暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

自転車に乗って  法然院・沙羅の宴

2013年06月23日 | 京暮らし 日常編
                       沙羅の花(夏椿)

6月16日(日)16時~、鹿ケ谷・法然院で開催された
「沙羅(さら)の宴」(25回 筑前琵琶 片山旭星)に初めて参加しました。

「沙羅の宴」について、法然院貫主・梶田真章氏が次のように書いています。

   南無阿弥陀仏
   「沙羅の宴」は、邦楽普及団体「えん」の伊東和子さんが
   大切に育ててこられた会です。一昨年より当院が後を引き継ぎ、
   沙羅の花咲く季節に琵琶の魅力を存分に伝えてゆきたく存じます。
   本年は「俊寛」「横笛」「那須与一」の三曲です。
   梅雨のひととき、蛙の声を聞きながら「平家物語」の世界をご堪能ください。
   合掌

庫裏から入って、一番奥の方丈が会場でした。
広い方丈庭園に面していて、開けっぱなしの部屋や廊下を
心地よい風が吹き抜けていきます。

                   
                       
                   
                             雨香満竹林

                 
筑前琵琶の奏者は片山旭星氏、
最初の「俊寛」は、ここ鹿ケ谷・法然院にふさわしい演目で、私たちも
先日、大文字山へ登った折に俊寛の山荘趾(法然院の裏山?)を通ったばかりでした。

語りは、平家物語(巻第三)有王が島下りのこと。 じゃじゃーん!

 あらすじは・・・
   平家打倒の密謀は仲間の裏切りによって平清盛の知るところとなり、
   俊寛、成経、康頼の三人は薩摩の沖、鬼界ヶ島へ流されました。
   1年後に中宮徳子のお産のため特赦があり、成経と康頼は許されますが、
   清盛の俊寛への怒りは激しく、一人赦されず島へ残されます。

   配流から3年経ち、俊寛の召使い・有王は鬼界ヶ島へ渡り、俊寛を探します。
   ある朝、痩せ衰え、見るも憐れな男の姿を見つけ、尋ねると、
   その男こそが俊寛でした。

   わずか3年の間の主人の変わりように驚き、胸を痛めながらも
   北の方と若君が亡くなったことを告げ、姫君からの手紙を渡します。
   再び有王は俊寛に仕えますが、23日後に俊寛は37歳の生涯を閉じました。
   有王は法師となって諸国行脚し、主人の後世を弔ったとか・・・。

柔らかい撥さばきの筑前琵琶の音色は、その時々の情景に合わせて
静かにもの哀しく、ある時は勇ましく、物語の進行を促していきました。

                   
                          諸行無常の響きあり・・

筑前琵琶の平家物語を聴くのにこれ以上の舞台は考えられません。

方丈の庭は浄土庭園だそうで、石橋のこちら側はこの世、
あちらには阿弥陀様がおわす、あの世になっています。

片山旭星がその庭を背景にして琵琶を片手に坐しています。
高すぎも低すぎもせず、片山旭星の声は広い方丈の隅々まで聴こえ、
平家物語の世界へ誘います。

時折、筑前琵琶の音色に和すように、
蛙(モリアオガエル)の鳴き声と添水の響き。

   祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 
   沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕す
 

沙羅の花を愛でながら、こんな思いに浸る夕べもよろしいようです。

                   
                          モリアオガエルの卵

                                      




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