暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

京の月釜  金毛院初釜

2014年01月15日 | 献茶式&茶会  京都編
                   戎大黒の掛物  待合にて   

1月12日(日)、金毛院(きんもういん)月釜へ行きました。
金毛院は法然院塔頭で、毎月第2日曜日に釜が掛けられます
今年から年会員になったので、年初の釜には是非伺いたいと、
珍しく着物で参りました。

門近くで、Sさま(如庵茶会へ連れて行ってくださった)にお会いでき、
年頭のご挨拶ができたのも幸先良いことでした。
それに、灑雪庵・秋の茶会へ参席してくださったKさまともお会いでき、
嬉しいことに一緒の席でした。

                   
                       金毛院の門

                   
                   つづら折りの階段を上って

待合へ入ると、床にはおめでたい戎大黒の絵、横山清暉画です。
あとで、席主から
「今日はゑべすさんの最後の日なので、この絵が間に合いました」
そういえば十日ゑべすさんへまだお詣りしていません・・・。

古材(?)でできた大きな角火鉢にこれまた大きな輪胴が二つ、
藁灰に映えて、赤々とあたたかでした。
輪胴を見つめていると、白い尉が付いているのといないのと、
風情の違いが好ましく、ふと枕草子を思い浮かべました。

   
   冬はつとめて

   雪の降りたるは言ふべきにもあらず
   霜のいと白きも またさらでもいと寒きに
   火など急ぎおこして 炭持てわたるも いとつきづきし
                   
   昼になりて ぬるくゆるびもていけば 
   火桶の火も 白い灰がちになりてわろし


                     

ご案内に従い、藁草履を履き、苔の美しい庭へ降りたち、
露が打たれた露地を進み、蹲踞で身を清めました。
湯桶が用意され、ころ好い温度に席主の心入れを感じます。

席は四畳半、床へ進むと
「寿山瑞色新」  
鵬雲斎大宗匠の若き日の御筆だそうです。
水仙が清楚に青磁の花入に生けられていました。
古色のあふれる花入は明時代の青磁下蕪、珠光青磁を思い出しました。
香合は古染付の鳳凰です。

長板に大きな鏡餅の水指、上に橙でしょうか、葉が付いています。
なんとも水指が大きく、風炉の長板に変更してバランスを取ったとか。
大らかさとユーモアたっぷりの水指に座が和んだような気がします。
竹地紋の肩衝釜から松風が聞こえ、
よく煮えもついていて、お茶が待ち遠しい思いでした。

                
                たくさんある蹲踞の一つ

お点前は十代の娘さんで、もう一生懸命でした。
客一同、その姿に昔の自分を重ね合わせたのではないでしょうか・・。
お茶もお湯も少なめでしたけれど、嬉しく頂戴しました。

私は黒金溜の豪華な茶碗で、珍しい俵形、五代吉向造です。
二椀頂き、二椀目は半七造の雪笹絵でした。
Kさんは鹿背が美しい朝日焼、
三客さんの虫明焼は小振りの三角の馬上杯、
枇杷色の胴に白梅が品よく、お持ち帰りしたい虫明でした。

薄器は松摺漆、唐松蒔絵(南宋寺和尚手植えの松を以って)、
茶杓は汎叟大宗匠作、銘「千代ノ栄」、
蓋置は仁清写の三寶でした。

終了後、別室で甘酒と結び昆布を頂戴して帰途につきました。

初春のステキなお道具組と温かなおもてなしに感謝いたします。
これからの金毛院月釜がとても楽しみになりました。
                                   




大西清右衛門「茶の湯釜の世界」

2014年01月12日 | 美術館・博物館
               
                       京都駅の摩天楼

大西清右衛門「茶の湯釜の世界」を覗いてきました。
会場は美術館「えき」KYOTO(JR京都伊勢丹7階隣接)、
会期は1月2日~1月15日です。

市中にいながら、三条釜座の大西清右衛門美術館
なかなか足が向きませんでした。
その理由の一つ、「お釜大好き」で見るのも好きなのですが
見れば欲しくなるし、荷物を増やしたくないし、お金もないし・・
つまりストレスになりそうで・・・敬遠してました。

