絵本の中の3ページめで、主人公の、青い目の赤いジャケットの小さな男の子は、自分のお話に飽き飽きしました。
なぜって、もう何百回となく同じ森の中を通ったり、同じ女の子と踊ったり、同じ山に登ったりしたのですから。
「あーあ、なんてつまんないんだろう」
と、男の子はいつもの森の切り株の上に座ってため息をつきました。
「これからまたあの女の子に会って『やぁおはよう』『踊ろうよ』『じゃあまたね』って言わなくちゃいけないんだなあ」
空には、いつものように赤いでんでん虫のようなおひさまがはりついています。
でも、男の子は、いくらうんざりしても、同じことをくりかえすしかなかったのです。
なぜって、男の子は自分が絵本の中にいるのだとは知らなかったし、だから絵本の外にも世界があるということも知らないのです。
「ああ、なんてつまんないんだろう」
と、また男の子はため息をつきました。
すると、向こうからもう何百回も見慣れた女の子がかけってきます。
「やあ、おはよう」
と、男の子は言います。いくらうんざりしても男の子はこう言うしかないのです。
「あら、おはよう」
と、青い目の白いエプロンの赤いスカートの女の子は言います。女の子のほうはいつも本当に楽しそうで、何百回も同じことを平気でやっています。男の子にはそれがふしぎでふしぎでなりませんでした。
でも、男の子だって初めからうんざりしていたわけではありません。
初めの百回くらいまでは、絵本の最後まで行ってまた最初のページに戻ると、もうどんなお話だったか忘れていたのです。
けれども何回目からかは覚えていませんが、男の子はだんだんお話を思い出すようになったのです。そして「ああ、これからぼくは山へ登るんだっけ」というふうに、山へ登る前のページあたりでわかってしまうようになったのです。そのうちには10ページ先のことまでもわかるようになり、いまではもうお話をすっかり覚えてしまっています。
自分のお話を全部覚えてしまった絵本の中の主人公がどうしてうんざりせずにいられるでしょう!
目の前に立っている女の子に、
「踊ろうよ」
と、男の子は言います。本当は、もう踊りたくないんだけれど。
「ええ」
女の子は言います。
ふたりは森の動物たちといっしょにワルツを踊ります。ト長調の美しい曲でしたが、男の子にはうんざりでした。
でも、男の子の顔はにこにこ笑ったままです。男の子はその顔以外の顔のことを知らないのです。いえ、男の子にとっては顔というのは、にこにこしている顔のことでしかないのです。
男の子と女の子は踊りながら森をぬけ、もうひとつ森をぬけ、おまけにもうひとつ森をぬけていきました。すると、大きな川のそばまできたところで夜になりました。
いったい何ページくらいたったのでしょう? いっしょに踊っていたはずの動物たちはいつのまにかみんないなくなってしまい、群青色の空には赤いでんでん虫のおひさまのかわりに、今度は気どった紳士の横顔のような三日月のお月さまが出ています。
女の子は夜をこわがってふるえています。
男の子は、けれども夜が大変好きで、だからこのページがいちばん好きでした。
川のそばでお月さまを見ていると、そのときだけ男の子は「ああ、もしかしたらこのお話よりほかにも別のお話があるのかもしれない」と思うことがありました。
絵本の外のことが、男の子には少しわかるのでした。
女の子は男の子のとなりで、飽きもしないでぶるぶるふるえています。
すると、おきまりのオオカミが森の中から現れて、
「食べてやるぞー」
と、言いました。
「た、助けてオオカミさん」
女の子は泣きながら叫びました。
「ぐるるる、うまそうな子どもたち、どっちを先に食べてやろう?」
オオカミは言います。
それからオオカミは女の子に飛びかかり、それを男の子がぽかりぽかりと打ちこらしめて、オオカミはすごすごと森へ帰ってゆく、というのが、この絵本のお話です。
(なんてつまらない絵本でしょう!)
それで、オオカミは女の子のほうへ飛びかかりました。「キャーッ」と、女の子が叫びました。
でも、どうしたことでしょう? 男の子は女の子を助けないのです。
男の子は、お月さまを見ているうちにふしぎな気持ちになって「ぼくは女の子を助けない」と、初めて自分で自分のことを決めることができたのです。
オオカミも女の子も、これにはちょっとびっくりしたようでした。けれどもオオカミも絵本の中の月の光のせいでしょうか、いつのまにか本物の、おなかをすかせたオオカミになっていたのです。
オオカミになったオオカミは、むしゃむしゃと女の子を食べはじめました。
女の子は「キャー」とか「痛い」なんて言わないで、にこにこ笑いながらオオカミに食べられていきました。いつもなら、男の子がオオカミをぽかぽかとげんこつでなぐっているのをうれしそうに見ている時分だったからです。
にこにこ笑いながらオオカミに食べられている女の子を見ながら、男の子はうれしくてうれしくてしかたありませんでした。
といっても、女の子が食べられるのがうれしいわけではありません。
そんなことはどうでもいいのです。
男の子は、自分がいつものお話とはちがうことができた、そのことがうれしかったのです。
オオカミは女の子をすっかりたいらげてしまっても、まだおなかがいっぱいになりませんでした。だってオオカミは、この絵本ができてからずっと、何も食べていなかったのですから。
それでオオカミは今度は男の子を食べようとおそいかかりました。
男の子は、すなおに足のほうから食べられていきました。
男の子もやっぱり、食べられながらにこにこ笑っていました。
でも、それは、女の子とはちがって本当にうれしかったのです。
男の子は、初めて本当にうれしくてにこにこ笑いながら、オオカミのおなかの中へ消えてゆきました。
お話の主人公のいなくなった絵本は、もうどこにもありません。
いえ、こんなつまらない、いいかげんな絵本など、もちろん初めからありはしませんでした。
