鷹峯三山(鷹ヶ峯、鷲ヶ峯、天ヶ峯)の一つ、鷹ヶ峯
(つづき)
光悦会の第三席目は大阪席、藪内燕庵の席主でした。
あとで光悦会の席主は今年が初めて・・と伺いましたが、一番心に残るお席でした。
寄付の本阿弥庵の床には「うらやましの文」、利休筆の剣仲宛の消息です。
書院には「東籬御茶箱」(白菊の絵、茶通箱)が飾られ、
香合は燕庵名物「織部 袂」(古織より到来)でした。
続いて飾られている炭道具にも惹かれましたが、
中でも羽箒「伝来形 青鸞 三ツ羽」が今でも目に鮮やかです。
待合は自得軒、床には竹心筆
「茶井 留得先生一片心」
莨盆一式があり、火入(伝来形 鐵銀象嵌入り三ツ足)の灰形が藪内流独特らしく、
藁家を思わせる屋根型に香道のように灰筋が入って、風情がありました・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/63/44399f07e14f9e8bb34b2f68d755a99b.jpg)
本阿弥庵(濃茶寄付・大阪席)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/ad/c30e99612aea862329660f804605223a.jpg)
本席は騎牛庵、こちらの席へ少人数に分かれて入りました。
床には「無傳」の二字横物、薮内剣仲筆です、
最晩年の筆だそうですが、無駄なものが削ぎ落とされたような清々しさを感じます。
何か後世に茶の道を伝えるものは?という問いに
「無傳」
伝えるものなど何もないよ、各人が己の茶の道を拓けばよい・・ということでしょうか。
心に残る「無傳」の二字です。
「わぁー! 薮内燕庵って太っ腹!」
はしたなくも心の中で歓声をあげたのは
燕庵名物の古萩茶碗・銘「是界坊」(古織より到来)を全員に回して
手に取って拝見させてくれたことでした。
井戸茶碗のように大振りの古萩は手に取ると軽やかで、一段と味わい深く、
割高台の力強さも目の当たりに鑑賞し、感激しました・・・。
名物茶道具を手に取って見せてくださったのは如庵茶会以来です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/a2/cce3f27242b5cb8a2db570694fd10177.jpg)
第四席は京都席、最後の席になってだいぶ疲れ、お腹もすいて集中力が・・・。
濃茶席の寄付の床には尾形光琳筆「蔦・雪絵 団扇」 桂洲道倫賛がありました。
この賛について詳しい説明がなかったのがちょっと残念です。
脇は本阿弥光悦 宗達下絵「三十六歌仙色紙帖」、光悦会らしい設えです。
本席は徳友庵、床には「熊野懐紙 寂蓮」(重要文化財)の二首。
山川水鳥
いはたがた こほりをくだくすゑまでも
あはれとおもへ をしのひとこゑ
旅宿埋火
くさまくら あたりもゆきのうづみ火は
きえのこるらむ ほとぞしらるる
熊野懐紙は、後鳥羽上皇が熊野御行の際に歌会を催し、和歌が書かれた懐紙です。
寂蓮法師の和歌もさることながら、近々熊野詣を予定しているので
正治2年(1200)の法楽歌会の二首和歌懐紙に改めて興味を持ちました。
ニシキギ、ツルウメモドキ、曙椿が入れられた花入は古伊賀・唐犬耳(双軒庵旧什)、
古伊賀の深い趣きは「カラタチ」(畠山美術館)を彷彿させます。
大井戸・銘「平野屋」、嵯峨桐茶地金襴の帛紗など未だ目に焼き付いています。
四席をまわり、お菓子と抹茶ですでに満腹ですが、仕上げの点心席へ。
鷹峯三山を眺めながら外の席で、偶然お会いしたSさんの知人Nさんも加わり、
4人で瓢亭弁当を味わいながらゆっくりしました。4人の感想は
「紅葉を愛でながら各席をまわる光悦会って好いわねぇ~。また来年も来たい・・・」
天気も良く、寒くもなく、参加人数が比較的少なかったのでゆったりと、
4人で愉しく各席をまわることができ、恵まれた一日でした。
素晴らしい機会を与えてくださった方々に感謝いたします。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_thank.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/60/d71a6d12a5f6ccc572c240f1b040805c.jpg)
軒下の吊るし柿・・・光悦寺近くの民家にて
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(つづき)
光悦会の第三席目は大阪席、藪内燕庵の席主でした。
