prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

山の湖 2

2020年08月15日 | 山の湖

「ありゃ、なんだ」
「馬鹿、金じゃねえか」
「金って何だ」
「見たことねえのか。お宝じゃねえか」
「お宝って何だ」
「お宝って、その何だ。探しに来ていたものよ」
「そうなのか? なんで探しに来てたんだ」
「そりゃ、お宝があればなんでも手に入るからよ」
「ホントか? じゃあ、ここにいくらでも女が降ってくるわけか」
「馬鹿、そんなわけないだろう」
「なんでだ」
「女は街まで買いに行かなくちゃいけねえ」
「だったら、ここに街を出せばいい」
 などといった会話が、下っ端の間で交わされていた。話していたのは、平五と文六の兄弟。
 馬鹿扱いされていたのは、弟の文六だ。
とはいえ、双子でそっくりなので、傍で見ていると自分で自分を嘲っているに見えてしまう。
 彼らが川に流されかける圭ノ介の命綱を握っていたので、圭ノ介が握っていた金の実物を間近で見ることができた。
 しかし、貧乏育ちで金の実物など見たことのない彼らには、それは意味不明なやたらきらきらする塊とも、地獄に見る仏の放つ神秘的な光とも見えた。
 そこまで極端ではなくとも、いざ実物を見聞に及んでもおよそ実感が湧かないのは、一行の誰しもが同じだった。
 そして、なぜ川に潜って出てきた圭ノ介が金を握って出てきたのか。


「どういうことだ」
 次之進は、圭ノ介に迫った。
 圭ノ介は面倒くさそうに口を開いた。下っ端の者に余計なことを耳に入れないため潅木の茂みの中に身を隠し、次之進の他は出川しかそばにいない。
「見ての通りだ」
「何がだ。どういうことなのか、さっぱりわからん」
圭ノ介は、滝の落ちる直前の水の白く泡立つ列を遠くから天地を分ける線に見立てるように、金をつかんだままの手を真横一文字に動かした。
「その滝が落ちている、すぐ前」
 次之進は、滝の手前の流れを速めている水のうねりを見やった。
「そこにこれが」
 と、手に握った金を示して見せた。
「隠されている」
「どれほど」
「あと、何十本か」
「何十本」
 出川が頓狂な声をあげた。
「なぜ、そんなものがこんなところに」
「俺が隠した」
「馬鹿な」
 出川が吐き捨てるように言った。
「なぜ、おまえのような身分の低い者が、そんな真似ができる」
 次之進は構わず質問を続けた。
「金は、安和国の滋野勝義が貯めこんだものか」
「もちろん。金を誰にも分けず、国のためにも自分のためにも使わず、一人で貯めこんで滅んでしまった。愚かな話だ」
 初めて、圭ノ介がまとまった話を始めた。
「俺はその貯め込む癖に目をつけた」
「というと」
「つまり、誰にも手が届かないところに宝を隠してしまいたいわけだ。勝義公としては」
「ふむ」
「そこで、俺は進言した。決して人の手の届かないところを。しかし、そうはいっても地面に埋めれば掘り返せばいいし、水に沈めただけだったら潜って取ってくればいいことだ。城の奥深くに隠したところで、燃やせばいいこと」
「うむ」
「しかし、流れる滝の上に隠したものはそうそう簡単に取っては来れない。何しろ、ひとつ間違えたら命がない」
「しかし、貴様は生きて戻った」
「運が良かっただけだ」
「それにしても、命知らずな」
「そうでもしないと、勝義公の懐には飛び込めんからな」
しかし、次之進はなかなか納得できなかった。それだけで滝から転落するすれすれまでできるものだろうか。
「しかしそれほど金を人には渡したくない男なら、隠した後隠すのに使った者たちを始末しようとはしなかったか」
「もちろんしたさ」
「どうやって生き延びた」
 圭ノ介はふっと黙った。
「待て」
 出川が口を挟んだ。
「ともかく、その残りの金も引き上げなくてはわしは国に戻れん」
圭ノ介は用心深くあたりを見渡した。
「こっちだ」
と、さらに斜面の上に次之進と出川を招いた。
いくらも上がらないうちに、潅木は立ち木になり、鬱蒼とした森につながっている。
その森の中に、ずんずん圭ノ介は入り込んでいく。人目をはばかるつもりらしい。
