prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

山の湖 5

2020年10月15日 | 山の湖
 岩佐玄審は、茂みに身を隠しながら手の中の金を改めて握り締めた。
 背中から首筋から、熱いとも冷たいともつかない汗が流れ落ちる。奪い合いを演じた時に争った相手に踏みつけられた、金を握っていない側の手がずきずき痛んだ。
 頭の中はほとんど真っ白だった。掌を開けてみるのが恐ろしい気がする。見てみたら、ただの石ころを握っていた、などということはないだろうな。玄審はそうっと掌を開けてみた。茂みの暗がりの中でも、見たこともない光が木漏れ日に煌いた。それがどんな価値があるものなのか、玄審にはよくわからなかった。
 しかし、あれだけ狂乱して争って奪い合ったのだ、何かきっと価値があるに違いない。
そうだ、金を握り締めた手で、その手にかじりついて来た奴の顎を思い切り殴ってやったのだった。信じられないくらい重い手応えだった。何か顎の骨が砕けた感触があった。今でも生々しくその感触が残っている。
 これまで幾多の戦に参加してきたが、自ら進んで戦ったことはない。戦に負けるのはまずいが、勝っても何かをつかみとることなどできない。とにかく生き延びれば良かった。飯は食べられたし、どさくさ紛れに略奪も大っぴらにできた。
 しかし、今回は我ながら何かに憑かれたように働き、争い、つかみ取った。これほどの高揚を覚えたことは、久しくなかった。
 手の中のその成果をしげしげと見ているうちに、玄審はしかし、その高揚が急激に冷めていくのを覚えた。
(こんなものか)
 山の中とあっては、いかに金色の光を放っていても、ただの石といえば石だ。里に降りていかなくては、何の価値もあるまい。
 しかし、このままではたった一本だ。いくら握り締めてもさすっても、増えるわけではない。色街に行って豪遊すれば、いくらもしないうちに使い果たしてしまうだろう。
 作物の種ではないから、撒いて育てるというわけにもいかない。
 そうなると、これ一本だけでいいものだろうか、と思えてくる。これ一本だけしかないのならともかく、どう見ても三十本以上はあった。全員一本づつ配布したとしたら、丁度公平に分けられたと考えてもいいかもしれない。考えるべきなのかもしれない。ほどほどのところで我慢して手を打てと裡なる声がささやいた。
(これでは、足りん)
 むくむくと現れたもう一人の玄審が対抗して声をあげた。
 金を手にした者はとりあえず逃げ、散り散りになりながら、手にしそびれた者が追いかけていた、噛み付きそうな血眼の形相が頭の裡に閃いた。
(彼らが、あきらめるか)
 あきらめるわけがない。自分が彼らでも、決してあきらめないだろう。どこまでも追ってきて、殺してでも取り上げようとするに違いない。
「殺してでも」
 思わず声が出てしまっていた。それから、震えがきた。自分が出した声が、何者かが脅しの文句に聞こえた。
 殺される前に殺すべきだ。玄審は武器を探した。石を握った手では、どうしようもない。脇差は小屋に置いてある。半裸の工事作業がもっぱらでは邪魔で仕方ないので、全員の分をまとめて管理するようにしているのだ。
(まだあるだろうか)
 考え出すと、急に気が急き始めた。いても立ってもいられない気持ちだ。小屋に戻らないといけないが、誰か待ち伏せはしていないか。
 びくびくしていても仕方ない。
 玄審は何か奇妙な音がずっとしているような気がしていたが、それが何かはわからなかった。
 玄審は小屋はどっちだったか確かめるために、いったん川沿いに出ることにした。が、川の方向を定めるための水音がしないことに気づいた。水面が照り返す光でもわからないかと木立の間を透かして見るが、まるで視界が効かない。
 太陽の位置を確かめようとしたが、曇り気味の上、仮に位置がわかったところでどちらに進めばいいのか判断できない。
 玄審は焦り、やみくもに進んだ。いや、進んだのではなく同じところをぐるぐる回っているだけかもしれない。さっきも似たような形の切り株を見た覚えがある。下を見て、ゆっくり足元を確かめて進まないと。
「なんだ、これは」
