暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

炉開き 時雨紅葉の日に

2012年11月28日 | 稽古忘備録
            (南禅寺・天授庵にて 22日撮影)

京都の紅葉は今が最盛期、時雨の季節でもあり、傘が手放せません。
時雨に濡れている紅葉を愛でるのもあと僅かとなりました。

11月23日は先生宅の炉開きでした。
利休さまは風炉から炉へ変わる時期について
「柚子の実が色づく頃・・・」としていますが、
今は11月の声を聞くと、風炉から炉へ変わります。

風炉から炉へ、炉から風炉へと、炉の設えが変わるたびに
点前も変わり、道具も変わり、また新たな気持ちで稽古に取り組みます。
最初は面倒くさいこと・・・と思いましたが、
今は季節の移ろい、歳月の重なり、気持のけじめを感じるようになりました。
炉開きは茶人の正月とも言われ、ことさら新たな気持ちで望みます。

                              

先生宅へ伺うと、炉開きの設えをして迎えてくださいました。

床の間には、大徳寺江雪和尚筆「万年松在祝」、
そして葉茶壺が荘られていました。
こんなに大きく立派な茶壺を美術館ではなく拝見したのは初めてのことです。
茶壺は江戸時代に瀬戸で焼かれ、形よく気品があり、
土色の肌には黒の釉薬が所々に残っています。
紫の紐で、真、行、草に結ばれ、口覆いは江戸時代の帯で作られています。
「あの壷を手に取って拝見したい・・・」と密かに思いました。

                 

白玉椿とはしばみが旅枕に生けられています。

控えの間の床に絵が掛けられていました。
眼鏡がなかったので、右上に書かれた語句はパスし、
「お正月だから鶴の絵かしら? 」と思っておりましたら、
先生のお話を伺ってびっくり!

その絵は、松屋三名物の一つ、如熙(じょき)筆「白鷺緑藻図(鷺絵)」の写しで、
土佐光貞(1738-1806)が描いたものでした。
鶴ではなく鷺だそうです・・・
その後、本歌は松屋から島津家へ移譲され、
明治10年の西南の役の折、島津家の蔵ごと焼失したので、
今は写しから本歌を偲ぶしかすべがなく、大変貴重な画なのだとか。

               

そんな先生のお話を伺いながら、社中による初炭点前が行われました。
釜は菊地文平丸釜、五代寒薙造、炉縁は松丸太に蔦蒔絵です。
釜に浮き出る菊の花、美しく火照る蔦の紅葉をしばし楽しみました。
炭斗はふくべ、灰匙は仙叟お好みの小判でした。
あこがれの柿の蔕香合(宋胡録:すんころく)を手に取って拝見しました。
香は、天薫堂の「ふじばかま」です。

それから恒例の手づくりのぜんざいが運ばれました。
粟餅に粒あんのぜんざいが乗っていて、懐かしく賞味しました。
「お代わりもありますから遠慮しないでね」と奥様。
「それではお代わりをお願いします」と頼もしい若人たち。

一段落して、いよいよ先生の濃茶点前が始まりました。
棚は銀杏棚、又玄斎(八代)のお好みで、台子濃茶点前です。
風炉と違い、どこからでもお点前が見やすいのが炉の大好きなところで、
みんな、息をのむように先生の所作を見つめています。

濃茶は、小山園の11月限定の口切用抹茶です。
ふくいくとした香り、練り加減よく、熱々の濃茶をみんなで頂戴しました。

一碗目、大樋焼茶碗・銘「筑波」も好かったですが、
二椀目の銘がなんと「時雨紅葉」、
箱書きに「鷹ヶ峰以土造」とあり、玄沢焼きとお聞きしました
・・・今調べているところです。

               
                      (南禅寺方丈にて)

床に荘られている茶壺の拝見について伺いました。
茶壷の大小ではなく、紐飾りがされている場合は拝見は乞わない・・・
という約束になっているそうです。
逆に、網袋に入って荘られていたら、
「ご都合により御壷の拝見を・・・」
とお願いしないと、ご亭主はがっかりなさるでしょうね。

今年は口切にご縁がなさそうで、ちょっぴり寂しいです。

                         その日は  ときどき 



池坊展へ その2(高島屋会場)

2012年11月22日 | 美術館・博物館
            
(つづき)         池坊由紀さんの作品(高島屋会場にて)