圭ノ介は、森の中でひときわ太い幹の樹に背をもたれかけた。
「お宝を引き上げるのに、俺一人では無理だ。助けがいる」
「むろんのことだ」
出川が勢い込んで言った。
「そのために、手勢を揃えて連れてきたのだ」
「それだけでは足りん」
「まだ人数が不足か」
「人数ではない。道具がいる」
「道具? どんな道具だ」
「一言では言えん。俺にしかわからん。里に戻って調達してくる必要がある」
「しかし」
 次之進はいぶかんだ。
「なぜ初めから運んでこなかった」
「俺一人が口先でいくら言っても信じはしなかっただろう」
「確かに」
 出川は大きくうなずいた。
「信じてもしないのに、重たい荷物を余計に運ぶわけもない」
「ではそのために、命がけで」
 ちょっと次之進は気圧されざるを得なかった。
 いくらお宝があるといって、そのまま押し流され崖の上から滝つぼに転落したら、まず命はないだろう。
(侍らしい格好はしているが、死ぬ覚悟ができている者がどれくらいいるだろう)
 それも、単に大義のために死ぬ覚悟ができているとか、お宝のためなら命がけというのといささか違う。
 自分でわざわざ命をかけなくては取りに行くことのできない場所に隠した、ということだろう。
 何か、平然と命を捨てにかかっているのか、あるいは余程の自身があるのか。
見当もつかなかった。
 いつもは戦で命がけの働きをしている次之進にも見当のつかない、異様な無神経というものに圧倒されつつあった。
「いくら俺でも、二度三度と命がけの真似はできない」
冷静な口調で圭ノ介が言った。
「どうするのだ」
「いずれわかる」
 森の木々がざわめいた。葉と梢が重たげにたわみ、わずかに遅れてごうっと風の塊が木々の葉の一枚一枚を押しのけ裏返しながら通り過ぎた。
 何か森がひとつの生き物になって言葉にならない声を発しているようだ。
ぞくりとするような興奮が、次之進の踏みしめている地面から湧き上がり、頭のてっぺんまで突き抜けた。
 それは里で主君に頭を下げて仕えている時にはおよそ感じたことのない、煮えたぎるような滾りだった。
(こいつが何者か知らぬが)
 圭ノ介は相変わらず樹に背をもたれさせたまま、梢の間からのぞく天を仰ぐようにして、妙に眠そうに立っている。
 目の前の二人の姿は、眼中になさそうな顔だ。
(とりあえず言うことは聞いておこう。後でどうするかは、その時考えればよい)
 出川はそれほどのことも考えているのかどうか、すでにそわそわして次の手を打つことばかり気にしているようだ。
(なんと愚鈍な)
 先ほどの高揚が嘘のように地べたに引きずり下ろされた。
 圭ノ介が樹から離れ、すたすたと歩き去る。次之進たちも後を追った。
「気がついたか」
 声をひそめて出口が耳打ちした。
「何にでしょう」
「誰か立ち聞きしていた」
 次之進はどきりとした。
「気のせいでは」
「人目をはばかるために森に入ったかと思ったが」
 出口は足を止めた。
「むしろ、我々を盗み見盗み聞きしやすくするために森に入ったらしい」
 次之進は黙ってしまった。冷や汗が出た。
 出川はすたすたと森を出て行った。
 次之進は、木の影に入ったまま、あれこれと考える。
 やはり出川の気のせいではと思いたかった。なぜ、盗み聞きさせる必要があるのか。
(我々を分断するためか)
 足軽小物はただの労働力として連れてきたに過ぎない。この山登りの目的も、実際は知らせたくはないのだ。
 おとなしく金を掘り出すために力としてのみ、彼らの価値はある。
 だが、彼らにも目もあれば耳もある。噂を立てる口もある。
 余計な噂を立てられたら、おかしなことを考える者も出てきかねない。
 そう一気に考えて、もう一つの想像の余地もあるのに気づいた。
 盗み聞きされたと偽って、次之進自身に余計なことを考えさせず、あくまで出川に忠節を尽くすように仕向けているのではないか。
 どちらとも考えられる。
 そう迷わせるのが、出川の狙いかもしれない。
 いずれにせよ、次之進は目の前の相手を侮っていたことを思い知らされた。あるいは何も計算せず、何も考えないようで結果としてうまく人を操る類の人間であることを知った。
 何もできないようでこういう嗅覚は発達しているのではないか。
