鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

通り一遍に帰宅を促すのではなく、いまこそ被災者の心に寄り沿った施策が求められる

2017-04-12 | Weblog
 12日は東京・霞が関の東京地裁へ裁判の傍聴に出かけた。午前10時15分から626号法廷での福島県小高町(現南相馬市)の住民が東京電力に対して福島原発で蒙った損害賠償を請求する民事訴訟を傍聴した。先月17日に同じく福島県から群馬県に避難した45世帯が国と東京電力に対して損害賠償請求する裁判で前橋地裁の原道子裁判長が国と東電に対し、国がこの津波を予見できたのに東電に対策を求めなかったとして3853万円の賠償を命じた判決を下した以来のもので、さらに原告側の代理人に長島一茂の名誉棄損裁判を勝利に導いた弘中惇一郎弁護士が加わっているとあって注目の証人尋問であった。

 まず証人に立った南相馬市の仮設住宅に住む老人は弘中弁護士の尋問に答える形で母を原発被害で亡くした経緯を語り、奥さんの母親も新潟で亡くなったし、自身も持病の糖尿病に加えストレス、運動不足、栄養障害で身体が思うように動かない状態である、と訴えた。30年来、地元の少年野球の指導者を務めてきたふが、いまは肝心の子供たちがいなくなり、休部状態だ、という。長男家族は成田に2世帯が住める住宅をみんなで資金を持ち寄り、ローンを組んで立て、もはや小高に帰ってくる気持ちはない、と断言した。「子供たちの将来を考えれば、もうこの地区には住めない」という。

 続いて商人に立った福島原発の下請け作業をしていた男性は事故で仕事もなくなってしまった、という。父親は双葉町の特別養護老人ホームにいたが、消息不明となり、3週間経って消息がわかった。母親は3年前に悪性リンパ腫で亡くなったが、はんの1週間前に悪性リンパ腫であることが判明した、という。父親も半年前に肺炎をこじらせて亡くなってしまった。いずれも原発被害がなければ死ぬようなことはなかった、と思える、と強調していたのが印象的だった。

 さらに証人に立った60代の女性は日立化成の関連会社に勤めていたが、従業員がほとんど帰宅困難者となり、会社も自然消滅で失職した。いずれは夫とともに全国に販売できる米と野菜を作ることを夢としてきたが、いまでは風評被害で全くその夢を絶たれた、と述懐した。母親は震災後亡くなったが、以前に病んでいた十二指腸狭窄は快癒していたのに突如胆管癌になった、という。長男夫婦は茨城県に引っ越したが、2人の孫ともいじめにあってか、不登校状態となった。このこともあって、長男夫婦はもう小高に戻ってくることは決して考えようとしない、という。小高の家は地震、津波だけだったら修復できただろうが、放射能汚染で東電が屋根にかけてあった土嚢を外してブルーシートをかけたせいで、天井は崩れるわ、畳からキノコが生えてくるわ、柱はネズミが食うわでがたがたになってしまい、もう住めるような状態であんくなってしまった、と嘆いた。

 これで午前中の尋問は終わったが、今回の証人尋問で明らかとなったのは被災者のお孫さんが暮らしている各地でいじめにあっていて、それが2度と被災地には戻らないという気持ちにさせていることだ。いくら政府が被災者に帰宅を促しても被災者は孫や子供の将来を考えるととてもそんな気持ちになれない、という現実が改めて実感された。政府も通り一遍の帰宅を促す政策を取るのではなく、真に被災者の心に寄り添った施策を講じることが求められよう。

 
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