 足元に、異変が起こっていた。
 妙に足元が粘る。重みをかけると、足が沈む。湿気が増してきているというだけではない。水が地面に広がっているのだ。意外なほどの速さで、生き物のようにいつのまにか地面に散らばった木の葉やふわふわした土を浸している。それは広がっているというより、気がついたら地面から水が湧いていたという感じだ。
(まさか)
 と、同時に先ほどから聞こえていた何か奇妙な音が何かわかった。ふだん聞こえていた虫や鳥の鳴き声がしなくなっていたのだ。音がするのではなく、ずっと聞こえていた音がなくなっていたのだった。
 川と森とは別々の世界と思っていたら、いとも簡単にその境がなくなってしまった。
これではすぐ森の中の小道もわからなくなる。玄審はますます焦った。とにかく、上に逃げなければ。
 だが、それとわかるほどの高低差はほとんど感じられない。足元がよく見えないので、乾いた場所を選んで進んでいるつもりでも、突然ずぶっという感じで足元がとられる。これではどう動いていいのかわからない。玄審は立ち往生してしまった。
(…)
 何者かの気配を感じ、玄審は息を殺した。
「おまえか」
 平伍の顔が、木の向こうから現れた。
 見慣れた顔だったが、この時はまったく別物に見えた。いつもの間抜け面が目が血走り、頬が引きつったようにひくひくしている。
(こいつ)
 やはり、こいつも敵か。
 何か光った。
 平伍が脇差を抜いている。丸腰では相手になりようがない。玄審は踵を返して逃げ出した。足元がぬかるみ出し、思うように走れない。
 足音がしない。追ってこないのか、地面が柔らかくて音がしないのか。
 前方の木陰からまたぬっと何者かが現れた。
 玄審は、また同じところをぐるぐる回っているのかと思った。現れたのが、同じ顔だったからだ。
 後ろで、木の枝が折れる音がはっきり聞こえた。
 振り向くと、また同じ顔があった。前と後ろを同じ顔に挟まれている。
 玄審は、何か悪い夢を見ているようだった。
 二人とも、短い刀を煌かせてじりじりと迫ってくる。前を見ても後ろを見ても敵。それも同じ顔の敵。
「待て」
 玄審は制止した。
 二人の男の距離が縮んだ。鏡の間に挟まれたように、玄審の姿が見えなくなり、離れた後、しばらく立ちすくんでから崩れるように膝をつき、地面に横たわった。頬をつけた地面には水が忍び寄っていた。


 川下の田んぼで一仕事して水路のそばで休んでいた与平は、突然蛙の鳴き声が騒がしくなったのに気づいた。
「はて、一雨くるのか」
 空を見上げたが、何も異常はない。地に目を向けると、水路の水がばかに減っている。
 与平は川に行ってみた。
 行って驚いた。川の水が干上がり、そこかしこで魚がぴちゃぴちゃ水溜りを跳ね散らかして暴れている。日照りが続いたわけでもないのに、どうしたことか。
 与平は、前にもこんなことがあったのを思い出した。その時は突然晴れているというのに洪水が襲ってきて、田んぼが水浸しになってしまった。あんな災難は二度とごめんだ。どういうわけなのか、当時の領主だった滋野家の役人に届けを出して原因を調べてくれるよう訴えたが、まったくのなしのつぶてで、ついにはその滋野家そのものが滅びてしまった。
 あんな領主は死んでもらって助かったくらいだが、その後も領主は二度も変わった。斉藤とか古田とか、名前を覚えるのも面倒なくらいだ。
 危なくなると、与平は一族郎党まとまって山に隠れる。そしてほとぼりが冷めるとまた里に戻る。山で山の民に会うことはほとんどない。というより、与平たち里の者は、山の者は極端に言えば鳥獣の同類と受け取り、口をきくのも忌むところがあった。
 もとより山の者が何をしているのか、上流で木を切り倒して洪水を起こすわ、水を汚すことはたびたびで、昔は里と争いが絶えなかった。
 このあたりは先代、先々代の領主も心得たもので、たびたび山狩りを行い、多くの山の民を強引に里に連れてきた。鉄を作る技術を持った者は特に強制的に狩りたてられ、武器の製造にあてられたという。
 もっとも、そんな昔のことは与平もよくは知らない。村でも鍬や鋤などの農具を鍛えるくらいは、自前の鍛冶屋で十分にできる。何もよそものに頼ることはない。しかし、そのよそものが、今ではすっかりいなくなったのかどうかは知らないし、考えたこともなかった。
