prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「アビゲイル」

2024年09月21日 | 映画
あちこちから集められた互いに見知らぬ誘拐団一味が、大金持ちの娘を誘拐して幽閉したつもりでいたら、自分たちの方が囚われの身になっていた趣向は面白い。
もっとも後で考えると、誰がなんで少女を誘拐させて身代金を要求させたのかわかったようでわからない。
見ている側が疑問に感じたりボロが出る前にとっとと話を進めることに決めたということだろう。

前半のいとも優雅に「白鳥の湖」を踊っていたか細い少女が誘拐され怯えて泣きじゃくるところから一転してギャアッとなるタメがいい。

後半はピーター・ジャクソン「ブレインデッド」の次くらいに思い切って血糊をまき散らす。

誘拐団の一人がシャーロック・ホームズばりにそれぞれの他のメンバーの素性を言い当てるところからキャラクターづけを始めるあたりも工夫されている。

吸血鬼が噛むのと食いちぎるのとで、あとで噛まれた方も吸血鬼になるのかならないのかの違いが出るらしい。

アリーシャ・ウィアーは可憐な顔ととんでもない顔と両方見せて楽しい。





「加藤隼戦闘隊」

2024年09月20日 | 映画
昭和18年、もろに戦時中の製作。
陸軍省協力とあって、物資は豊富で、金もかかっている。

実際に飛行機を飛ばしたカットと、円谷英二によるミニチュア特撮との組み合わせも見事で、前方から戦闘機を撮ったカットなど、どうやって撮ったのかと思う。
パラシュート降下を上から撮った画もさりげなく新鮮。

「ハワイ・マレー沖海戦」同様、スタッフ、キャストの名前が全然出てこない。作り手の存在より、まず国策としての顔が前面に出ている。
監督は山本嘉次郎、撮影は三村明といった超一流スタッフに、主演は藤田進。
藤田進はウルトラマンなどの長官役の印象が強いのだけど、軍人役のイメージを受け継いだわけね。



「憑依」

2024年09月19日 | 映画
なんだか安い意味でマンガチック。
インチキ祈祷師がインチキのつもりで本物を招いてしまうというありがちな話で、コメディともホラーともアクションともつかず、中途半端。

チェ・ミンシクが出てないな?と思ったら「破墓 パミョ」と混同していた。





「シサㇺ」

2024年09月18日 | 映画
全体とすると「ダンス・ウィズ・ウルブス」のように異人異文化にその外側にいるマジョリティから接近した一人の男が、初めは異文化に反発する=されるがやがて理解し同化しかけるも中途で曖昧に挫折し、しかし諦めはせず記録者として後世に理解を委ねて生きることを決めるという流れになる。

1552年にスペイン出身のドミニコ会士であるバルトロメ・デ・ラス・カサスが著した 「インディアスの破壊についての簡潔な報告」を思い出した。
類型としては先住民が住む土地に侵略し占領し略奪した植民地主義の一環として世界史の至るところに通じる。

鮭の漁の場面があるのだが、以前、アイヌ初の国会議員になった萱野茂氏の講演で、当時アイヌが鮭を捕る許可をとるのに必要な書類を積み重ねたら身長を超えてしまうくらい(ちなみに萱野氏はかなりの大男)必要だったと聞かされ、さらに日本で言うなら主食の米を食べるのを禁じられ許可を得るのに膨大な量の書類が要求されるのは世界的にあまり例がないと言われた。
この映画でアイヌが和人に武力で制圧された後に舐めた苦難は直接には描かれないが、想像を絶するものだったろう。

見たことはないが、アイヌが出てくる日本映画としては高倉健主演、内田吐夢監督の「森と湖のまつり」があって、配役表を見たら三國連太郎が出ていた。この「シサㇺ」の主演の寛一郎の祖父ですね。

日本人のことをワジンと呼んでいたので魏志倭人伝の倭人かと首をひねったのだが、字幕で和人と出たのでなーんだと思った。

北海道・白糠町のロケ効果が大きく、エンドタイトルで町長の棚野孝夫氏への謝辞が出る。

ただ、アイヌ役の役者が実際のアイヌではないのは気になる。アイヌの職業俳優がいないから仕方なくはあるのだが。





「ママと娼婦」

2024年09月17日 | 映画
ママと娼婦というのは男にとっての女の二類型ということになるだろうが、ここに出てくる女たちは反語的に類型にはまっていない。

ジャン・ピエール・レオがスカーフみたいな幅広のネクタイ(実際にスカーフかもしれない)を途中から結んでいる。なんだか孔雀みたい。
アパルトマンの床にじかにマットレスを敷いて靴を履いたまま寝転ぶ。床には酒瓶が置いてあるし、どうもむさくるしい。

