鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

混迷するいまの民主党政権の方向を小田実に聞いてみたかった

2010-07-15 | Weblog
 3年前に亡くなった小田実の最後の講義「生きる術としての哲学」を読んだ。2002年に慶応義塾大学経済学部の講座「現代思想」に小田実を講師として招いた時の講義録として刊行されたもので、没後間もなく出版されたが、その時は読むに至らなかった。今回は図書館で小田実の著作をほとんど読んだうえでの最終仕上げとして読んだところ、改めて小田実の偉大さが了解できた。同じような出自の菅直人が首相に就いているいま、小田実のような感覚こそが求められている、と心底思った。
 「生きる術としての哲学」は「世界をどう捉えるか」から始まって「戦争主義と平和主義」、「ベトナム戦争と戦後世界」など小田実の歩んだ道をもとに哲学を如何なく語っている。小田実の社会を考える時に3つの基本単位を置く。1つは個人で、人間は1人で生まれてきて1人で死ぬが、個人1人では生きられない。だから周囲とのつながりが出来てきて、そのつながりが社会で、社会のうえに国家があるべき、と考える。ただ、あくまでも個人と社会が基本単位で、家族や国家、民族は2次的な単位で、なくても構わない。そして個人と社会を中心に考えるのが「市民」ととらえる。
 小田実といえば、ベトナムに平和を市民連合、つまりベ平連が代名詞となってしまっているが、それだけでなく阪神淡路大震災の復興でも給水や援助物資の手当てや、復興のための法案を作ったり、市民活動を展開した。東京都知事への出馬を要請されたこともあったが、「市民」としての政策がないことに気付き、立候補を断った、と「生きる術としての哲学」のなで述べている。いくら政策を考えても実際に行政を担当する官僚が変わらない限り、政治を変えることはできない、と悟ったことも立候補を取りやめた理由だ、と告白している。
 小田実を知ったのは1961年にデビュー作としてベストセラーとなった「何でも見てやろう」を読んでからだった。東大生の時に米フルブライトの留学生として1年間米国をはじめ世界旅行し、蛇口をひねれば温水が出てくる米国の文化に圧倒されながら、楽しく米国生活をエンジョイする若者の逞しさを赤裸々に綴った好著で、同世代の若者に同じように世界に羽ばたきたい、との夢を持たせた。その好著も最後にインドに赴き、余りにもひどい貧富の差と社会の最低辺に生きる貧民に触れて、逃げるようにして日本へ帰ってくるところで終わっていて、浮かれて放浪していた頭をガツンと殴られたような印象を受けた。
 その時の印象を「生きる術としての哲学」のなかで「アジアを見る目」として語っている。「何でも見てやろう」のなかでは触れていなかったが、インドは1960年当時から自動車を国内で生産している先進国だとの印象を持ったそうで、たまたま泊まった寺がとんでもないところだった、と述懐している。その後、羽田空港へ着いた際にインドのスラム街と似ていて、インドと日本は似ている印象を受けたとも書いている。40年前に「何でも見てやろう」を読んだ時にはそんなことは書いてなかった、と思うが、40年経ってようやく疑問が氷解した。
 この「生きる術としての哲学」の原稿が出来上がった3時間後に小田実は永遠の眠りについたと編者はあとがきに書いていたが、小田実の考えを余すところなく表しているこの著作は名著といえそうである。混迷するいまの民主党政権について小田実が生きていれば、その方向性でも聞いてみたい気がするのは鈍想愚感子だけではないだろう。
 
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