 しかし、このまま水が流れてこなかったら。争いになることを考えて、村の者を集めておく必要があるだろう。まだ領主が代わって日が浅いが、直訴しておく必要もあるだろう。まだ脆弱な権力しか持たない領主は、民衆に束になって脅されると言うことを聞かざるをえないはずだ。
 与平は、領主などひとつも恐れていなかった。
 隣の末吉がやってくるのが見える。おそらく、与平が考えていたのと同じ相談事だろう。与平は腰を上げて歩き出した。
 やがて、その足が止まった。
 末吉の後ろ、川沿いの道の遥か彼方に、大勢が蠢いているのが見える。全員、武装しているようだ。
 末吉が与平の様子に気づいて振り向いた。
「ありゃ、なんだ」
「軍勢みたい、だな」
「また戦か」
「そうだろう」
「誰の軍勢だ」
「よくわからん」
「どこに攻めに行く」
「わからん」


 玄審の死骸は、次第に増えていく水にじりじり呑まれつつあった。頬に蛞蝓が這っていた。
「埋めるか?」
 平伍がもう一人の平伍に聞いた。正確に言うと、平伍が文六に聞いた。
「埋めなくても、このまま置いとけば、うまいこと沈むんじゃねえか」
「馬鹿だな、おまえは。人の体は水に浮くんだ」
「浮いたっていいじゃねえか」
「浮いてたんじゃ、目立つじゃねえか」
「目立って、悪いのか」
「悪いさ」
「どうして」
「なんで死んでるのか、おかしいと思われるだろう」
「俺たちが殺したからだろう」
「だから、それがばれると困るんだ」
「そうか」
「わかってるのか」
「ああ、わかってる」
「ほんとに、わかってるのかよ」
 上から、声がした。
「わからんでいい」
 二人は、どこから声がしているのかわからないで、きょろきょろした。
 さらに声は続いた。
「戻ってきたのか」
「ああ」
 文六が答えた。
「俺、あの崖の上り下り、好きだ。すーっと上に行ったり、すーっと下に下がったり」
「好き嫌いでやるものではない。見つかったらどうする」
「この工事の大騒ぎで、それどころじゃなかったよ」
 平伍が代わりに答えた。
「どうだ、里の様子は」
 相変わらず姿を隠したままの声がした。
「人と話すときは、面ぁ見せてからにしてもらいてえな」
 平伍が怒り、開き直って言った。
「泥棒みたいにこそこそしやがって、それでも侍大将かよ」
 すーっ、と木の葉の間から逆さまになった出川の顔が覗いた。
「コウモリだね、まるで」
 文六が感心したような声をたてた。
「まったくコウモリだよ、あんたは」
 平伍が声をひそめた。
「で、古田の援軍は来るのかい」
「来るはずだ」
「確かに伝えたか」
 と、平伍は文六に訊いた。
「はい、言われた通り、そろそろお宝がでるって」
「よしよし」
 出川が逆さまのままうなずいた。
 文六が見上げながら訊いた。
「しかし、なんで木の上で逆さまになってるんです」
「下がぬかるんできたからな。あと、あたりに誰かいて立ち聞きされたら、まずい。上から誰もいないのを確かめていたのだ」
「それにしても」
 変な格好だ、というのを平伍は呑みこんでから、弟の姿をしげしげと見た。
 血と泥にまみれると、ほとんど他人は見分けつかないだろう。二人が似ているのを利用するのを考えたのは、出川だった。
 もともと、旅に出る前、もし宝が出なかったらどうするか、万一のことを考えて手を打っておいたのが始まりだった。
 山にいても、絶えず里の様子を知っておく必要がある。
 そこで一計を案じ、里に弟の文六が降りた時、死んだように見せて、今の山の様子を今の里の支配者に知らせて出川が宝をつかんだように思わせて、誰が今後も生き延びられるよう布石を打っておこうとしたのだった。
 文六が自分がどんな役割を果たしているのか、わかっていたのか怪しいものだ。間者として使われる身になって、どう立ち回れば生き延びられるのか、海千山千の連中に混じって立ち回れるものでもない。