「白夜」のイザベル・ヴェンガルテン相手の会話でロベール・ブレッソンの映画に出てる云々の楽屋オチあり。

作中の会話で自殺について触れてるところがあるが、現にこれに出演した女優のひとりと監督が自殺している。

とにかくえんえんとセリフが続く。相当程度監督の自伝的内容らしく、キャラクターと一体化して、役者が代弁している分饒舌になっている感あり。





「侍タイムスリッパー」

2024年09月16日 | 映画
時代設定は少し現代より前なのでしょうね。登場人物でスマートフォンを使っているのはいなくて、みんなガラケーだった。
今や「撮影中の」時代劇はほぼ絶滅しているのだからそういうことになる。それともパラレルワールドか。

監督の安田淳一が照明から衣装から技術部門で何役もこなしている。自主映画だからということになるのだろうけれど、画面はそれなりに厚みがある。

助監督役の沙倉ゆうのがまた現実のスタッフとしても助監督ほか何通りもの職能をこなしていて、エンドタイトルに何度も名前が出てくる。

沙倉がカメラに写らないところでカチンコを叩いているのはどんなものだろう。画と音のタイミングを合わせる必要があるのからカチンコ叩いているのではないの?
山口馬木也がタイムスリップしてきて間もなく黒船来航の140周年記念イベントのポスターを見るシーンがあるが、その140というアラビア数字を江戸時代の人間が読めるのは変。

ひとつのシーンでカメラのセットアップ(位置変え)をしないのもひっかかった。いちいちカット割りするところを描くわけにもいかないのだろうが、これは知っていてついた映画の嘘の範疇に入るのかもしれない。

後半の展開はかなりひやりとするところがある。実際にやったらシャレにならない。虚実皮膜を順番を変えて見せた。

決闘シーンで向かいあったまま長い間をとるのは「椿三十郎」か。
拡大公開して、三連休の中日にしてもずいぶん客が入っていた。





「夏目アラタの結婚」

2024年09月15日 | 映画
柳楽優弥の内心がナレーションで語られるところでつまづいた。説明的を通り越して説明そのもの。
さらに獄中の黒島結菜が死刑囚だというのにさほど柳楽が積極的な理由もないのにかなりややこしい手続きで面会するのも、第一刑務所側が家族でもなければ弁護士でも相手に面会許すものかなと疑問に思ったら将棋倒しにウソ臭くなった。

第一、柳楽が児童相談所勤務だときちんとあらかじめ順を追って描かれておらず、なんだか一人合点なまま先に進んでしまう。

獄中結婚というと宅間守が現実の例としてあったし、「夏目」の作中でも支援者がすることあると語られる。
豊川悦司の死刑囚に一方的に妄想的に思いを寄せる女を小池栄子が演じた映画「接吻」があったが、小池は自分が演じるヒロインが理解できなくて万田邦敏監督に相談したら理解できなくていい、というか理解できなくて当然ですと言われてわからないまま演じたのだが(結果、各種の演技賞を受賞し演技者としてのステータスを確立した)、この場合のわからなさというのは常識から出た当然の疑問なのに対して、「夏目」の場合は話を悪くいじくり回したわからなさとしか思えない。
伏線の回収が後知恵にしか見えないのです。

面会室の場面ではどアップが多用され、黒島の歯が乱杭歯ということもあって照明ともどもおどろおどろしい。





「エイリアン ロムルス」

2024年09月14日 | 映画
「エイリアン」「エイリアン2」の場面やセリフをなぞるところとそれを超えて工夫するところが混ざっている。
エイリアンの体液が強酸という設定はこれまでのシリーズのどれより活かされていた。無重力状態を取り込んだのもありそうでなかった。便宜上、宇宙船内部は重力がありましたからね。

クライマックスがいったん済んでからさらに押すというのは「エイリアン2」以前からのジェームズ・キャメロンの得意技で、いまやアクションもののデフォルトにすらなっているが、アルバレス監督は「ドント・ブリーズ」でもそうだったが、二段構えのクライマックスの二段目になってから妙に押す方向がズレるのは惜しい。

