鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

自宅でコシヒカリを栽培する「自分米」でお米の有難さを実感した

2010-05-20 | Weblog
 2カ月前に新横浜駅へ名古屋へ帰る人を見送りに行った際にバラエティショップのLoft店がオープンしたばかりだったので、立ち寄って店内をぶらついていたところ、「自分米」と題したお米の栽培セットなるものが並んでいた。いつも食べるお米のコシヒカリが自宅で栽培できる、と書いてある。値段も1000円で手頃であり、横に同じようにプラスティックのケースで栽培できる「パセリ」と「シソウ」の栽培セットなるものも500円で販売されていたので、あわせて購入した。
 早速家に持ち帰って、「自分米」を開けてなかを見ると、小さなプラスティックケースと土、それに大き目の栽培用のビニール製の鉢と専用の土、そしてもみ殻付きのコシヒカリの米20点が入っていた。コシヒカリの米をプラスティックのケースの入れて、毎日水を替えてやれば、1週間くらいで芽がでて、それを今度は土を入れて、小さな苗になるまで育て、ある程度育ったら、大き目のビニール製鉢に植え替えて、水をたっぷりやれば、育ってきて、秋になれば収穫できる、と書いてある。
 プラスティックケースに米を入れて、室内で毎日水を替えて、見ていたら、確かに芽のようなものが出てきて、なるほどと思わせてくれた。そこで、指示通りに土のなかに入れ替えて、こまめに水をやっていたら、か細い状態ではるが苗のようなものが育ってきた。その苗が7、8センチ程度に伸びたので、大き目のビニール製鉢に植え替えて、外のベランダへ出したところ、折りからの天候不順で寒い日にあたったせいか、折角の苗が折れ曲がって、すっかり凋んでしまった。なかには枯れるものも出る始末で、とてもお米が成るどころでなくなってしまった。
 同じころに植えた「パセリ」と「しそう」も芽が出て、小さな葉が出るまでは順調に育ったのだが、ある程度育ったので、屋外のベランダに出した途端に外気にあたって、委縮したかのようにすっかり勢いがなくなってしまい、お米と同じような状態になってしまった。途中で栄養剤のようなものを与えたりしたが、結局育たなかった。室内専用で育てるように出来ていて、外の出したのがよくなかったのか、それとも今年の天候不順がたたったのか、よくわからないが、少なくともコシヒカリが実ることは諦めざるを得ないこととなってしまった。
 それでもいつも食べているお米が水に浸して育てていけば、いずれお米の実が成るものだ、ということがよく理解できた。実際に芽が出てきたときは感動し、お米の実に成るということの一端を垣間見ることができた。本当にお百姓さんがやっているように丹精こめてやればお米を実らせることができるのだろうが、素人ではそこまでできないなにかがあるのだろう。
 小さい時に鉱石ラジオなる制作キットがあり、説明書を読むと簡単にできるようになっているので、その通りやってみるのだが、いくら工夫しても一向に音が聞こえてこなくて最後は諦めたことを覚えている。それでも当時周りにはいとも簡単に鉱石ラジオを組み立てて見事に完成させてしまう魔法のような人がいたことも事実で、なにか常人には掴めないようなコツのようなものがあるのだろう、と思ったことがある。この「自分米」もそんなコツのようなものがあるのだろう。
 1000円というのが高いのか、安いのかよくわからないが、お米の仕組みを理解できたような気になっただけでも十分である。いつも食べるお米の栽培はこんなに苦労するものなのだ、ということを実感させ、お百姓さんに感謝するためのキットなのかもしれない、とも思った。
  
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