 しばらくしてから、文六は山に戻った。そこで工事でへとへとになっている兄と夜に交代した。兄は滝のそばの崖下に降り、崖上の状況で知りえたことを迎えに来た古田側の間者に伝える。そのような伝令役をつとめるついでに、工事の重労働から逃れての骨休めができるのが、魅力だった。河原で手足を伸ばしてごろごろしても、誰も文句は言わない。つかまえた魚を丸ごと焼いて一人で食べられる。
 次の日は、替って文六が平伍の仕事を引き継ぐ。引き継ぐといっても、その場その場の指示に従うだけだから問題はない。
 適当な日にちが経ったら、また夜闇に乗じて兄弟が入れ替わる。
 そして最新の状態を伝えるとともに、適宜休息をとる。という真似をしていた。ほとんど互いに面識もないし、興味もないのでばれることはなかった。と、思う。
 しかし平伍はいささか不安だった。いよいよお宝を実際に目の前にして、しかも里の本家が本腰を上げてきたとなると、どういう風に事態が動くかわからない。
 この集団で一番位の高いからといって、出川の言うことを諾々と受け入れたのは失敗だったかもしれない。しかし、今更引き返せない。
 出川は相変わらず木に登っている。
「いいかげん、降りてきたらどうです」
「いや用心第一だ」
「あと、どうなるんですか」
「決まっている。宝が出た以上、もう乾圭ノ介に用はない。里から本隊が着くのを待って、始末してくれる」
「そううまくいきますか」
「一人で何ができる。こちらには矢でも鉄砲でも揃っているのだ」
「しかし、古田が約定を違えないという保障があるのですか」
「約定?」
「そもそも、古田が謀反を起こすのを知っていたのですか」
「謀反など、いつ起こっても不思議はない。それがこの世のならいだ。わしはそれを忘れたことはない。だから生き延びてこられた」
「金は持ってるのですか」
「持ってる、だろ」
「だろっ、て。我々ではなく、あなたがです」
「これから集めるのだ。何しろここの指揮官はわしなのだからな」
 出川は、けけけけと鳥のような声で笑った。
(この人、正気なのだろうか)
 平伍はなんだか薄気味悪くなってきた。
「では、しっかり集めるのだぞ」
「何をです」
「金をだよ。手始めにそいつのを取れ」
 平伍は玄審の手を開かせ、握られていた金を取った。
「よし。こっちによこせ」
 と、上から手を伸ばした。
 文六が口を尖がらせた。
「これは、俺たちんだ」
「誰が取るといった。預かるだけだ」
「ふざけるな。誰が信じるものか」
「そういうけどな。今はこういう時だ。戦になるかもしれないし、水かさもどんどん増している。この地面ですら、確かなものではない。その中、ずうっと金を握ったままでいるのか」
 平伍が言い返した。
「下帯の中にでもしっかりくくりつけておけばいい」
「金の玉の横に金の棒を並べておくのか」
 出川の下がかった駄洒落に、平伍と文六はげんなりした。
 地位を嵩に着て、時折こういう下じものこともわかっているぞという顔をしたがる。
 突然、平伍が笑いだした。文六もつられて笑いだす。
「わかりましたよ」
 平伍が妙にゆっくり返した。
「渡します」
 金を差し出し、出川が取ろうとしたところで、刀を突き出した。
 一瞬早く、出川の姿は木の葉の中に消えた。上から声だけが聞こえる。
「バカモノめ、それくらい読めるわ。よほどわしを愚かだと思っていたらしいな。ここからおまえたちが殺しあうところを見せてもらうぞ。ほら、誰か来た」
 平伍と文六は身構えた。


 立花信吾は、みるみるぬかるんでいく地面に足をとられながら、棒切れを手に森を進んでいた。
 金も持っていなければ、武器も携えていなかった。どちらもどさくさまぎれのうちに手の指の間をすりぬけるようにどこかに行ってしまった。
(まったく、なんてことだ)
 どうやって身を守ればいいのだろう。
 平伍と文六はともに木陰に隠れた。武器は持っていなさそうだが、用心するに越したことはない。
 信吾が近づいてきた。平伍がゆっくりと木陰から姿を現す。
「きさま…」
 信吾が身構えたが、そのためかえって棒切れしか手にしていないのがはっきりした。
 文六が挟み撃ちにできる位置に来るよう、平伍は誘導する。が、文六もなぜかもたもたしている。
(何してるんだ)
見ると、文六は突っ立っているうちに泥に足がはまって動きがとれなくなっていた。