アンドロイドがほぼ主役で実際キャラクターの振り幅は一番大きい。
先輩のアンドロイドで前に出てきたのとそっくりなのが出てくるのは、それを演じている俳優がAIで機械的にコピーされてるみたいで気味が悪い。

主演のケイリー・スピーニーは小柄だなと思ったら1m55cm。シガーニー・ウィーバーの1m80cmと対照的。「プリシラ」の主演なのね。





「ランサム 非公式作戦」

2024年09月13日 | 映画
レバノンで拉致された外交官を救出する実話の内幕を描くわけだけれど、人名が仮名になっているのがラストで明かされるように、具体的な経緯はほぼ作っているのでしょうね。何しろどこの誰に接触してどう交渉したかは実際の当事者でも部分的にしか知らない性格のオペレーションであり、対外的にも身代金を払ったとは口が裂けても言えない建前なのだから。

孤立無援になった外交官ハ・ジョンウがバディを組むのがチョ・ジフンのタクシー運転手というのも先行したヒット作に倣ったのではないか。

ロケ効果が絶大で、場所が絶えず移動するスケール感やバディ同志のやりとりのユーモアのセンス、関係性がくるりくるりと変転する展開など、実際がどうだったのかわからないのを幸いに、はっきりエンタメに振り切っている。

全斗煥独裁下の話で同時に公開されている「ソウルの春」ともだぶり、外交部と安全保安部とでは大統領との距離で力関係が決まっているらしいことが示唆される。

外交官もタクシー運転手もアメリカ志向なのが興味深い。同じ外交官でもアメリカはじめG7はソウル大卒のエリート向け、その他はその他の地域向けと決まっているらしい。





「熱烈」

2024年09月12日 | 映画
途中で主人公が勝つもので映画が終わってしまったのかと思った。
というか、ブレイクダンスでどちらが勝ったのか判断する決め手って何だろう。

長州力によく似てるのが出てるのが可笑しかった。

ダンスシーンはいいけれど、ちょっと映像処理が凝りすぎ。テレビで見られないところまで見せようとすると、そうなるのだろう。





「ナミビアの砂漠」

2024年09月11日 | 映画
特に前半、衣装や小道具に緑と茶系統の色を使ったコーディネートが目につく。
河合優実はすぱすぱ実にタバコをよく喫うのだが(ちなみに女の登場人物にタバコを吸うのが目立つ、男は吸ってなかったと思う)その細く巻かれたタバコの本体が茶色で喫い口が緑、ヒロインのかぶっている帽子がてっぺんに近い方が茶系統で鍔に近い方が緑、スマホケースの縁が緑といった調子。

前半で着ているシャツに書かれている文字がЩAМAН(キリル文字でシャーマン)で、後ろは読み取れなかったがbetween God and なんとかと書いてあった。
途中から鼻ピアスをするのが土人風。
(余談だが、水木しげる「ほんまにオレはアホやろか」を最近読んで、水木サンが南方で会った現地人のことを土と共に生きる人とでもいった意味で土人というコトバを肯定的に使っているので、倣いたい)

半分冗談で言うが、緑や茶は植物の色つまり自然の色で、ヒロインは自然児といった性格づけではないか。
もちろん舞台は現代日本で生の自然(とは、しかし何だろうね)とはほぼ無縁だが、ヒロインのふるまいは破天荒には見えないがよく考えてみると破天荒。昔だったら奔放なキャラとしてまとめられただろうが、もっと自然。

金子大地と寛一郎が髪の長さは違うが同じ人間じゃないかと思うくらい見分けがつかないし、おそらくあまり描き分けようとしていない。本質的には似たような男ということ。

タイトルのナミビアの砂漠って、精神科医がパソコン画面を通して問診するバックの壁紙が人工的な自然の情景になっているのと通じる。
よく医者のセリフが聞き取れなかったのだが、躁鬱と双極性障害を混ぜて喋ってなかったか。昔の躁鬱病が今は双極性障害と言っているわけだが、ヒロインはあまり病んだ感じがしない。そこがいい。