(注意しなければならぬ)
 と、思考が一巡りして、盗み聞きした者がいたとすれば、誰かと改めて考えた。
 連れてきた一人一人の顔を思い出しては打ち消す。
考えても仕方ないことは考えないことだ。そうやっと自分に言い聞かせて、次之進は森を出た。


 誰が山を降りて、必要な道具を取ってくるか。志願する者が殺到したらどうしようかという次之進の悩みはあっさりと裏切られた。山から下りたがらない者の方が多かったのだ。
 指をくわえてそばにいるだけでも、お宝のそばがいいらしい。
兵馬まで降りたがらないのには意外だったが、全部手の者を連れて行ったら後の押さえが効かないと思うことにした。
 圭ノ介自身が山を降りるのは、出川が渋った。見張りが少なくなったら逃げるかもしれないというのだ。
「馬鹿馬鹿しいにも、程がある」
 圭ノ介はさすがに正面きっては言わなかったが、次之進の耳にははっきり内心呟いているのが聞こえた。
 命がけの大変な思いをして隠した金をどうしてそのままにして逃げるだろう。というより、何か彼奴は命を平然と投げ出すようなところがある。敵に捕まり、引きずり回されているというのに、周囲の大勢の方が気圧されてきていた。
(得体の知れぬ奴だ)
 圭ノ介は、周囲の木を切って枝を払うよう、残りの者たちに命じた。いや、直接命じたのは出川なのだが、みな彼の指揮に従うという気持ちはすでに薄れていた。
 山に入り里の秩序から離れると、もともと薄い上下関係の感覚がますます薄くなっていた。
 出川もさほど気にしている風でもない。ともかく、圭ノ介の言う必要なものを、改めて里に降りて調達してこなくてはならない。
 他にも、どうも長丁場の山籠りになりそうな気配なので、食料その他の必要な物資も運ばなくてはならないだろう。


 次之進は、一行から十人ほどを選んで下山することにした。
 圭ノ介はもちろん外せない。
 兵馬も連れて行きたいところだったが、そうすると後を任せられる者がいなくなってしまう。あとの人選は適当だったが、選んだ一人が崖の上に突っ立ったままでいるので叱ると、選ばれたのは双子の弟の文六の方だという。突っ立っていたのは、兄の平伍の方だ。
(混乱していかん)
 最初に登ったときとは違って上から綱をつたえばいいとはいえ、崖を降りるのはやはりまた別の恐怖をおぼえた。無我夢中で登った時には気づかなかったが、岩肌には苔も生えているし、つい下を見てしまうし、力の踏ん張り加減も難しい。ともすると滑りやすいのは下りの方だ。
 他の全員を降ろした後も、圭ノ介は降りてこない。
「何してる、早く降りろ」
 と、次之進が叫ぶより早く、すばやく圭ノ介は縄をつかむとほとんど落ちてくるのではないかと思わせる速さで、とんとんと岩肌を蹴りながらたちまちのうちに降りてきた。
 まるで、猿だ。
(こいつ、どこでこんな技を)
 いちいち次之進の勘にさわる。
「では、参りましょう」
 降りてきた圭ノ介は、妙に丁寧に裾の埃を払って先導して歩き出した。
 次之進は崖の上を振り返った。
 下からではすでに誰の姿も見えない。
(このまま縄を引き上げられ、登ることができないようにされたら)
 そんなことがあるはずがないと自分に言い聞かせたが、不安はぬぐい切れない。
 すでに圭ノ介はすたすたと空の笈をしょった姿で歩いていく。平伍いや文六が(早くいかないのか)と、怪訝そうな顔で次之進を見ている。
 次之進は何度か崖上を見上げたが、ついに人影は視界に入らなかった。
 次之進は、急ぎ足で河原を駆け、圭ノ介に追いついた。やっと他の荷物運びたちもついて歩き出す。
 しばらく、次之進と圭ノ介は黙って河原を並んで歩いた。
「木を切らせて、どう使うつもりだ」
 沈黙に耐えられなくなったのは、次之進の方だった。
「いずれわかる」
 圭ノ介はぼそっと答えた。本当は囚われの身であるはずなのに、なんという態度だろう。
「今、話せ」
「そのうち、だ」
 ぴしゃりと言われて、沈黙するしかなくなる。


 川を下っていくうちに、烏が河原にたむろしているのに気がついた。近づくと、すでに原型をとどめなくなっている屍が烏につつかれている。
