7月26日
「白痴」第一部読みました。これは11月27日の朝から夜中までの、一日の出来事です。戯曲的というか、戯曲そのもの。地の文はほとんどト書きです。ここまでは、木村訳も望月訳も亀山訳も印象はあまり変わらないですね。ここから、読み進められるかどうか。
「地獄の季節」でランボーは何をうたっているのか。ひと言でいえば、「見えすぎる者の悲惨」でしょう。世界と自分の、過去と未来を見通し、それが正しいことがわかっているのに、「現状」という怪物をどうにもすることができない嘆き。もしキリストが現れて、「よく見通したね。君には『見者』という貴族階級に並ぶ身分と、働かなくても生活できる年金をあげよう」と言ってくれたらかなり救われるだろうに。「かなり」というのは、こと「表現」について、私はランボーのような天才を持っていないので、それについてどんな絶望感を抱いているかは完全には理解できないからです。でも、私はこの散文詩を、私小説として読んでいます。だから、表現に関しては「俺」という主人公の一つの特性として、自分なりの深さで理解できればいいと思っています。これは、まさに、ランボーという作家による「若い芸術家の肖像」だと思います。そうして「肖像」と同様、何度でも読みたくなる傑作小説です。
「白痴」第一部読みました。これは11月27日の朝から夜中までの、一日の出来事です。戯曲的というか、戯曲そのもの。地の文はほとんどト書きです。ここまでは、木村訳も望月訳も亀山訳も印象はあまり変わらないですね。ここから、読み進められるかどうか。
「地獄の季節」でランボーは何をうたっているのか。ひと言でいえば、「見えすぎる者の悲惨」でしょう。世界と自分の、過去と未来を見通し、それが正しいことがわかっているのに、「現状」という怪物をどうにもすることができない嘆き。もしキリストが現れて、「よく見通したね。君には『見者』という貴族階級に並ぶ身分と、働かなくても生活できる年金をあげよう」と言ってくれたらかなり救われるだろうに。「かなり」というのは、こと「表現」について、私はランボーのような天才を持っていないので、それについてどんな絶望感を抱いているかは完全には理解できないからです。でも、私はこの散文詩を、私小説として読んでいます。だから、表現に関しては「俺」という主人公の一つの特性として、自分なりの深さで理解できればいいと思っています。これは、まさに、ランボーという作家による「若い芸術家の肖像」だと思います。そうして「肖像」と同様、何度でも読みたくなる傑作小説です。
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