鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

一流料亭の板前さんはまず料理道具から入ることがよくわかった

2010-07-24 | Weblog
 先日京都へ行った際に錦小路の刃物店「有次」で購入した銅製の卸し金の効能が素晴らしいことがわかった。帰って早速、まずそーめんの生姜を卸し、つゆに入れる長芋も裏で卸し、そーめんを食べたが、その食感がまるで違った。そーめんそのものはそこらのスーパーで買ったありふれたものであったが、まるで一流料亭で食べているような味がして、卸し金ひとつで料理の味がこんなに違うものなのか、と驚いた。料理というのは食材もあるが、料理道具も貴重であることを肌で実感した。
 卸し金に着目したのはNHKBSテレビの「アインシュタインの眼」なる番組でプロ野球解説者の古田敦也がわさびを卸すのに目の細かい卸し金を使ったら、味が格段に違うものだ、というのをやっていた。料亭の板前さんがそうした卸し金は「有次」で購入している、とも言っていたので、次に京都へ行ったら、ぜひ訪れてみよう、と思っていたのだった。店頭で応対に出た女子店員はその番組のことは知らなかったようだったが、味については保証する、と請け合ってくれた。卸し金の目の具合いは素人が見ただけではよくわからない、説明を聞いてそんなものか、と思うしかない。
 普通卸し金はせいぜい1000円程度で買えるものだろうが、「有次」では手頃な大きさのもので、7770円余もするうえ、竹製の描き出し用小物が735円もする。美味しいものを食べるのにはまず道具をそろえなければならないのだろう、と思い切って購入したのだった。
 で、家に帰って、その卸し金でおろした生姜と長芋でそーめんを食べてみたところ、全く味が違っていた。第一に生姜も長芋もフワッとして、口の中での食感が全く違う。卸し金ひとつでこんなに味が変わるものなのか、と正直驚いた。次の日にいつも食べている大根おろしを有次の卸し金でおろして食べてみたが、これもフワッとした食感で、まるで違った味がして、食卓が輝いて見えた。
 以前にも「有次」で鰹節削り器なるものを購入して、その味に驚嘆したことがあった。鰹節がカンナくずのように量感たっぷりに削れて、しかも美味しく味わえて感激したことがあったが、そうした感激も最初の1週間くらいで終わり、しばらくしたら鰹節削り器は食器棚の奥にしまいこまれてしまった。
 人間というのは贅沢なもので、味がよくなるとその味に慣れてしまい、感激しなくなり、いつしかその感激も忘れてしまうものなのだろうか。忘れっぽい、ということなのだろうか。かみさんもついつい面倒くさくなって、鰹節削り器を使うより、市販の鰹節を買ってきてしまうようだ。
 今回の卸し金の感激もそのうちに忘却の彼方へ行ってしまうかもしれないが、料理というのはまず道具であることがよくわかった。そういえば、「有次」には包丁や鍋などの料理道具が通常の金物屋で買う値段より数倍、もしくは10倍以上もする価格で陳列してある。京都の一流料亭の板前さんはきっとこの「有次」で買っているに違いない、と思った。伝統に培われた技やノウハウがこうした料理道具にこめられていて、それに従うだけで美味しい料理ができる仕組みとなっているのだろう。
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