「夜よ、こんにちは」

2024年09月10日 | 映画
1978年、イタリアのモロ元首相が誘拐されて殺された史実をもとに誘拐した極左集団「赤い旅団」の内側から描く。

一味のマヤ・サンサが美人というのがありそうな話で、過激派に紅一点というのは目立つからにせよ、美しさで「階級」が上になりそうなのを拒絶しているという理屈なのだろう。

結婚式でロシア民謡を歌ったり、交霊会を開いたりといった場違いなようで、そういうこともありえただろうなと思わせる描写の分量が多い。

ラストでモロが解放されるイメージシーンなど明らかにその範疇からも逸脱している。キリスト教民主党のメンバーだったせいもあるのか、教皇が関わる描写がたびたび挟まる。




「愛に乱暴」

2024年09月09日 | 映画
江口のりこの夫役の小泉孝太郎がパブリックイメージとは全然違っていて、誰かと思った。
歳は小泉が1978年生まれ、江口が80年生まれで少し小泉の方が年上なのだが、江口の思春期の息子みたいに見えた。
なんだか江口をうるさそうにあしらったり、愛人をいきなり連れてきて別れてくれなんて虫のいい幼児的なこと言うしね。

ゴミ集積場から不審火が出たり、本来分別しなくてはいけない缶(それもチューハイの缶)が混じっていたり、カラスが集まっていたりといった不穏な空気の醸成が優れている。ただスマートフォンで見る日記みたいな匿名の文書の意味はよくわからなかった。

江口の昔の勤め先の上司の凄いいい加減な応対と、内心を押し殺した江口のリアクションがますます不穏さを煽る。
石鹸作りの講師というのがきれいごとの暮らしというイメージにぴったりで、しかし実質は非正規雇用であっさり予告も何もなしに働き場を失ってしまう。
キレて狂暴に暴れるのが定番なのが妙にずらして収まるのがまた不穏。





「アリゲーター」

2024年09月08日 | 映画
冒頭でワニを見世物にしている動物使いが本当にガブリとやられるのを見ていたワニ好きの少女がワニを裏返しにするとおとなしくなると隣の父親に耳うちするのだが父親は耳を貸さず、MCはMCで事態を取り繕うのにばかり気をとられているという芝居の組み立てが面白く、脚本のジョン・セイルズの職人的上手さが生きた。

少女が土産に赤ちゃんワニを買ったら父親が糞が汚いとまた勝手にトイレに捨ててしまう。この女の子があとで生きてくるなと思ったら案の定。

トイレに捨てた赤ちゃんワニがでかくなって下水道で生きているという都市伝説から発想したのだろう。(「グレートハンティング2」に下水道のワニ狩りが出てくると聞いたが、ホントかね)
「第三の男」(Harry Lime Livesという落書きが下水にしてある)を小ネタにしているところもあるが、カラー撮影では白黒ほどの効果はあがらず。

CGがなかった時代の製作('80)なので、ワニの巨大感を出すのにワニの口だけ、尻尾だけの模型とかも併用しながら、水しぶきの大きさから推し量って、本物のワニをミニチュアで動かして大きく見せているところもあるのではないか。

警官役のロバート・フォスターが薄毛を再三サカナにされたり実際無精ヒゲを生やしていたりとかなりムサい。
マイケル・ガッツォやヘンリー・シルヴァなどかなり馴染みのある顔が並ぶ。




「きみの色」

2024年09月07日 | 映画
考えてみると主役三人は同じクラスというわけでもないし、進学コースも違い、性別も違い、恋人同士というわけでもない。生活空間が近いには違いないけれど、むしろ近しいがそれほど親しいわけではないデリケートな関係を大事にしているのだろう。

クライマックスというにはふわっとしたクライマックスでトツ子がキーボードを一本指で弾いている。きみみたいに本格的にギターが弾けて歌えるのともルイみたいにプログラミングで音を出せるのとも違うが全体とすると厚みのある音を出している。演奏の巧拙ではないのだね。
ルイがテルミンを演奏しているのが目を引く。あまり使う楽器ではないと思う。

人が色として見えるという設定をお話を転がすアイデアとしてではなく、画面そのものとして描いている。
輪郭を黒でなく色がついた線にするのはかなり前からやっているが(「火垂るの墓」で試みられたと記憶する)、設定と結びついたことで新しいフェーズになったと思う。

音楽を聴くのがラジカセだったりスマートフォンの中でルイだけガラケーだったりと、ちょっと昔の設定なのだろう。