なぜって、もう何百回となく同じ森の中を通ったり、同じ女の子と踊ったり、同じ山に登ったりしたのですから。
「あーあ、なんてつまんないんだろう」
と、男の子はいつもの森の切り株の上に座ってため息をつきました。
「これからまたあの女の子に会って『やぁおはよう』『踊ろうよ』『じゃあまたね』って言わなくちゃいけないんだなあ」
空には、いつものように赤いでんでん虫のようなおひさまがはりついています。
でも、男の子は、いくらうんざりしても、同じことをくりかえすしかなかったのです。
なぜって、男の子は自分が絵本の中にいるのだとは知らなかったし、だから絵本の外にも世界があるということも知らないのです。
「ああ、なんてつまんないんだろう」
と、また男の子はため息をつきました。
すると、向こうからもう何百回も見慣れた女の子がかけってきます。
「やあ、おはよう」
と、男の子は言います。いくらうんざりしても男の子はこう言うしかないのです。
「あら、おはよう」
と、青い目の白いエプロンの赤いスカートの女の子は言います。女の子のほうはいつも本当に楽しそうで、何百回も同じことを平気でやっています。男の子にはそれがふしぎでふしぎでなりませんでした。
でも、男の子だって初めからうんざりしていたわけではありません。
初めの百回くらいまでは、絵本の最後まで行ってまた最初のページに戻ると、もうどんなお話だったか忘れていたのです。
けれども何回目からかは覚えていませんが、男の子はだんだんお話を思い出すようになったのです。そして「ああ、これからぼくは山へ登るんだっけ」というふうに、山へ登る前のページあたりでわかってしまうようになったのです。そのうちには10ページ先のことまでもわかるようになり、いまではもうお話をすっかり覚えてしまっています。
自分のお話を全部覚えてしまった絵本の中の主人公がどうしてうんざりせずにいられるでしょう!
目の前に立っている女の子に、
「踊ろうよ」
と、男の子は言います。本当は、もう踊りたくないんだけれど。
「ええ」
女の子は言います。
ふたりは森の動物たちといっしょにワルツを踊ります。ト長調の美しい曲でしたが、男の子にはうんざりでした。
でも、男の子の顔はにこにこ笑ったままです。男の子はその顔以外の顔のことを知らないのです。いえ、男の子にとっては顔というのは、にこにこしている顔のことでしかないのです。
男の子と女の子は踊りながら森をぬけ、もうひとつ森をぬけ、おまけにもうひとつ森をぬけていきました。すると、大きな川のそばまできたところで夜になりました。
いったい何ページくらいたったのでしょう? いっしょに踊っていたはずの動物たちはいつのまにかみんないなくなってしまい、群青色の空には赤いでんでん虫のおひさまのかわりに、今度は気どった紳士の横顔のような三日月のお月さまが出ています。
女の子は夜をこわがってふるえています。
男の子は、けれども夜が大変好きで、だからこのページがいちばん好きでした。
川のそばでお月さまを見ていると、そのときだけ男の子は「ああ、もしかしたらこのお話よりほかにも別のお話があるのかもしれない」と思うことがありました。
絵本の外のことが、男の子には少しわかるのでした。
女の子は男の子のとなりで、飽きもしないでぶるぶるふるえています。
すると、おきまりのオオカミが森の中から現れて、
「食べてやるぞー」
と、言いました。
「た、助けてオオカミさん」
女の子は泣きながら叫びました。
「ぐるるる、うまそうな子どもたち、どっちを先に食べてやろう?」
オオカミは言います。
それからオオカミは女の子に飛びかかり、それを男の子がぽかりぽかりと打ちこらしめて、オオカミはすごすごと森へ帰ってゆく、というのが、この絵本のお話です。
(なんてつまらない絵本でしょう!)
それで、オオカミは女の子のほうへ飛びかかりました。「キャーッ」と、女の子が叫びました。
でも、どうしたことでしょう? 男の子は女の子を助けないのです。
男の子は、お月さまを見ているうちにふしぎな気持ちになって「ぼくは女の子を助けない」と、初めて自分で自分のことを決めることができたのです。
オオカミも女の子も、これにはちょっとびっくりしたようでした。けれどもオオカミも絵本の中の月の光のせいでしょうか、いつのまにか本物の、おなかをすかせたオオカミになっていたのです。
オオカミになったオオカミは、むしゃむしゃと女の子を食べはじめました。
女の子は「キャー」とか「痛い」なんて言わないで、にこにこ笑いながらオオカミに食べられていきました。いつもなら、男の子がオオカミをぽかぽかとげんこつでなぐっているのをうれしそうに見ている時分だったからです。
にこにこ笑いながらオオカミに食べられている女の子を見ながら、男の子はうれしくてうれしくてしかたありませんでした。
といっても、女の子が食べられるのがうれしいわけではありません。
そんなことはどうでもいいのです。
男の子は、自分がいつものお話とはちがうことができた、そのことがうれしかったのです。
オオカミは女の子をすっかりたいらげてしまっても、まだおなかがいっぱいになりませんでした。だってオオカミは、この絵本ができてからずっと、何も食べていなかったのですから。
それでオオカミは今度は男の子を食べようとおそいかかりました。
男の子は、すなおに足のほうから食べられていきました。
男の子もやっぱり、食べられながらにこにこ笑っていました。
でも、それは、女の子とはちがって本当にうれしかったのです。
男の子は、初めて本当にうれしくてにこにこ笑いながら、オオカミのおなかの中へ消えてゆきました。
お話の主人公のいなくなった絵本は、もうどこにもありません。
いえ、こんなつまらない、いいかげんな絵本など、もちろん初めからありはしませんでした。
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