暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

感服係り

2009年12月06日 | 茶道楽
茶事入門教室(第2回)を終えてHさんからメールが届きました。
一部紹介させていただきますね。

「お正客のI 様の問答が素晴らしくてとても勉強になりました。
 お道具が綺麗だなとか、料理が美味しいなと思っても
 なかなかどう表現すれば良いか分からなかったんですが、
 I 様が本当にいろいろな言葉で伝えていて素敵だなと思いました!
 私もボキャブラリーが豊富になるために本を読んで勉強したいです。」

・・・そうなのです。
「もう心臓がパクパク言って、ご亭主に聴こえたのでは?」
と、I さんは言ってますが、とても素直にお心こもる言葉で
感想を述べられ、私も感心して聴き入ったのでした。
そして、体全体で「感服」を表現しているように思われました。

今、「近代数寄者の名茶会 三十選」(熊倉功夫編)
を読んでいます。
明治から昭和十年頃にかけて花開いた数寄者たちの
茶会記を解説を交えて紹介しています。

その中で、高橋箒庵は馬越化生(恭平)という茶人のことを
「客となれば感服係りの随一にて・・・」と、
客ぶりが当時の人々のお手本になったと書いています。
「感服係り」という言葉に思わず吹き出してしまいました。

高橋箒庵が経験した感服の仕方には七種あって、

第一に唸り声を出して感服すること
第二に暫時瞑目して感服すること
第三に顔を見つめて無言に感服すること
第四にヘッヘッヘッ-と世辞笑いして感服すること
第五にフウフウと鼻息を荒くして感服すること
第六に尻餅をつきグニャグニャとなって感服すること
第七に品物を頭上まで差し上げて感服すること

馬越化生はこの七種の感服を兼ね備えていたそうです。
「すごいですねぇ~
 きっと茶会は大いに盛り上がったことでしょう」

客となれば亭主の心に添って、感服した事柄を
亭主や相客に伝えることがとても重要だと思います。

言葉も大事なのですが、Iさんに見習って
言葉に頼らない感服の所作を身につけたいな・・
大げさでなくとも素直に、ステキに、感服を伝えたいな・・
と思いました。
          (次へ)              


   写真は、「秋の終りの春草廬」(三渓園提供)

追記  馬越化生翁の顔写真を探しています。
    ありましたら是非ご一報ください。
    恵比寿さまに似ているとか?
        

3 コメント

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Unknown (ジバゴ @三溪ファン)
2009-12-07 17:49:37
写真あり升。
但し、実物の恵比寿様の顔は見たこと無いので分かりませんが、絵とかと比べる分には似てないと思います。

春草廬の周りに銀杏の葉が敷き詰められ風雅ですね。自分が行ったときはまだそれほど目立たなかったですが写真綺麗なものです。この場所は以前は三溪が一番好んだ茶室であった蓮華庵があってこの落葉の時季にたびたび茶会を開いたようですね。

 いち三溪ファンより
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人の思いと自然 (暁庵)
2009-12-10 08:30:24
ジバゴ@三溪ファンさま
コメントと写真のお知らせ、有難うございます。
コメントが遅れましたが、だちくゎん様から写真のHPと所在のお知らせがありました。
近々掲載したいと思っています(やり方が成功すればですが)。

三渓翁にならって銀杏の降り積もる時期に茶会をしたかったのですが、この時期は一般公開中でした。
それで、11月8日に春草廬で茶会をいたしました。

元蓮華院の場所へ春草廬を移築するにあたり、松永耳庵は反対の意見書を横浜市へ提出していますね・・・。
人の思いと裏腹に自然(四季)は変わらずに訪れ、一瞬の美を留めて移ろっていきます。
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Unknown (ジバゴ @三溪ファン)
2009-12-10 22:29:04
失礼、蓮華庵でなく蓮華院でした。

耳庵は三渓への尊敬すること尋常ならず葬儀、お通夜のときは棺の側からいつまでも離れようとしなかった。昭和29年三溪園復旧工事の起工式の際は招ばれてないのに壇上に立ち「三溪先生が作られた通りに直すよう、余計なことはしては相成らん」と言って早々に帰ったとありますから意見書提出は至極当然の行いだったのでしょうね。

自分の持ってる写真は馬越恭平翁傳に載っているものでした。
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