鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

初めてのアンコール演奏、N響演奏会

2007-04-09 | Weblog
 8日NHKホールでN響の定期演奏会を聴いた。もう何回も聴いているので、当初ほどの感激はなくなっている。耳が肥えたというのか、単なる慣れなのか、よくわからないが、眠くなるのはいつものことだ。特に、最初の「ハイドン 交響曲第55番変ホ長調Hob.Iー55校長先生」ではハイドン特有の軽い乗りの音楽だな、と思いつつ、コックリコックリとしてしまった。
 2番目の「プロコフィエフ/ヴァイオリン協奏曲第1番ニ短調」はロシア人男性のバイオリニスト、ドミートリ・シトコヴェッキが指揮者とともに登場し、演奏した。男性バイオリニストの場合、クラシックでは黒の礼服で華やかさはない。よれたズボンに黒のズックの靴を履き、バイオリンを持っていなければ、そこらの外人の酔っ払い、といった感じであった。
 ところが、演奏に入ると難しい曲を見事に演じきった。ただ、途中で何度も首をかしげ、バイオリンの弦を触って、調子がよくなさそうな仕草をしていた。そう思って聴いていると、他の交響楽団の演奏となにかチグハグなところがなきにしもあらずだった。それでも最後まで演じ切り、終わって会場からいっぱいの拍手をもらった。それが、当人も嬉しかったのか、3回目に再登場した時に突如アンコール曲を演奏し出した。N響の演奏会に何度も来ているが、アンコール演奏されたのはこれが始めてだった。あとで、プログラムを見ると、ドミートリ氏は両親ともバイオリニストで、早くから天才と言われた人であった。天才も時には思い通りにいかないことがある、ということなのだろうか。
 休憩をはさんで、最後は指揮者マティアス・バーメルト氏十八番のドボルザークの「交響曲第8番ト長調作品88」で、新世界とは違ったドボルザークの一面を感じさせる作品であった。
 楽団員の顔ぶれを見ていると、どうも結構入れ替えがあるような感じがした。4月というのは新年度で、新しい楽団員が入っているせいか、全体に若返っているような印象をうけた。いつももらうプログラムにメンバーの氏名が出ているので、比較すれば入れ替わりがわかるのだろうが、少なくとも次席コンサートマスターだった人の名前は消えていた。演奏がいつも同じものではないのと同様、楽団もいつもと同じではない、ということなのだろう。
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