっぱい描かれています。
懐石はもちろん、他にもいろいろ使ってみたい一品です。
前記の鉢の高台、古染付では「施釉した生がけの生地を削った高台廻り」が重要で、見どころの1つだそうです・・・。
「深向付」として使われたのでしょうか?
「麦藁手」とも呼ばれていますが、「祥瑞手」だとか。胴にひも状の継ぎがあり、祥瑞の特色の1つだそうで、とても珍しいもののようでした。
右側は「祥瑞詩入筒茶碗」、こちらも一見して祥瑞には見えず、とても珍しいものだそうです。
「古染付」を初めて手に取った方も多かったのでは・・・と思いますが、このような機会を通して、陶器や茶道具やその歴史などいろいろなものに興味を持っていただければ、もっともっとお茶の世界が楽しく広がると思うのです。
N氏のお茶事へ招かれた時に拝見した「古染付」に出会うかもしれません。・・・そして、その時にN氏の解説や「古染」に寄せる愛情を思い出して、茶席の会話がより親しく趣深いものになるのでは・・・と。
Nさん、貴重な「古染付」をお持ち出しくださって、ありがとうございました!
次回の特別鑑賞会を楽しみにしています。
・・・こうして「2020年炉開きと口切の会」は16時過ぎにお開きとなりました。
なんとなくまだ興奮(余韻?)が残っていて、みんな、待合や玄関でうろうろしています。
私も名残り惜しい気持で、皆さまを見送りました。
参考)
古染付とは、中国景徳鎮窯で焼かれた焼き物の装飾のことです。
元代に西方から伝えられたコバルト顔料を用いて青色の模様が描かれた陶磁器で、次の明代に景徳鎮で盛んになり、中国の代表的輸出品となりました。
江戸時代初期(1621年~1644年)より作られていた古染付は、もともとは、中国の染付ということから「染付南京」と呼ばれていたのが始まりです。江戸時代後期に、新渡と呼ばれる「清朝染付」が現れたのをきっかけに、初期からの染付南京は「古染付」と呼ばれるようになりました。
古染付には、焼き物と釉薬が合わずに釉薬が薄い部分が剥がれ、虫喰いのように見える箇所があります。また、あえて線をぼかし染色を薄くすることで、今までと異なり自由で豊かな手法の焼き物にしたのです。その後、拙さこそが味であると、日本の茶人たちに称賛され、その後も好まれ続けました。
古染付には、円形のほかにも様々な器形が見られます。器形が多様な理由は、日本からの注文が多かったためだと推測されています。一風変わった器形が存在するのは、日本の愛好家が多かった古染付ならでは・・のことでしょう。
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