麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第708回)

2020-09-14 00:19:33 | Weblog
9月14日

「白痴」、先週読み終わりました。最後のほうはすばらしいと思ったし、とてもよくわかりました。が、もうこの長編を頭から読み返すことはないでしょう。

昨年、講談社版の内田百閒全集を神田の青空古本市で買いました。その月報に、ゴヤの「巨人」のパロディのイラストがありました。ゴヤなんて、名前は知っていても画集を見たこともないし、いつの時代の人なのかも知りませんでした。でも、私はそのイラストに衝撃を受けました。というのも、それは私が書いた「大きな人」という一連の散文詩(もとは「風景をまきとる人」もその中のひとつ)の登場人物のイメージそのものだったからです。高校時代、私は実際、彼らを目にしたことがあり(べつに狂っていたわけではない(と思う))、自分でも下手な絵を描いていましたが、その月報のイラストは、もう「まさにそれ」としか言いようがないほど彼を活写していました。巨人なのに申し訳なさそうな感じ、さびしく肩を落としている感じ。パロディのもとになっているゴヤの絵を見たとき、私はゴヤも「大きな人」を見たことがあるに違いないと思いました。そこからゴヤその人に興味を持ち、画集の安いのも買ってきて見るようになりました。そのすばらしさは私のような美術無知の人間には語ることもできないほど圧倒的でした。戦争の悲惨さ(というより人間という存在の悲惨さ)を描いた版画、透徹した世界観を知らせる動物の死骸のものすごくリアルな絵。神話に材を取ったこわい絵。でも、そんな中でも、私を一瞬で虜にしたのは、「サバーサ・ガルシア」という若い女性の肖像画です。もう、とてもまいりました。こんなに肖像画を長く見ていたことはいままでありません。少し前、フェルメールがブームになったときも(プルーストがフェルメールを好きなことは知っていますが)、「これなら篠山紀信氏のほうがいい」と思ったぐらいなのですが、ゴヤのサバーサ・ガルシアにはまいりました。まさに「タイプ」としか言いようがない。それと反対に、美しいがいやだな、と感じたのが「イサベル・デ・ボルセール」という女性の肖像画です。少し豊満で自信に満ちている表情。はっきり言って苦手なタイプです。

さて、ゴヤのことを調べていたら必ず出会うのが、作家・堀田善衛の評伝「ゴヤ」です。実は、最初にサバーサ・ガルシア像に出会ったのもその文庫本の中でした(私はただ絵を見るためにその本を買いました)。そのページには、いま私の書いた2人の肖像画を見たときの著者の感想が書かれていました。著者は2人の肖像画を見て、ドストエフスキーの「白痴」を思い出したといい、サバーサ・ガルシアをアグラーヤ・エパンチンだと感じ、イサベル・デ・ボルセールをナスターシャ・フィリッポヴナだと感じた、いやもっと断定的に、そう感じるのが常識である、というように書いていました。私はそれを読んで、すごくいやな気持ちになりました。それは、この評伝の著者の次のような考えを表しているからです。「なぜムイシキンは、処女で美しいアグラーヤというお嬢様を捨て、金持ちの愛人だったナスターシャを選んだのか。自分なら絶対に処女のお嬢様と結婚して幸せになるのに」。下らない。こんな人が一般的な評価を得ている作家だなんて。この著者とドストエフスキーにはなんの心の親近性もありません。「白痴」を引き合いに出すのはやめてほしい。第一、ドストエフスキーは、ナスターシャが二重あごになるほど豊満だとはひと言も書いていません。それどころかレフ・ムイシキンが初めて目にするナスターシャの写真については「面立ちはいくぶん頬がこけ、顔の色は青白いように見えた」と描写している。私には、サバーサ・ガルシアこそ、ナスターシャ・フィリッポヴナその人に見えます。美しいが、どこか微妙にバランスが悪く、顔のパーツそれぞれが独立して自分が正面だと決めたほうを向いている。そんな感じ。アグラーヤ・エパンチンはいまならたぶん、才気あふれる女子大生といった感じでしょうが、きっとつり目気味だと思います。今回「白痴」の通読は4回目ですが、最初に読んだとき私は童貞で、そのときは堀田という作家と同様、アグラーヤのほうが断然好きでした。でもそのときだけです。それは許してほしいと思います。しかし、声望を手にした大人の作家がまだそんなつまらない価値観しか持てないなんて。ゴヤについても、どんなことを書いているか想像はつきますよね。きっと、つねに自分が育ちのいいことを知らせるような優等生的解釈を披露して悦に入っているに違いありません。――いけない。なぜこんなところに着地したのか。わからないけど――機会があったらサバーサ・ガルシア像を見てみてください。
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