池坊の生け花は時代によって変化し、
「立花(りっか)」「生花(しょうか)」「自由花(じゆうか)」
の三つの様式があります。

「立花」は、室町時代、書院の床の間に飾る花として生まれ、
野山にある草木が互いに調和する姿を現わすそうです。

            
                     立花(りっか)

「生花」は、自然の草木に備わる固有の姿を少ない枝数で様式化したもので、
江戸後期から明治にかけて広まりました。

            
                 生花(しょうか)

そして、「自由花」は、自由な発想と感覚によって表現するいけばなです。

            
                     自由花


池坊会場から京都高島屋会場へ行くと、池坊の歴史がさらに解り易いように
時代を追い、資料やその時代の生け花が展示され、見ごたえがありました。

池坊の歴史の続きで、次のような記述がありました。
1590年 秀吉、毛利亭に臨む。
      池坊専好、立花を立てる。
1594年 秀吉、前田亭に臨む。
      池坊専好、大砂物を立て、「池坊一代の出来」と風聞される。
1624年 池坊専好(二代)、宮中七夕会で花を立てる。
  〇   この頃、池坊専好(二代)活躍、立花を大成する。

文禄3年(1594年)、豊臣秀吉の御成を迎えた前田利家邸において
池坊専好が四間床(7.2m)にいけたという、大砂物が復元されていました。
後に四幅の絵が掛けられています。
これらの掛物には猿の群れが描かれ、見事な枝振りの松に猿がとまり、
遊んでいるかのように見えます。
これには太閤殿下もさぞや満足されたことでしょう。

            
            
                   大砂物復元

「世界をいける」では、ブータン王国の深い森を思わせる作品、
情熱のフラメンコが彷彿されるスペインを表現した作品、
白鳥の湖をイメージしたサンクトペテルブルグが印象に残っています。

家元四十五世・池坊専永氏と次期家元・池坊由紀さんの作品は
いずれも大作ですが、刻々と移り変わる情景を表現されて、
新たないけばなの夜明けを感じさせる、素晴らしい作品でした。

大学時代に習った「生花(しょうか)」の無駄を省いた、楚々とした風情が
大好きでしたが、池坊由紀さんの作品が訴える、柔かで優しい表現にも惹かれます。

             
             
                 家元・池坊専永氏の作品

未来を感じさせる、いくつかの作品も紹介します。

             
                 (こんな表現があったなんて・・!)

             
                 (影もオブジェになっていて・・・)
             
                 (背景の金具はスプーンです)          

    

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池坊展へ その1(池坊会場)

2012年11月21日 | 美術館・博物館
          花と対峙の日々   瀬島弘秀氏(特命派遣教授)

          四季折々に出会う草木の彩りの美しさ、
          生命の輝きにみせられた花と対峙できる楽しみ。
          若芽の時の可愛い莟のふくらみ、
          新緑の美しさ、成熟した木々の艶やかな彩り、
          今、紅葉の季を迎え、束の間の華やぎに心ひかれて。
          自然の織りなすさまざまの場景、
          四季のある国ならばこそと思う。 
                        (池坊会場7Fにて)

550年祭記念特別展
いけばなの根源「池坊」展へ11月19日の最終日に行きました。
京都高島屋と池坊(烏丸六角)の二つの会場があり、
池坊発祥の地である六角堂隣りの会場から見ることにしました。

              
                 紫雲山頂法寺・六角堂
                                    
                              (クリックすると大)
そもそも、池坊展に興味を持ったのには訳があるのです。
一つは、大学時代に入会した生け花同好会が池坊であったこと。
もっとも、ずっーと草月流と思い込んでいて、後年頂いた許状を発見し、
しげしげ見ると池坊であったというお粗末さ・・・。 

もう一つは、横浜能楽堂特別企画「能・狂言に潜む中世人の精神」の
第4回「花」で
、次期家元・池坊由紀さんの講演を拝聴して以来、
中世に花開いた池坊華道の成立前後をきちんと知っておきたい・・・
と思っていたのです。

               

そんな訳で、ぶらりぃ訪れると、
7階で最初に出会った作品と添えられた詞を読んで、早くも胸が高鳴りました。
花と対峙できる喜びが門外漢の私にもひたひたと伝わってきました。