 一行は歩調を変えず、黙ってその傍らを通り過ぎた。彼らにとっては、烏につつかれる屍それ自体見慣れた光景ではあったが、それが投げ出されたままなのはいぶかしかった。
 もう戦は収まって、一応の平和が来たというのに。いや、戦の最中でも、死体はすぐに埋められるか燃やされるかしたものだ。
 川沿いに里に下っていく一行の鼻腔を異臭がくすぐった。
 見て見ぬふりをして通り過ぎたので、はっきりとはわからないが、屍は首を切られている。おそらく処刑されたのだろう。それもどさくさ紛れのような、正規の処罰ではない勝者による一方的な処断だ。身につけていたはすでに河原に棲む者たちによって剥ぎ取られて、金か米塩に換えられたのだろう。
 一行の顔が一様にこわばった。
 次之進は腰の刀に手をやり、いつでも抜けるよう確かめた。
 他の仲間も一様に列を固め、結束を固める。
 いちいち指示を出さなくても、戦の中を生き延びてきた者たちに自然と身についた振る舞いだった。圭ノ介も当然のようにぴたりと次之進の傍らにつく。
 しかし、すでに処刑した者たちはどこかに行っており、何事もなく一行は河原を通り過ぎた。


 やがて、里の市についた。
 店の種類も客の数も、以前よりは減りはしているが、一見してどこが変わったわけではない。しかし、どこか違う。
 次之進一行は、市をくぐり抜け、当主の屋敷に向かった。
(あれ)
 たなびいている旗が変わっている。
 丸に一引きの紋から、違い鷹羽の紋になっている。前にここを出立した時には、当主斉藤家の家紋の丸に一引きの紋の旗指物が翻っていたはずだ。
 違い鷹羽の紋には、思い当たる家がない。
「もし」
 市に店を出している商人に、聞いてみた。
「ここの御当主さまは」
「ああ」
 商人はそれだけ言って、あと何を聞いてくるのか、値踏みするような顔をしている。
「斉藤国俊さまではなかったかな」
 異国の者のような顔をして聞いてみた。
「斉藤さまはな、亡くなられた」
 商人はこともなげに答えた。
「なに」
 次之進は当主の斉藤国俊その人には一度も実物にお目にかかったことはなく、顔もわからないが、それでも驚いた。
「では、今の御当主さまは」
「仁田義知さまだ」
「なに」
 聞き覚えのある名前だった。次之進は平静をせいぜい装って、さらに聞いた。
「それはどのような御仁で」
「斉藤さまの一の御家来だったそうで、お世継ぎがいないところからお家を継がれたそうだ。まだ攻め滅ぼした滋野の残党がいるかもしれぬから、まず結束を乱してはならぬとのことでな」
「左様で。いや、久しぶりのことで何事かと思いました」
「なに」
 商人を声をひそめた。
「よくあることだ」
「はて、何がでございましょう」
「乗っ取り」
 商人はぼそっと言った。
「乗っ取り」
 オウム返しに次之進は答えた。
「世継ぎがいないのをいいことに、国俊さまをどうにかしたのであろう。朝起きたら冷たくなられていたそうだからな。一服盛ったか、女に寝首をかかせたか」
 なんでもない口調で商人は話す。
 次之進も、それほどの驚きを感じずに聞き入っている自分に、かえって驚いていた。
 圭ノ介も、いとも平然とした顔で傍らで聞き入っている。
「では、御家来衆は」
「さて。誰が残って、誰が残らなかったのか」
 商人は、手元の壺をひょいと取り上げた。そしてその中に声を吹き込んだ。わんわん と壺の中で声が響いたが、何と言ったのかは聞き取れなかった。おそらく、
(わしの知ったことではない)(うかつに物は言えない)
 といった、大っぴらには口にできぬことを言ったのだろう。
「どうも」
 お手数をかけた、と礼を言って、次之進はそそくさとその場を離れた。
(厄介なことになった)
 あろうことか、山に行って帰ってきた、そのわずかな間に身の置き所が消えてなくなってしまったのだ。
 次之進はうろたえた。思いもよらない事態が出来してしまった。
 ふと気づくと、圭ノ介の姿が見えない。
「乾っ…、乾っ!」
次之進が叫ぶと、
「どうした」
 圭ノ介がにやにやしながら、物陰から姿を現した。
「どこにも逃げやしない」
 次之進がほっとしたのにかぶせるように圭ノ介は言った。
「運がいいな」