茶道を再開してすぐの頃夢中で求めた愛するお釜たち、そして
釜師・長野新氏に制作依頼した「桐文車軸釜」、
みんな置いてきて、責紐釜1つを持って京都へやって来ました。
責紐釜は背丈が低いので、風炉と置炉に両用できるからです。

               

・・・でもね。ぐちゃぐちゃ言っても
「たくさんのお釜に逢えて嬉しい!」

御釜師400年の仕事と銘うった展示会は、
初代浄林、2代浄清から当代・大西清右衛門まで16代の釜師が
制作してきた「釜」が歴代順に展示されています。
大西家だけでなく、芦屋、天明、西村道仁、名越弥五郎、名越浄味
などの釜も展示され、一度に総数50点以上は嬉しい悲鳴でした。

歴代の釜師たちが守り伝えた技を見るというより、
異なる作風の釜は釜師たちが追及したであろう美学を
浮かびだしていて、興味深く拝見しました。
時代背景、注文した茶人の好み、制作する釜師の人となりまでを
釜が代弁しているかのようでした。

大きさも普段見慣れている大きさではありません。
総じて初期の時代(16世紀?)に大型の釜が多いのは
大きな台子を使っていた名残りでしょうか。
それとも寺の茶所に掛けられた釜なのでしょうか。
まだ炉の大きさが今のように決まっていなかったせいでしょうか、
茶の湯が男性だけのものであった・・と思い知らされる大きさでした。

              

侘び茶人・善法所持の茄子形手取釜写(13代浄長作)には
とても興味深いエピソードがありました。
秀吉がこの手取釜を欲しがりますが、善法は断る口実に
釜を打ち割ってしまいます。
後悔した秀吉は利休に命じて釜師辻越後に手取釜の写しを2つ作らせ、
1つは善法に与え、これが粟田口・良恩寺に伝来しているそうです。

私のお気に入りは「(48番)菊水釜 2代浄清作」、
菊と流水の文様をあらわした小さな釜で、
鐶付は大鯰の背に猿が乗った猿鯰、
掴みは松笠で座にあるアオイのような一葉がステキです。

主人のお気に入りは「糸目撫肩釜 鯰鐶付 初代・大西浄林作」
すっきりした撫肩の大振りの釜で、
シンプルかつ繊細な糸目が美しい、私も好きなお釜でした。

              

異形の釜も多く、
鶴ノ釜、蓬莱釜、馬ノ釜などの中で尾上釜が目を惹きました。
いつか、道成寺のテーマにどうかしら・・・。
(29番)尾上釜 大西五郎左衛門作
播州加西の尾上神社にある朝鮮鐘を写したもので、天女が舞い、
掴みは梵鐘の釣り手の竜頭です。

見ごたえのある「茶の湯釜の世界」でしたが、
最後に展示会場に設えた茶席の道具組を記録しておきます。

  床  「鐵技(てつぎ)」 如心斎筆
  花   白椿
  花入  唐銅袴付 曾呂利盆  西村道弥作
  釜   桐  2代大西浄清
  炉縁  金毛閣古材  即中斎在判
  水指  瀬戸渋紙手
  茶器  黒大棗  覚々斎在判
  茶碗  伊羅保  銘「曙」
  替   黒織部
  茶杓  瀬田掃部  覚々斎筒
  建水  唐銅 槍の鞘  大西浄林作
  蓋置  竹節
                          



2014年甲午の初釜  雅中庵にて

2014年01月08日 | 献茶式&茶会  京都編
               (写真は薄茶席その他です)

