8日付けの日経の1面トップに厚生労働省が働く時間でなく成果で賃金を支払う「ホワイトカラー・エグゼンプション」の制度案をまとめたとの報道があった。それによると、年収1075万円以上の専門職に限り、週40時間を基本とする労働時間規制から外す考えのようだが、官公庁の公務員を対象としたものならともかく民間の賃金制度の中身について国が介入するようなことが果たして経済活性化につながるものなのか、極めて疑問が残る。
安倍首相は2007年の第1次安倍内閣当時にもこのホワイトカラー・エグゼンプションの導入をめざしたが、一部労組などから反発を招き、挫折した経緯がある。日本経済の再生を掲げ、経済活性化の一環としてホワイトカラー・エグゼンプションを掲げたが、公務員ならともかく民間企業の労務制度についてなぜ国があれこれ指図するのか、よくわからない。労働者の基本的人権にかかわることでもないのに年収1075万円以上を対象とするなどあたかもいかにも合理的な水準を打ち出しているようにみえるが、何の根拠もないことだろう。
昨春の春闘の際にも安倍首相は経団連トップに対して、賃上げをするように要請し、この正月の経団連など財界の新春パーティででも同様な要請をした。企業が利益を上げているので、その一部を労働者にも行き渡るようにし、国内消費を盛り上げるのに一役買ってもらいたいとの趣旨であるのだが、企業が賃上げをするのには経営側と労組側の交渉の過程で決まるもので、それぞれの企業においてそれなりの事情を抱えており、いますぐに賃上げをする前に片づけておかなければならない交渉テーマを抱えている。それなのに関係ない国のトップから「賃上げを」と言われてもおいそれとは従えない企業も数多いことだろう。企業として国に対して負っている義務は所得税をきちんと納めることで、それさえ怠りなくやっていれば、何も国からあれこれ指図を受けたくもない、というのが経営者の心境だろう。
もともと企業経営は自由に企業家精神を発揮できる環境に置かれていることで、世のため人のためイノベーションを尽くし、最大限の業績を上げて、働く従業員の生活を守ることに日夜努力する。それを社会主義国家のように手取り足取りあれこれ指図されるのは国のなすべきことではない。安倍首相の頭の中の一体なにがそんなことをさせるのだろうか。周りにいる経済学者がなぜそんなことは自由な経済活動を妨げることになる、とアドバイスしないのか、不思議でならない。アベノミクスそのものがいまや失敗に終わろうとしているのはこんなところに原因がありそうだ。