「運がいい?」
「そうとも。では、俺は買い物をしてくる」
 と、ぬっと手を出した。
「なんだ」
「金がいる」
「よこせというのか」
「これから入る金を考えたら、端金にも当たらんぞ」
 次之進は、黙って懐を探った。出川が預けた金が指先にさわった。
「これで足りるか」と、渡すと、
「なんとか。まあ本当に要るものは、金では買えんからな」
 と、立ち去りかける。
「待て、どこに行く」
「どこにも逃げやしないと言っただろう。川っ縁の…、そうだな、さっき烏がたかっていたあたりで待ち合わせよう」
 答えを待たずにくるりと身体を翻した。
 そして言い捨てるように、
「何人か、借りるぞ」
 まるで初めから圭ノ介の部下だったかのように、本来次之進の、いや出川の手の者たちだった男たちを連れて、市の人ごみの中に姿を消した。
(運がいい)
 圭ノ介の言葉を、反芻した。
いかに次之進の身分が低いとはいえ、このまま斉藤家ならぬ仁田家にのこのこ戻れるのだろうか。
 次之進たちの宝探しを、知っている者が残っているかどうか。いるとして、見つけられると信じている者がいるのか。
(これは、案外幸運かもしれぬ)
 このまま次之進たちが姿を消してしまっても、誰にも気づかないで済むかもしれない。見つけ出した金を、上の者に吸い上げられておしまいではなく、我が物にできるかもしれない。
 しかし一方で、そんなにうまくいくものかという恐れから逃れられず、気がついたら再び門の前に戻ってきてしまっていた。
 見覚えのない若い門番が前を固めている。
「何用だ」
 次之進が前に立つと、門番がすぐすっとんできた。
「ここの家に仕えていた者だが」
「誰も通すなと言われている」
「しかし」
「通していい者の顔はわかっている」
「しかし、私は前はよくこの家に出入りしていたのだ」
「それこそ通すなと言われている」
「しかし」
「謀反を企んでいるのであろう」
「まさか」
「昔出入りしていた者こそ、謀って謀反を起こすに決まっている。もたもたしていると、河原に連れて行くぞ」
次之進はどきりとした。
「嘘だ、嘘」
 気づいたら、愛想笑いが顔に浮かんでいた。
「召抱えてもらえんかと思ってな、つい嘘をついた。許してもらいたい」
 そして、そそくさとその場を離れた。
 たちまち愛想笑いはこわばった怒りに取って代わった。
 市の中を、腕組みして歩き回りながら、次之進は決意を固める。
(俺はもう、斉藤家とも、ましてや新田家とも関係ない人間だ)
 そう自分に言い聞かせた。
 必要な物を買い揃えたあと、次之進は河原で圭ノ介たちが来るのを待った。
次之進に従っているのは、連れてきた半数以下の四人にすぎない。
 いつのまにか、屍はどこかに消えていた。焼いた痕はないから、川に流したのだろう。
 日が暮れてきた。
 次之進は火を焚くように命じ、食事の用意をすることにした。
 もしこのまま、圭ノ介が戻ってこなかったらどうする。どうということはない。このまま逃げてしまえばいい。自分のような小物にいちいち追っ手はつかないだろう。そう思おうとしたが、出川のことは気になった。主君を失った小物の指揮官などに誰がついていくだろう。出川にこのことをどう伝えるか、あとどうすればいいのか、なかなか名案は出なかった。
 出川は妙に気位が高く、お飾りにはなりにくい。かといって、黙っていれば間違いなく圭ノ介がこの宝探しの主導権を握ることになる。彼なしには何も進まないのだから、そうなることは避けられない。そうなってから、あるいはそうなる前に出川を始末すべきだろうか。
 そう考えてから、次之進は考えた自分自身にぎょっとした。
 出川という人物に一度も敬意も尊敬も感じたことがないのに、始末することを想像しただけですでに萎縮しているとはどういうことだろう。
 次之進は、市でほんのいっとき感じた高揚感がみるみる醒めていくのを認めざるをえなかった。
 次之進は野心というものを持とうと考えたことはなかった。まったくないわけではないが、それがしばしば自分を滅ぼすさまをさんざん見てきて、その後を追おうという気にはならなかった。
 あるいはそれは言い訳で、単に欲望があらかじめ薄いだけなのだろう。