2014年1月5日、甲午年の初釜へお招き頂きました。
2回目なので、少し余裕を持って早めに有馬温泉へ到着でき、
東京からいらしたOさんとホテルで待ち合わせました。

茶室棟は別棟にあり、「雅中庵」の扁額は鵬雲斎大宗匠筆です。

待合の床には、三幅の絵「竹に雀」「大黒天」「柳に鶯」が掛けられ、
一方の床に掛蓬莱(ヒカゲノカズラの輪飾り)が掛けられています。
ヒカゲノカズラは古生代に栄えたシダの一種で、神事に使われ、
天照大神が天岩戸に隠れたとき、アメノウズメノミコトが
これを冠にして踊ったと伝えられています。

      

奥様のお接待で点心と一献を頂戴し、菓子席へ。

葩餅(はなびらもち、末富製)をパクつきました。
ごぼうと白味噌餡とピンク色の餅を、求肥で包んだ菓子ですが、
とても柔らかく切りにくいので、そのままパクつくのが一番なのです。
600年の伝統ある葩餅は雅な宮中おせち料理の一品とか、
白味噌餡が程よい甘さでした。
忘れずに!(稽古でよく忘れるので・・)しっかりと拝見した縁高は
蓋、蓋裏、側面に唐花(吉野絵)が漆で画かれ、六代宗哲造です。

            

濃茶席へ席入すると
床に「和敬清寂」、又妙斎筆です。
裏千家流の精神をあらわす深淵な語句はいつ拝見しても
身の引き締まる思いが・・・。

花は曙椿と鶯神楽、もう鶯神楽が咲いているのですね。
花入は竹一重切、めったにお目に掛かれない見事な花入は、
銘「君主」、名前の如く堂々と端坐しています。

大きな釜が目に入りました。
「撫肩」、名越弥五郎造です。
鐶が口近く高い位置にあり、そのために撫肩の形が美しく栄えています。
小振りの三角形水指が大きな炉釜と対照的でした。
水指は古備前(初期・鎌倉時代から織豊時代までの備前焼)、
茶入は・・・あとのお楽しみです。

            

濃茶席「有喜庵」は四畳半本勝手、又隠(ゆういん)の写しで、
道庫と突上げ窓もありました。
茶道口が開けられ、S先生の濃茶点前が始まりました。

道庫を使う点前は教本がなく、亭主があれこれ考えて
点前を工夫するそうなので、一同、固唾をのんで見つめています。
柄杓が青竹の蓋置に引かれ、総礼すると、
「あけましておめでとうございます
 本年もどうぞ宜しくお願い致します」
と挨拶が交わされました・・初釜を一番実感するシーンです。

茶入が清められ、濃茶が入り、湯が汲まれると
芳香が茶室に満ちてきます。
さらさらと三碗(9人分)の濃茶を点ててくださいました。
たっぷりと程よい濃さの濃茶(二椀目)を緊張しながら味わいました。
緊張のあまり、お服加減になんとお答えしたのかしら? 
(記憶にないのです・・・もしや?)
香りよくマイルドな味わいの濃茶は遊亀の昔、伊藤園詰です。

            

三つの茶碗を拝見しましたが、それぞれ心に残る茶碗でした。
主茶碗は、華頂宮様の御手造りの黒楽、
嘉永2年霜月、今日庵御立ち寄りの折に玄々斎が拝領した茶碗です。

私は二椀目の古萩、銘「富士」で頂戴しました。
歪のある形と侘びた肌合いが霊峰にふさわしい深みのある味わいで、
世界遺産登録の話題も嬉しい一碗でした。

三碗目は、赤楽、銘「大雄峰」当代吉左衛門造、
確か、昨年はこの茶碗で濃茶を頂いた思い出が・・・。

道庫もですが、突上げ窓が実際に使われているのも珍しく、
茶事の時に、窓のつっかえ棒をお詰に預けておく亭主もいるとのことで、
先生自ら、突上げ窓を開けて見せてくださいました。
・・・すると、一条の光が茶室へ射して、次客さんを照らしました。
とても神々しく、茶室の空気が一変する光の演出にびっくりです。

