prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版」

2021年04月23日 | 映画
あまりにコアなファンが多いので正直引いて見ていることが多かった。
リアルタイムではないがテレビシリーズ、新旧の劇場版につきあってきたわけだから、興味がなかったわけはないのだが、謎本をいちいち読んだり、グッズを集めるとまではいかず、つかず離れずでつきあってきたというのが自分の基本的なスタンス。

で、この最終作は、それほどはまったわけではない人間から見ても、ここ二十年以上の論争(というかざわつき)に落とし前をつけたと思え、少なからぬカタルシスがあった。
エンドタイトルの終わりで監督名がぴたりと止まるというのは一般論としてはもったいぶった感じで好かないのだが、この場合の総監督⋅庵野秀明が止まるのは膨大な数のスタッフとファンを巻き込んだ壮大な個人映画としてふさわしい。

碇ゲンドウとシンジの父と息子の対決が自ずとクライマックスに来るのだが、「スター⋅ウォーズ」のように父を殺して新しい世代が来るという展開にならないのが、キリスト教的な世界観を大々的に援用しているのにも関わらず、なんというか日本だなという気がした。
キリスト教っぽいのは異国のものだからこそ世界につながる感じになるのではないか。

テレビシリーズのラスト近くで書きかけの原画を出してしまったり、旧劇場版で長々と作者のそれと見分けがつかなくなったシンジの独白、あるいは実写の導入といった作り物としての結構を自ら踏み越え破壊する書法を全編のおさらいとして再現する締めくくりがぴたりとはまった。

クローン、代替可能な人間と代替不可能な人間との狭間で引き裂かれて揺れるドラマ。
この代替可能感、誰でもいい、誰でもない感じというのが、身につまされるのだな。

事前の予告編でシン⋅ウルトラマン、シン⋅仮面ライダーが続けて流れる。
どんな展開になることか。