先ずは池坊の歴史にこだわりつつ、いくつかの作品を写真で紹介します。

538年  仏教が伝来し、仏前供花が伝わる。
587年  聖徳太子が六角堂を建立。
735年  この頃できた「絵因果経」に供花の図あり。
  〇   六角堂において、代々池のほとりに住まいする僧侶が
      朝夕、仏前に花を献じていました。
      僧侶はやがて「池坊(いけのぼう)」と呼ばれるようになります。

             
              ハクチョウが泳ぐ六角堂の池

             

905年  「古今集」に「花がめに花を挿す」とあり、
      瓶に挿した花の鑑賞の記録。
1373年 宮中・公家の間で花御会、花合せが盛んになる。
1462年 東福寺の禅僧・雲泉太極の日記「碧山日録(へきざんにちろく)」に
      専慶の活躍が記録。
  〇   「碧山日録」は、池坊といけばなに関する最古の文献で、
      今年は550年に当るそうです。

             

1482年 足利義政、東山殿(銀閣)の造営を始める。
      この頃書院造建築の成立。
1486年 現存する最古の花伝書「花王以来の花伝書」を相伝する。
1530年 この頃より池坊、宮中でしばしば花を立てる。
  〇   この頃、池坊専応は花伝を大成、花伝書「専応口伝」を著し、
      「草木の風趣」を説く。
  〇   華道の成立

               
                                (クリックすると大)
1545年 池坊専栄「専応口伝」を相伝。
      七ツ道具の花形図が見られる。
  〇   立て花から立花(りっか)への展開
1567年 池坊専栄、「専応口伝」に「生花(しょうか)の事」の項目を加える。
  〇   この頃、いけばな・茶の湯の花盛んになる。

             
            
             


           ・・・・(その2)へ続く・・・・    



伏見稲荷・薬力社  お火焚き祭

2012年11月18日 | 京暮らし 年中行事
11月16日、明日は雨模様というので、紅葉狩へ出かけました。
京阪電車で「神宮丸太町」から「伏見稲荷」へ行き、
伏見稲荷大社に詣で、山越えのハイキングで東福寺へ寄る予定です。

駅前から稲荷せんべい、稲荷鮨、土鈴を売る店が続き、
門前町らしい賑いです。
大きな赤い鳥居が聳え立ち、伏見稲荷大社はすぐでした。

             

伏見稲荷大社は、日本全国の「お稲荷さん」の総本山で、
大社だけでなく、後ろの山(稲荷山)全体が神域になっています。
先ず、御手洗でお浄めをし、内拝殿でお詣りしました。
奥の本殿(国・重文)では長々と印を結んで拝んでいる女性がいたり、
お稲荷さんは私にとって摩訶不思議で、ちょっぴり恐いゾーンなのです。

             
                  
             

                  
奥に進むと、千本鳥居です。
参道を埋め尽くす赤い鳥居は、願いごとが「とおる」ように願って、
「とおった」お礼に奉納されたものだとか。
とおりゃんせ とおりゃんせ・・・
行きは「奉納」とだけ赤い鳥居に書かれていますが、振り返ると
奉納した人や会社の名前がびっしり・・・覆いかぶさってきました。
なんか、人間のすさまじい欲望のエネルギーを感じます。

             
                  とおりゃんせ・・を思い出しながら
              
                   三ツ辻の茶店

千本鳥居を抜けると、山道になり、朱の鳥居も大きく太くなります。
茶屋が並ぶ三ツ辻を通り、さらに上って行くと四ッ辻へ着きました。
この先が稲荷山で、神様がおられる聖地です。
左回りで、頂上の一ノ峰を目指しました。
一ノ峰に祀られる「末広大神」は「何事にも末広がる」という神さまです。

             

             
                   稲荷山の紅葉

             
                   一ノ峰の「末広社」

さらに進むと「薬力社(やくりきしゃ)」がありました。
「薬力大神」は体を健康に守ってくださる神さまで、
湧きでる霊水は薬の効き目をよくしてくださるとか。
この「薬力社」の前に稲藁とヒノキで作られた火床があり、
ちょうど13時からお火焚き祭が行われるところでした。

お火焚き祭は、秋の収穫後に五穀豊饒を神に感謝する祭です。
薬と水に縁のある私たち夫婦がここでお火焚き祭りに出合ったのも
薬力大神の思し召しと、喜んで神事に参列することにしました。