あとで光悦会の席主は今年が初めて・・と伺いましたが、一番心に残るお席でした。
寄付の本阿弥庵の床には「うらやましの文」、利休筆の剣仲宛の消息です。
書院には「東籬御茶箱」(白菊の絵、茶通箱)が飾られ、
香合は燕庵名物「織部 袂」(古織より到来)でした。
続いて飾られている炭道具にも惹かれましたが、
中でも羽箒「伝来形 青鸞 三ツ羽」が今でも目に鮮やかです。
待合は自得軒、床には竹心筆
「茶井 留得先生一片心」
莨盆一式があり、火入(伝来形 鐵銀象嵌入り三ツ足)の灰形が藪内流独特らしく、
藁家を思わせる屋根型に香道のように灰筋が入って、風情がありました・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/63/44399f07e14f9e8bb34b2f68d755a99b.jpg)
本阿弥庵(濃茶寄付・大阪席)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/ad/c30e99612aea862329660f804605223a.jpg)
本席は騎牛庵、こちらの席へ少人数に分かれて入りました。
床には「無傳」の二字横物、薮内剣仲筆です、
最晩年の筆だそうですが、無駄なものが削ぎ落とされたような清々しさを感じます。
何か後世に茶の道を伝えるものは?という問いに
「無傳」
伝えるものなど何もないよ、各人が己の茶の道を拓けばよい・・ということでしょうか。
心に残る「無傳」の二字です。
「わぁー! 薮内燕庵って太っ腹!」
はしたなくも心の中で歓声をあげたのは
燕庵名物の古萩茶碗・銘「是界坊」(古織より到来)を全員に回して
手に取って拝見させてくれたことでした。
井戸茶碗のように大振りの古萩は手に取ると軽やかで、一段と味わい深く、
割高台の力強さも目の当たりに鑑賞し、感激しました・・・。
名物茶道具を手に取って見せてくださったのは如庵茶会以来です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/a2/cce3f27242b5cb8a2db570694fd10177.jpg)
第四席は京都席、最後の席になってだいぶ疲れ、お腹もすいて集中力が・・・。
濃茶席の寄付の床には尾形光琳筆「蔦・雪絵 団扇」 桂洲道倫賛がありました。
この賛について詳しい説明がなかったのがちょっと残念です。
脇は本阿弥光悦 宗達下絵「三十六歌仙色紙帖」、光悦会らしい設えです。
本席は徳友庵、床には「熊野懐紙 寂蓮」(重要文化財)の二首。
山川水鳥
いはたがた こほりをくだくすゑまでも
あはれとおもへ をしのひとこゑ
旅宿埋火
くさまくら あたりもゆきのうづみ火は
きえのこるらむ ほとぞしらるる
熊野懐紙は、後鳥羽上皇が熊野御行の際に歌会を催し、和歌が書かれた懐紙です。
寂蓮法師の和歌もさることながら、近々熊野詣を予定しているので
正治2年(1200)の法楽歌会の二首和歌懐紙に改めて興味を持ちました。
ニシキギ、ツルウメモドキ、曙椿が入れられた花入は古伊賀・唐犬耳(双軒庵旧什)、
古伊賀の深い趣きは「カラタチ」(畠山美術館)を彷彿させます。
大井戸・銘「平野屋」、嵯峨桐茶地金襴の帛紗など未だ目に焼き付いています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/96/608185d83a28b86fcf0e43a8de3bd716.jpg)
四席をまわり、お菓子と抹茶ですでに満腹ですが、仕上げの点心席へ。
鷹峯三山を眺めながら外の席で、偶然お会いしたSさんの知人Nさんも加わり、
4人で瓢亭弁当を味わいながらゆっくりしました。4人の感想は
「紅葉を愛でながら各席をまわる光悦会って好いわねぇ~。また来年も来たい・・・」
天気も良く、寒くもなく、参加人数が比較的少なかったのでゆったりと、
4人で愉しく各席をまわることができ、恵まれた一日でした。
素晴らしい機会を与えてくださった方々に感謝いたします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_thank.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/60/d71a6d12a5f6ccc572c240f1b040805c.jpg)
軒下の吊るし柿・・・光悦寺近くの民家にて
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