 いずれにせよ、我が気の小ささを今更のように思い知らされて、さむざむとした思いをしたところで、さらに河原を風が吹いてきた。
(まだ来ないのか)
 食事が済んでも、なかなか圭ノ介が現れないので、次之進は心細さを覚えてきた。
 小物たちも、少し次之進から距離を置いている。自分が出川に対して覚えているのに似た感情を、彼らは次之進に向けて抱いているのだろうか。
 侮りの気を、次之進は感じた。が、どうなるものでもなかった。ここで剣を抜いて恫喝し、畏怖せしめることはできるだろう。次之進は剣を取っての戦いの能力には自信があった。戦場で戦功を立てたことも一度二度ではない。しかし、それと人を率いる能力とはまったく別だ。
 次之進はまた、これと目をつけた上役についていくという真似も苦手だった。何より、ついていきたいと思わせる武将(と、呼べるなら)などいはしない。
 出川の下につくようになったのも、考えてみると下に従う者がいない将と、上に従う者のいない小物がちょうどいい組み合わせになっただけなのかもしれない。
互いにそっぽを向いて、形の上の主従を通すのも、ずうっと斉藤家に波風が立たずに済んでいればそれでも良かった。
(だが、隣国の主がさらに一段と愚かなもので、熟柿を掠め取るように簡単に国を併合できた。それが、かえって斉藤家の中に余分な野心を煽ることになったのかもしれない)
足音はしなかった。が、誰か来たのはわかった。
「乾か」
 次之進が声をかけると、荷物を担いだ圭ノ介が焚き火の明かりの中に姿を現した。
「ああ」
 相変わらずぼそっとした調子で圭ノ介が答えた。
「腹は減っていないか。飯はできている」
「減っている。いただこう」
 連れて行った雑兵たちも、それぞれ荷物を地面に降ろした。ひどく重そうだ。
「何を買ってきた」
「買ってきた、とは限らない」
 菰で作られた袋に包まれた荷物の中身を知りたくて、次之進は開けて見た。圭ノ介は特に咎めないで、さっさと飯を食べだした。
「なんだ、これは」
 袋の中には土が詰まっていた。
圭ノ介はがつがつと飯を頬張っている。木をくり抜いた碗を空けると、そのまま川の水をすくって二杯三杯と飲み干した。
「何に見える」
 と、やっと人心地ついたのか、飯のお代わりをしながら答えた。
「土だが」
「もちろん、土だ。だがどんな土でもいいというわけにはいかん」
「どういう土だ」
「たとえば粘土だ。これは川の下流でなくては手に入らない」
「粘土? 何に使う」
「いずれわかる」
 それだけ答えて、飯を平らげた。
 雑兵たちも、それぞれがつがつ食事を済ませて、それぞれ三々五々寝てしまった。
(はて)
 眠れないでいた次之進は、後から使われた椀を数えてみた。四つある。いや、四つしかない。
 圭ノ介が連れて行ったのは、四人だったはずだが…
 一つ足りない。
 どうしたのだろう、と思いながら次之進はそのまま寝てしまう。
 翌朝、一行は上流を目指した。
 次之進はときどき振り返って人数を確かめたが、どうしても一人足りない気がする。
次之進は、急ぎ足の圭ノ介に並びかけながら訊いた。
「きのう何人連れて行った」
「何?」
 圭ノ介は足を止めない。
「山を降りるとき、全部で十人いたはずだ」
 次之進は振り返り、後の人数を朝の明るい中で確認した。
「今は九人しかいない」
「初めから九人しかいない」
「そんなはずはない」
「九人だ」
 ぴしゃりと言われた。
そう言われると、十人いたという証拠はない。しかし、ここで気圧されたまま済ませるわけにはいかない。声を励まして重ねて訊く。
「あと、一人どうした」
「あとの一人とは、誰だ」
 誰と言われても、適当に選んだので双子の片割れ以外はほとんど名前も知らない。
「俺は連れて行った連中の名前も知らない。だから、仮にいなくなったとしても確かめようがない」
「しかし、山で待っている者の中には顔見知りの者もいる。それにどう言い訳する。
「本当のことを言うだけだ。その上で逃げたと言えば、こちらに責は問われない」
 それ以上は追求できなかった。
 あとは、黙々と歩き続けた。二度目となると、かなり気持ちは楽になるが、担いだ荷物の重さはそれ以上にこたえた。
