麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第162回)

2009-03-15 22:43:40 | Weblog
3月15日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

しばらく前に、岩波少年文庫の「ドン・キホーテ」を読みました。
現行の岩波文庫の訳者である牛島信明さんによる縮訳版です。

やっぱり最高におもしろくて、ところどころ泣いてしまいましたが、なにか全体的に会田訳(ちくま文庫全訳と、新潮文庫の「丸かじりドン・キホーテ」の元訳)に比べて上品な訳という感じ。少年向けに、娼婦とのやりとりや、キンタマむき出しの場面などはカットされているせいもあると思いますが、なにか、見せようとしているものの重点が「文芸」におかれていて、「文学」の部分が希薄な感じになっています。編集の重点も「後編」のほうに置かれている。そこに少し不満を感じました。

ご存知のように、「ドン・キホーテ」(後編)は、前編が出版されて人気を呼んだとき、その人気に便乗してニセ作者が勝手に書いて出版した「偽ドン・キホーテ」(続編)に抗議をすべく、本物の作者・セルバンテスが書いたもの。
セルバンテスはその中で、今で言う「メタ文学」的な遊びをして、偽の作者をおちょくります。たしかに、それはおもしろく、おそらく文芸的にはこの「後編」のほうが価値が高いのでしょう。訳者も、「後半のほうがはるかにおもしろい」と言っています。
ただ、その感想は、いかにも大学の先生が抱きそうな感想という気がします。
つまり、「ドン・キホーテ」を知的作物として自分のほうに引き寄せ、それに託して、自分の「お上品なバカバカしさ」を自虐的に笑い、その実宣伝し自慢し、「私もこのようにはちゃめちゃな笑いが大好きでして」と、自分を大学教授だと知る人に向けてだけ言い、小林秀雄にならって『狂人といふこと』とか『セルバンテスの生活』というような著書をものにして「私はただのインテリではなく、現実の底辺まですべてわかっているのだよ。セルバンテスの真情もね」とでもいいたそうな感じ。

私は圧倒的に、前編が好きです。
妄想の中の敵に恐れもなく挑みかかり、そのたび瀕死の重傷を負いながら「こうしている間にも世に悪がはびこってしまう」と、再び己を奮い立たせ、遍歴の途につくドン・キホーテ。こっけいであればあるほど真剣さが伝わり、その誠実さが胸を打つ。

「メタ好き」の人は、そのおもしろさがわかる「身内」と、インテリらしく「ヒヒヒ」笑いをするもの。
私は「ヒヒヒ」笑いは苦手で、笑うなら「ハハハ」と笑えるもののほうが好き。そうして「ハハハ」と笑えるものは、あと一歩で泣くこともできるものです。
前編には、ハハハ笑い満載。作者の顔など思い出すヒマもなく、次々と繰り出されるこっけい譚。後編は、風刺の冴えや、ドン・キホーテとサンチョに仮託した名言のすばらしさは誰が見てもわかりますが、作者の影がちらつき、ドン・キホーテの純粋さは失われてしまっています。
しかし、どちらがセルバンテスを強く感じさせるかというと、それは、前編です。
作者の影がどこにもなくても、物語の全てが、セルバンテスその人になっているから。
私はそれが文学だと思います。



平岩弓枝「西遊記」(文春文庫)出ました。
「西遊記」ならとりあえずどんなのでも目を通したいので買って第1巻読みました。
イラストがかわいくていいですね。また、作者の悟空解釈はなかなか斬新です。やさしいというか。(平岩弓枝さんのすごさを感じる機会が最近けっこうあります。前に書いた「少年少女古典文学館」の「太平記」も担当されているし、「里見八犬伝」も中公文庫で出されています。それでいて「肝っ玉かあさん」の作者ですからね。)



では、また来週。
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