 やむなく、平伍は一人で切りかかる。が、これも足元が悪いため、踏み込みが甘く切っ先が届かなかった。
「金はない」
 懸命になって信吾は叫んだ。
「だから見逃してくれ、頼む」
 平伍はやや躊躇した。確かに、金にならなければ、殺すことはない。と、思うと突然足が泥から抜けた文六の刃が、勢い余って信吾の右わき腹をふかぶかと刺さった。
 え、というような意外な顔をして、信吾はそのまま崩れ落ちた。短刀はわき腹に刺さったままになっている。
「何をしてるんだ」
 平伍があわてた。
「いてえ」
 ぼそっと血のついた手を見ながら信吾が呟いた。
「余計な殺生しやがって」
「だって、足が急に抜けたものだから」
 信吾がどさっと倒れ、動かなくなる。
「だってじゃねえ。長居は無用だ。行こう」
 二人が去ったあと、出川が木から降ってきた。泥の中にもろに全身を横にして落ち、頭の先からつま先まで泥まみれになった。
「い、た、た、た、た…」
 それでも、泥のおかげで怪我はしないで済んだらしく、もたもたとなんとか立ち上がった。はっと気づいてあたりを見渡す。倒れている信吾を突付いて死んでいるのを確かめる。
「まったく、いつまでももたもたしやがって。猿じゃあるまいし、いつまでも木の上にいられるか」
 打った腰を抑えながら、ひょこひょこと歩いていき、さっき倒されたまま泥の中に突っ伏して放っておかれている玄審もつま先でつついてみる。
 突然、玄審の身体がはね起き、出川は腰を抜かした。
 はね起きた玄審の身体は、しばらく見得をきるように立ち尽くし、仰向けにどうと泥の中に沈んで動かなくなる。
「なんだってんだ、畜生め」
 出川は腰を抑えるのを忘れて、あわててその場を去った。


 川の両岸にそれぞれ一人づつ、二人の男が立っている。一人は与一郎、もう一人は源太。下帯ひとつで寒いのか、半ば身体をくの字にまげるようにして、しかし互いに睨み合っている。
 いや、睨みあっているわけではなく、睨んでいるのは相手が手にした金だ。
 川の水が次第に増えていくので、だんだん男たちの身体も水に漬かっていく。
 しかし、思い切って泳ぎ出し、相手の金をもぎとるというのは相当に難しい。争った挙句、二人ともなけなしのお宝を水底に落としてしまうかもしれない。
 そう思うと、なかなか一歩が踏み出せない。
 やがて、二人は呼吸を合わせて、くるりと互いに背を見せて川から上がってしまった。
 上がってきた与一郎の前に、男が立ちふさがった。
 刀を構えようとした与一郎のみぞおちに木の棒の先が食い込み、うっとかがんだ顔面に膝蹴りが入った。
 たまらず昏倒した与一郎の手から刀がもぎ取られる。
 しばらくしてなんとか半身を地面から起こした与一郎の顔を、圭ノ介が覗き込んでいた。
 圭ノ介は慌てて起き上がろうとした与一郎の刀をもぎとった右手を踏んで立たせない。
「刀は預かった」
 それでももがく与一郎に、
「もう一方の手を見てみろ」
 言われた与一郎が、やっと左手を見ると、金は握られたままになっている。
「片手に金を握ったまま戦おうったって、無理な話さ。片手で振り回すだけじゃ、腰が入らない。両手でしっかり握って鍔迫り合いができないのでは、勝てやしないぞ。暴れるな」
 与一郎は抵抗するのをやめない。
「やろうと思えば、とっくに殺して金を奪っている。そうしないのは、なぜだと思う」
 やっと、暴れるのがやんできた。
「今は、みなばらばらに金を握って勝手に逃げ回っているだけだ。全部まとめれば国を買えるほどの金だが、割ってしまえば遊びまわっているうちになくなってしまう程度のもの」
 与一郎は抵抗をやめた。
「それではつまらないと思わんか」
 圭ノ介は、与一郎の手から足をどける。
「どうしようというのだ」
 立ち上がりながら、与一郎が訊いた。
「金は一つより二つ、人は一人より二人だ」
「俺と組もうっていうのか」
「そんなところだ」
「あんたはお偉方しか相手しないのかと思ったぜ」
「俺が相手にするから、偉くなるんだ」
「言うね」
「俺が直接使っていた出川正信だの馬場次之進だのといった手合いを、本気で偉いとでも思っていたのか」
「いや、まさか」
「で、俺と組むのか」
「ああ」
 圭ノ介は、奪った刀を突き出した。
「返す」