 滝の音が聞こえてきた。
「おーい」
 滝の上で手を振っている男がいる。
 兵馬だ。
「おーい」
 思わず次之進は手を振り返した。
 山を下っていた他の全員が手を振っている。たった一泊だというのに、何ヶ月も別れていたような騒ぎだ。
 驚いたことに、圭ノ介までがにこやかに手を振っている。
(何のつもりなのか)
 再び、崖登りが始まった。まず、運んできた品々を木で組んだ腕の先につけた滑車で井戸から水を汲むように次々と引き上げていく。滑車は口径の違うものが二種類貼りあわされており、梃子の原理で二分の一ほどの力で荷物を上げることができる。
 これほどの短期間で、これだけの仕掛けが作られていることに、次之進は驚いた。
(いつのまに)
 指導した者がいるとすれば、圭ノ介を於いて他にいない。しかし、実地に指導にあたった人間は当然別のはずだ。
(兵馬が、か)
 その圭ノ介はめずらしくはしゃいでいる。どういうものか知らないが、いよいよ準備が整ったという感じだ。
 やがて、下の者が一人づつ同じように梃子の原理を応用した滑車から垂らした昇降機に乗った。ちょうど腰が入るほどの大きさの木の板の両端に穴を開けて縄を取り付けたものだ。
 大変な思いをして崖にしがみついて登らなくても、黙って座れば上から何人か力を合わせてえいやえいやと引き上げてくれるのだから、嘘のように楽に崖の上までたどり着ける。
 もっとも、安全は確保されていないので、いつでも崖にしがみつけられる体勢は取っていなくてはならないのだが。
「逆行しない仕掛けが必要だな」
 圭ノ介がぼそっと呟いた。
 おそらく、滑車が回る方向を決め、逆に回って転落しないようにする仕掛けのことだろう、と次之進は考えたが、それと聞く前にすばやく圭ノ介は板の上に尻をねじり込んだ。
 次之進が崖から離れ、上に合図を送る。
 みるみる圭ノ介の身体が上まで引き上げられていく。
 相変わらず、轟々と滝が飛沫を撒き散らしながら落下している。その勢いで風が起きて、昇降機に乗った圭ノ介の身体が揺れているような気がする。
 最初出発する時に、圭ノ介は鑿や鋸や斧や鉋などの道具を一式揃えさせたが、まずはこの昇降機ができただけでも、周囲が彼を見る目は変わってくるだろう。
(いっそのこと、完全に火辺めに任せきってしまうか)
 などという馬鹿げた考えが、ふと頭に浮かんだ。
(馬鹿な)
 すぐ頭から振り払った。
(どう勝手な真似をさせないか、考えろ)
 次之進が崖を登る番が来た。いざ乗ってみると、見ている時とは違い、ひどく揺れる。
 下を見ると気持ち悪くなりそうで、上を見上げた。兵馬の顔が崖から突き出ているのが見えた。目ですがりつくようにひたすら凝視する。と、兵馬のすぐ横に圭ノ介の頭が突き出た。何かごそごそ話し合っている。
(いつの間に手なづけたのか)
 足元は宙に浮いたままでぐらぐら振り回される扱いの乱暴さに、そう思うゆとりもなく、やっと崖上にたどり着いた。
 少しめまいが治まってから、あたりを見渡したが、誰も次之進の方は見ていない。
 木が切られ、枝が払われた。さらに里から粘土が集められ、運んできた荷物が開かれると、さらに見たことのないような鉄製その他のさまざまな道具が現れた。何が進行しているのか、わかったようでわからない。
 兵馬が合図を送り、作業していた者全員が手を止めて集められた。その中の平伍の顔を見て、誰がいなくなったのか次之進は思い出した。
双子の弟の文六だ。二人同じような顔があると、一人欠けてもあまり目立たないらしい。
「大事な話がある」
 と、圭ノ介が切り出した。
 何事か、と汗まみれ泥まみれの中で光る目が集中した。
「詳しい話は、馬場次之進さまから」
 と、圭ノ介はいきなり話を次之進に振ってきた。
 まったく心の準備ができていなかった次之進はうろたえた。
 そのうろたえぶりを見て、集まった一同は(これはただごとではなさそうだ)とすぐに察した。
 次之進は、息を大きく吸い込み、止めた。
「実は」
 せいぜい平静を保つようにして切り出す。
「われらが仕えていた、斉藤家は今、ない」
 奇妙な間が開いた。
「ない、とはどういうことだ」
