鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

小田原での青春への回帰

2006-07-23 | Weblog
 昨22日は小田原で去る人の1周忌に招かれ、朝早くから小田原へ赴いた。大学生時代からに友人の妹、T子ちゃんが昨年夏亡くなり、その法要に招かれたのだ。その友人宅は東京・板橋にあり、大学生時代にはよくお邪魔して、ご馳走になり、家族ともよく顔を合わせ、家族同様に可愛がってもらった。T子ちゃんは6人兄弟姉妹の末っ子で、一番明るい子であった。それが乳がんで、一番早く亡くなってしまったわけで、昨年末に友人から喪中のハガキをもらい、初めて知り、機会があれば線香の一本でもあげたい、と思って弔意を伝えていた。
 T子ちゃんは初めて友人宅にお邪魔した際にお酒と議論好きの友人のお父さんが焼酎を飲ましてくれ、そこに当時女子中学生だったTさんが現れ、にこにこしてペロッと焼酎のチョコを空けてしまったことをいまでも鮮烈に覚えている。友人は6人兄弟姉妹の次男であり、下から3番目であった。家族全員が明るい人ばかりであったが、なかでもT子ちゃんは底ぬけに明るかった。よく友人宅を訪れ、家族同様に談論した。会社に入り、名古屋へ赴任したのでやや足は遠のいたが、友人との交友は続き、T子ちゃんの消息はその都度友人から聞いていた。
 法事は大抵暑い夏か、寒い冬と決まっているが、幸い昨22日は曇り空でそれほど暑くもなく、懸念された梅雨も一休みの気候であった。小田原の駅に降り立ち、街なかを歩くのは初めてのことだ。駅のすぐ側に小田原城があるせいか、駅前から風情のありそうなお店が連なっている。お堀端通りを歩いて行くと、城跡の遺跡を掘り起こしている箇所があったり、たまたま小田原ちょうちんまつりで蛇腹のちょうちんが飾り付けてあったりと歴史を感じさせるたたずまいである。
 通りを抜けたところに1周忌を営む無量寺についた。若干場違いではとの思いが消えず、広間で法事の開始を待つ親族一堂に入りこむと、どっと汗が吹き出した。平服でいい、と聞いていたので、紺地の背広に濃紺のネクタイを着用に及んだが親族はいずれも黒でビシッと決めている。似非親族ではないのだから、と自らに言い聞かして、じっと大人しくしていた。友人の兄弟姉妹は年こそとったが、昔通りの気安さで受け入れてもらって、ようやく落ち着きを取り戻してきた。
 法事が本堂で始まり、末席に座り、お尚さんのお経を聞く。よく通るお経で、ふと本堂を見ると、ご本尊の横にグランドピアノが置いてある。聞けば、お尚さんは音大出で、ピアノも弾くという。音楽付きの法事もまた楽しいことだな、とも思う。
 墓参りも済まし、無事法事も終わり、近くの料亭で食事会の運びとなった。お酒好きの故人の一家が勢揃いで、最初からビールびん、お燗が飛び交う、次から次へとお酌に来る、とまるで結婚式の披露宴みたいな様相となり、T子ちゃんを偲ぶにふさわしかった。T子ちゃんの3人の残されたお子さんも陽気で、お酒好きで、座を盛り上げた。黒い喪服を着たT子ちゃんそっくりの年の頃20歳くらいの次女が目の前に座って、一気にビールの入ったコップを空けてケロッとしているのを見ると何やらタイムマシンに乗って40年前に戻ったような妙な感覚に捕らわれる。過ぎ去った40年の様々な出来事が一挙に取り払われて、T子ちゃんと面と向かっているような錯覚に陥る。神様も時に気まぐれな演出をするものだ。
 後味のいい法事で、しばし40年前に戻ったような気分に浸った。
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