prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「名もなき生涯」

2020年03月02日 | 映画
「頭の先からつま先まで、細胞の一個一個に至るまで芸術家といった人です」とは「天国の日々」で組んだ撮影監督ネストール・アルメンドロスの監督テレンス・マリック評。

すごい評言だが、その全身芸術家ぶりはどの作品にも言えることとはいえ、「ツリー・オブ・ライフ」「トゥ・ザ・ワンダー」「聖杯たちの騎士」といった比較的最近の半ば連作は、いかに「天国の日々」の生涯のファンである自分もついていくのは難しく途中でたびたび舟を漕いだ。

今回も実に三時間の長尺で内省的なナレーションと自然光と多くが自在な手持ちカメラによる圧倒的に美しい映像といった文体はまったく変わらず、かなり覚悟していったのだが、芸術家気どりではなくこれが芸術なのだという物を見て、一種粛然とさせられた。

ナチスに併合されたオーストリアでヒトラーに忠誠を誓わなかったために死刑にまで処せられる農夫の物語、ではあるのだが、毎度のことながらストーリーはあるがおよそ語り口でひきつけるといった機能は果たさない。

見ながらかなり自己流に考えていたことを書き連ねると、ナチが支配していた神なき世界で、神を顕現するふたつのものが三時間にわたって続くとも言える。つまり、光と言葉、「ヨハネによる福音書」の冒頭「初めに言葉ありき、言葉は神と共にあり、 言葉は神であった」と、創世記の冒頭の「光あれ」ですね。

農夫が譲らないのは忠誠を誓うこと、思ってもいないことを口にすること、言と心とが食い違うこと、と突き詰めていて、ヒトラーが許せないから、とか、愛国心や道徳心からといったある意味わかりやすい意味解釈に接近するのを執拗に続く背景を満たす光とボイスオーバーによって回避しているとも言える。

はたからは理解できない価値観を通して命を捨てるに至る人といえば、代表はキリストだろうし、言及される場面もある。
かといってこれが宗教的な映画かというと、キリスト教的な人格神であるより、自然や光といったもの自体の中に超越的なものを見ようとしているといった微妙なところでイデーとしての宗教から外れている気がする。

いずれにせよこれは珍しいくらい思索と表現を突きつめた一作。





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