 やっと、出川が口を切った。
「滅びたのです。今はお屋敷は仁田家のもの」
「仁田?」
 出川の声の調子が頓狂に上がった。
「仁田、とは仁田か」
「はい」
「なぜあれが」
「乗っ取ったからです」
 他の一同は、きょとんとしている。どう反応していいのかわからないようだ。
「ちょっと待て。それでは、わしはどうすればいい。どこに戻ればいいのだ」
「それは」
 俺に聞くことか、次之進は内心思った。
「さて、なんでしたら仁田さまにじかに聞けばよろしいかと」
「さま、などとつけるな」
 いっぺんに不機嫌になった。
「だいたい、なぜわしの留守中に家を乗っ取る」
(知るか)
 とは、さすがに口にできなかった。
「しかし、現に仁田が」
さま、を抜いてみた。
「国を治めている以上、うかがいを立てるのは避けられないかと」
「そのような真似ができるか」
 当り散らす。
「あれは、一時はわしの配下だったのだぞ。そのような者の下命を拝さねばならぬいわれはない」
「待ってくれ」
平伍が前に出てきた。
「俺の弟はどうした」
 次之進は黙った。そして圭ノ介を見た。
 圭ノ介は平伍から視線をそらそうとしている。
 何か、心苦しくて話しづらいと見せているが、本心でないのは確かだ。
「どうした」
 平伍はなおも迫ってきた。
 圭ノ介がくるりと身を翻し、額を地面にこすりつけて土下差した。およそ彼らしくない芝居がかった真似だが、それがかえって周囲を落ち着かせた。
「申し訳ない」
「どうしたというのだ」
「おそらく、仁田は敵の配下か、配下らしき者をことごとく成敗しようしている。決して誰もそむかないように」
 その場にいた者が、一斉に浮き足立った。ここにいるのは、形の上ではすべて出川の配下だ。もろに敵の配下ということになるではないか。
冗談ではない、という空気がその場を支配した。
「おそらく」
 さらに圭ノ介は続けた。
「我等がのこのこ里に戻ったら、まして宝を持って戻ったりしたら」
「あっさり成敗されて、お宝だけ奪い取られる」
はっきり口に出して応えたのは、平伍だった。
 その顔に現れていたのは弟を奪われた怒りや悲しみではなく、もっと冷ややかな仮面のような無表情だった。
「我等はこれからどうするか」
 圭ノ介が立ち上がり、ぐるりを見渡した。
「みすみす手に入れたお宝を国に持って帰ってみすみす召し上げられることはない」
「そうだ」
「そうだ、そうだ」
 群れの中から声が上がった。
「俺たちが手に入れたものは、俺たちのものだ」
「そうだ」
 歓声が上がった。
「山分けすれば、全員一生食うに困らない」
「殿様暮らしも夢じゃねえか」
「殿様なんか、糞くらえだ。いつ寝首をかかれるか、わからねえじゃねえか」
 どっと笑い声が上がった。
 出川は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
 平伍がそれに気づき、ずいと詰め寄る。
「何か文句あるか」
 出川の目に怯えが走る。
 平伍はそれを見逃さなかった。
「こいつ、怯えてるぜ」
 嘲り笑いが起こった。
「よう、お殿様」
 平伍が肘で出川を突付いた。
 後ろの誰かが足払いをかけ、出川はどうと地面に転がった。
なおも踏みにじろうとする衆を制止して、圭ノ介が出川に顔を近づけた。
「生きていたかったら、おまえも働くんだな」
 圭ノ介は、さらにじろっと立ちすくんでいた次之進を一瞥する。
 次之進は思わず身体を硬くした。
「これからもよろしく頼むぞ」
 次之進は思わず何度も首を縦に振ってしまう。
 圭ノ介は大声で呼びかけた。
「さあ、これからが本番だ」
 おうっ、と鬨の声が上がった。
「もう、俺たちを縛る連中はいない。俺たちの物は俺たちの物だ」
戦に勝った時でも、これほど力のこもった鬨は上がるまいと思わせる雄叫びが続いた。
(これからどうなるのか)
 次之進は不安なまま、持ち場に散っていく衆を見ながら、圭ノ介の行き先を目で追った。
 と、兵馬がぴったりその後に相伴して小走りについていく。
(くそ)
 怒りがこみ上げてきた。
(今に見ていろ)
 出川がさらに、その後を腰をかがめて子犬のようにくっついていった。