火焚串に願いごとを書いて、火床へ置きました。
大祓詞の書かれた紙が配られ、神主さまが薬力社に拝礼の後、
いよいよお火焚き神事が始まりました。
社殿の火が運ばれ、ヒノキや藁に火がつくと、
煙と煤が立ち上り、ぱちぱち木がはぜる音が辺りに広がりました。

            
                   お火焚き祭の火床
            
                   ご縁のあった「薬力社」
            
                    お火焚き神事

神主さまがお火焚き神事の大祓詞をあげられました。
すると、神職や参列者たちが朗々と唱和し、稲荷の山にこだまします。
配られた大祓詞は長文ですが、神代の美しい言葉が綴られ、
天つ神と八百萬神へ罪障消滅、万福招来を祈ります。
二拝二拍手一拝、神主さまに合わせて参列者全員が心を一つにして・・・。

参列者に火焚串が配られ、願主に代わり火床へくべられました。
素朴な人々の祈りは詞に乗って神々へ届けられたことでしょう。
初めてお火焚き祭に参列できて、偶然の出合いに感謝です。

            
                    お火焚き饅頭

帰りに近所のおまん屋さんで「お火焚き饅頭」を買いました。
こちらも初めてです。                        
                           



真如堂 もみじ茶会

2012年11月17日 | 献茶式&茶会  京都編
毎月第二日曜日は真如堂(左京区浄土寺真如町) の月釜です。
3月に越して来て以来、京都近辺の月釜へ是非・・と思っていますが、
なぜか(?)忙しく思うに任せません。
真如堂の月釜へ初めて伺いました。

                       
              

朝から雨が降る中、紅葉の美しい真如堂へ歩いて行きました。
お十夜法要(5日~15日)の最中で、どこからともなく鉦の響きが聞こえ、
心洗われる気持になれました。
本堂前の大塔婆に白く太い綱が張られています。
綱は御本尊の阿弥陀如来さまの御手とつながれて、
この綱を握ると極楽往生が叶うと言われています。

              

本堂正面の「真如堂」扁額が見事で、いつも楽しみに見上げています。
今年7月25日の宝物虫拂で、扁額の元字(書)を拝観して以来でしょうか。
書を書かれたのは、後西天皇の第一皇女・理豊女王(1672-1745)、
宝鏡寺門跡二十二世となられた方でした。
大きな力強い筆の運びは女性、しかも尼御前の筆とは思えないほどで、
どんな方でいらしたのかしら? 今以っていろいろ想像しています。

             
                     「真如堂」扁額
                                       

11月の月釜は「もみじ茶会」、特別な茶会とのことで、
席は四季の間で行われ、点心の蕎麦付の茶券は1700円でした。
待合の掛物は淡々斎画賛、「秋色深」の賛に松茸の画です。
30分ほど待合で待ってから、本席(四季の間)へご案内戴きました。
お客様は30名以上でしたが、例の如く、正客あらそいで一悶着あり、
やっとお正客を右隣りの方にお引き受け頂きました。
もうこれで、かなり気持的に疲れてしまいました。

お点前は、若い女性でしたが、きちんとしたお点前で嬉しく拝見しました。
一碗点てて、すぐに仕舞付けを始めたのでびっくり。
30名のお客ですので、せめて次客まで点てて欲しかったですね。
「まだ全員がのみ終っていないのに、お点前が終わってしまって
 申し訳ありません・・」と席主から挨拶がありましたけれど。

             

思いがけず二椀目の薄茶が数茶碗で出されました。
「月釜で二椀出されることはめったにないので、今日はラッキーでしたよ」
と左隣の方が教えてくださいました。
「秋色深」のお道具は名工の素晴らしいものばかりでして、
こちらも取り合わせを楽しませて頂きました。

紅葉や菊の花はその美しさを精一杯振りまいてくれましたけれど、
大寄せは少々疲れました・・・。

             
                      法然院へ

境内の休み処で河道屋養老出店のお蕎麦を頂いてから、主人と待ち合わせ、
お気に入りの黎明教会資料研修館「秋の美術展」(11月3日~12月16日)へ。
さらに法然院、みやこめっせと雨の中を歩き廻りました。
・・・ふぅ~! 秋はとても忙しいです。