鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

異分子が異分子を心配する可笑しさ

2008-05-18 | Weblog
 17日は京都旅行最終日で、まず京都御所の拾翠亭に行き、葵祭のパレードが始まった玉砂利の道を歩いた。当然ではるが、つい2日前には豪華な時代絵巻が繰り広げられたことなどうそのように静まりかえった御所はひっそりとしていた。葵祭が天候に恵まれたのは6年ぶりとのことで、今回の京都旅行はつくづくついていた、と思った。その余韻をひきずって、烏丸御池の京都文化博物館で開催されている「源氏物語千年紀展」に行った。
 10時の開館前でチケット売り場は列を成しているほどの盛況ぶりで、紫式部の書いた「源氏物語」が平安宮中で読まれてから1000年経っている、ということから源氏物語に関する屏風、絵巻、書籍、衣装などをまとめて展示したもので、世界17カ国で翻訳sれていることも紹介されていて、いまさらながら源氏物語の世界が広がっているこおtを思い知らされた。単なる平安貴族の恋物語としか見ていなかったが、こうなるとまさに文化である。
 このあとはお決まりの散策とショッピングをしながら、ぶらぶらと京都駅に向かった。駅の手前に東本願寺があったので、のぞいてみると、まだ伽藍の大規模な工事中ではあったが、本堂、阿弥陀堂などが公開されていたので、信者の列にまじってざっと見てきた。拝観料もなく、自由に歩き回れて、本堂でゆっくりくつろげるのがいい。
 新幹線に乗って、お決まりの週刊文春を見ていたら、作家の林真理子がコラム「夜明けのなわとび」で「二人の異分子」と題していま話題のエド・はるみとIKKOをとりあげて、「とんでもない異分子が出てきたことは日本人の心に大きな変化が起こっている」とし、「我々が急に大らかでやさしい国民になっているとも思えないし、もしかするとうんと巧妙に意地悪になっている」としているが、自分が登場したと時も同じように見られていたことを少しも思っていないのが可笑しかった。文藝春秋の売らんかな作戦に乗って直木賞をもらっただけで、二人とそんなに違わない、立場を替えれば同じ異分子なのに、思い上がっている。マスコミとは本当に罪作りなことをするものだ。 
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