 与一郎はぎょっとしたが、刀を返す、という意味であることに気づき、受け取った。冷や汗が首筋から背中にかけてどっと流れていた。


 川の反対側では、次之進と兵馬が川から上がってくる源太を待ち伏せていた。
 それと知らぬままやってきた源太に対し、前を次之進が立ち塞がり、後ろを兵馬が挟み撃ちにするつもりだ。
 二人は刀を持っていない。そこで両方から石を投げ、まず刀を奪うのを先決だとあらかじめ決めていた。
 源太がやってくる。まず次之進が予定通り前に立ちふさがろうとすると、兵馬が一緒に前に出てしまう。
「何してるっ」
 次之進は慌てた。
 源太は、当然川沿いに走って逃げようとするが、水かさが増していたのですぐ逃げ場がなくなる。逃げる源太の後ろから拾い集めていた石をぶつける。
 倒れた源太を二人がかりで強引に取り押さえた。
 取り押さえた後も、源太は大いに暴れ、二人でのしかかって押さえ込む騒ぎになった。
 源太はあらゆる汚い言葉を吐き散らかしたと思うと、一転してわびを入れ、命乞いをしてみせた。
 その間、ひたすら黙々と、次之進は刀を持った右手を、兵馬は金を持った左手を押さえつけていた。
 やっと三人ともくたびれて動けなくなってから、やっと二人もまともに口が動き出した。口しか動かなくなったといった方がいいかもしれない。
「じたばたしやがって」
「さあ殺せっ」
 源太は興奮して、まともに人の言葉など耳に入らない。
「まあ待て」
「動くな」
「俺たちは敵じゃない」
「何が敵じゃないだ、欲しいのは金か、命か、どっちもくれてやるっ」
 業を煮やした次之進は、
「えい、奪え」
 と、兵馬に命じた。
「何をだ」
「両方だ」
 と、言ったものだから、まだどこにこんな力が残っていたのかという馬鹿力を出して、あやうく二人を振り払おうという勢いだ。
 そうなるとまず危険な刀を奪うのに二人がかりで、兵馬が押さえつけ次之進が源太の手に噛み付いて、やっと刀を取り上げた。
 そうなると、源太は震えあがって手を合わせて念仏まで唱えだす。
「命だけはお助けっ」
 そう言って合わさった手の間から、金が覗いている。
「地獄まで金を持って行くつもりか」
 ぼそっと兵馬が呟く。
 源太が慌てて金を後ろに隠した。
「あわてるな。命も金も取る気はない。その逆だ」
 取り繕うように次之進が言った。
 源太が次之進と兵馬を交互に疑わしそうな目で見比べる。
「どっちなんだ。襲いかかっておいて」
 そのうちに、二人が自分から奪った刀しか持っていないのに気づいた。
「ふざけやがって、獲物を持っていなかったのか。石ぶつけるなんて、俺は犬じゃねえぞ。なめた真似をしくさって」
 それから源太を説得するまで、次之進は大汗をかいた。その間、兵馬はふてくされたようにそっぽを向いていた。
 内容は要するに仲間になって力を合わせてお宝を集めようということだったが、初めの行き違いが響いて、交渉を成立しなかった。
 あくまで仲間にならないというのなら、
「斬るしかない」
 と、兵馬は主張する。
「殺してお宝を奪おうっていうのなら、初めからさっさとやればいいじゃねえか」
 開き直った源太があぐらをかいて座り込み、せせら笑う。
 その首筋から血が噴き出した。
「野郎、本当に斬りやがった」
 首から噴き出す血を手で押さえながら、源太が地面を転がる。
 血がついた刀を持ったまま、兵馬が少し離れた場所でその様子をじっと見ている。次之進の方がうろたえていた。
「なぜ斬った」
 兵馬は黙って源太が絶命するまで待って、その手から金をもぎ取った。
「このために決まっているだろう」
 じろりと次之進に白目がちな目で睨まれ、次之進はたじろいだ。
(いつからこんな目つきになったのか)
 と思わせた。
 刀と金はともに兵馬が持ったままだ。
 次之進がいつしかじっと見ているのに気づいた兵馬は、ぽんと金を投げてそこした。
「預かっててよ」
 受け取った次之進は、安心していいのかどうかわからなかった。大事な方をよこしたとも、刀があればいつでも取り上げられるともとれる。
「行こう」
 兵馬が先に立って言う。
 次之進は、金とともに、さっき拾った残りの石も握り締めてついていった。