            

最後に、茶入と茶杓について書いておきます。
茶入は、不動清寂を感じる、瀬戸破風窯の翁手、
1年ぶりの嬉しい再会でした。
小堀権十郎箱書に次のような和歌が書かれていました。

   人問はば知れる翁の夜語りを
        昔にかえす和歌の浦波

象牙の茶杓ですが、塗りがあり、三代宗哲造。
利休形(好)で、当時は象牙に漆を塗っていたそうです。

            

Oさんと薄茶席へ、社中のグループが持ち回りで薄茶席を担当しています。
こちらも和やかで愉しい席でした(写真は薄茶席です)。
2回目の初釜ですが、どのお席も気持好く、素晴らしい思い出になりました。
今年も新たな決意でお茶に取り組めそうです。
ありがとうございました! 
                            



初詣-2  日向大神宮

2014年01月06日 | 京暮らし 年中行事
            
(つづき)
昨年末、吉行和子さんとお杉さん出演のテレビ(番組名は不明)で
紹介していた「日向大神宮」へ行ってみました。

「京のお伊勢さん」として古くから(式内社)信仰されていて、
山上には伊勢神宮遥拝所もあるとか。

平安神宮から南禅寺をめざし、地図を確かめると
南禅寺近くにある「インクライン」の山側に鎮座しています。
「インクライン」とは、舟で物資を運ぶ時に、舟ごと台車に乗せ、
坂を上り下りする線路のことです。

明治時代、琵琶湖疏水が舟運、灌漑、水車などの利用に建設されました。
滋賀方面から物資を乗せ疏水を通って来た舟は、蹴上舟溜りに到着すると、
舟ごと台車に乗せ、線路で南禅寺舟溜りへ運ばれました。

             
             「インクライン」蹴上舟溜り

「インクライン」の遺構を見ながら上って行くと、
「日向大神宮」の石灯籠が見えてきました。
平安神宮に比べると、ウソのように人出も少なく、
時折参拝者と行き交うくらいの狭い参道を登って行きました。

             

             
                   伊勢大神宮遥拝所

最初に「伊勢大神宮遥拝所」へ。
山の気を感じながら急な山道を行くと、見通しが好い場所に
「伊勢大神宮遥拝所」があり、伊勢の方角へ向かってお詣りしました。
ここは太陽の通り道になっているそうで、
反対側には平安神宮の赤い大鳥居と左大文字が一線上に見えます。

             
                     太陽の通り道

日向大神宮には八百万の神を祀る社がありますが、
その一つ「えんむすびの神 福士神社」へ。
大黒主命が祭られている社前には、願いごとが書かれたかわらけが
高く積まれていて、若い女性が熱心に祈っていました。
うず巻くエネルギーに圧倒されながらもお詣りし、願いごとを・・・。

粟田山の懐深く、神々を祀る聖なる地でありながら、
ほっこり温かみを感じる境内に、雅な神明造りの社がありました。
こんなステキな神社があるなんて・・・
すっかり気に入り、嬉しくなりました。

日向大神宮は伊勢神宮のように外宮と、その奥に内宮(本宮)があり、
先ず外宮からお詣りし、橋を渡って内宮でお詣りしました。
祭神は天照大神です。

             
                内宮でお詣り・・・二拝二拍手一拝

神前に若水と書かれた、浄めの水が用意されています。
青竹の器に水を汲み、口に含むと、まろやかな味です。
あとで巫女さんに若水のことを伺うと
「橋を渡った右奥に湧き出ている「朝日泉(あさひのいずみ)」の御神水で、
 水神さまを祀る社がございます」
と教えてくださいました。

           

           
              御神水・・朝日泉(あさひのいずみ)

内宮のすぐ横の山に「天の岩戸」と呼ばれる岩屋があります。
中に戸隠の神様が祭られていて、通り抜けたら厄祓いが出来るとか。
興味深く、浪漫を感じる岩屋に入り、厄祓いをしてきました。

           
           天の岩戸の通り抜け

とても満足して帰途へつく時に
「ところで、日向ってなんて読むのかしら?
 ひむかい、ひのむかい、それともひゅうが・・・」

丁度通りかかった年配のご婦人に尋ねると、鹿児島からいらした方でした。
でも、印刷した分厚いネット情報をとりだし、調べてくださいました。
すごい情報量にびっくり!
日向大神宮は京都人でも知る人ぞ知る穴場だと思うので
鹿児島からお詣りにいらしてくださって嬉しいです!

正しい読みは「日向(ひむかい)大神宮」でした。
お薦めの神社です。ぜひお詣りしてくださいまし。

                               

       (初詣-1 平安神宮で「翁」をみる)へ




初詣-1 平安神宮で「翁」をみる

2014年01月03日 | 京暮らし 年中行事
            

元日の初詣は平安神宮へ。
12時30分から平安神宮神楽殿で京都能楽会新年奉納が
あるというのです。
神楽殿へ行くと満席に近く、かろうじて後方に座り込みました。

            

まもなく、最初の演目「翁」が始まりました。
能「翁」の呪文のような神にささげる歌です。

   とうとうたらりたらりら
        たらりあがりららりとう・・・

翁は「能にして能にあらず」といわれ、能が正立する以前の
「猿楽」の形を残した能です。
天下泰平、五穀豊穣、国土安穏を祈る能なので、
新年を寿ぐのにこれほどふさわしい能はありません。

            
                    千歳の舞

以前観た能「翁」とはだいぶ違い、日吉式となっていました。
面を着けずに千歳、翁、三番叟の三人が次々と謳い舞う、
とてもシンプルな「翁」で、能が成立する以前の神楽「翁」を
再現しているかのようでした。

           
                    翁の舞

以前、金剛能楽堂へ見学に行った折、
金剛永謹氏が翁で使う面(白色尉と黒色尉)を手にして
次のようなことを話してくださいました。

  その昔、「翁」は神楽として神官が演じていました。
  あるときに神官から能楽者へ丸投げされたのです。

  神官ではない能楽者が神前で「翁」を奉納するためには
  大変な努力をしなくてはなりませんでした。
  別火を行い、身を浄め、神に近づくために「面」をつけ、
  祈りのための「翁」を演じるのです・・・と。

そんなお話を思い出しながら「翁」を拝見しました。

           
               力強い三番叟の舞

「翁」に続いて「高砂」まで拝見してから、本殿の参拝の列へ並びました。
並ぶこと30分、やっと神前に進み、小さな幸せをお願いしました。
初詣後は恒例のおみくじです。
「末吉  願い事は叶うけれど、たゆまぬ努力をしなさい・・・」
大いに納得して、次の「日向大神宮」へ向かいました。

      
          初詣-2 日向大神宮へつづく
                                 ときどき時雨


 
(参考)       
京都府 【京都能楽会新年奉納】
12時半  平安神宮神楽殿
★翁 日吉式 浦田保浩 田茂井廣道 茂山良暢 
 笛 森田保美 小鼓 林吉兵衛 林大和 林大輝 井林久登
★舞囃子 高砂 金剛龍謹 
 笛 杉信太朗 小鼓 曽和尚靖 大鼓 石井保彦 太鼓 井上敬介
★仕舞 鶴亀 吉田篤史 
    東北 キリ 河村晴久 
    猩々 宮本茂樹
★仕舞 田村 クセ 種田道一
★小舞 三人夫 網谷正美 松本薫 山口耕道
★舞囃子 嵐山 片山伸吾 
 笛 左鴻泰弘 小鼓 吉阪一郎 大鼓 渡部諭 太鼓 前川光長