prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
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「タルコフスキーとその時代―秘められた人生の真実」

2011年11月02日 | 映画
これまでタルコフスキーの作品・芸術論は当人のものも含めてかなり書かれてきたが、関係者や当時の資料を渉猟して調査ジャーナリズムに近い手法で書かれた伝記というのは、初めてだろう。

「アンドレイ・ルブリョフ」が最初のシナリオ(かなり小説に近い「文学的」シナリオ)では、400分に相当する長さなのをどう縮めたのか英語訳しか参照できない版もある限界はあるにせよ、経過を具体的に追ったくだりなど著者の苦労がしのばれる。
ソ連時代の作品が何本のプリントが焼かれ、動員数はどれくらいだったか具体的な数字が挙げられてる(意外なくらい多い)あたりに、当時のソ連当局の扱いを推測できる。

映画がひとりではできないから当然のこととして周囲の協力者、あるいは反発者の存在にも光が当てられているが、前期の全作品の撮影を担当したワジーム・ユーソフとなぜ決別するに至ったか、などもっと知りたいことは多い。
欧米の映画人だと、良くも悪くも猛烈に根掘り葉掘り調べ上げられる調査ジャーナリズムの手法が使われた著書は多いが、必ずしもロシア(ソ連)はそういう土壌が育っていないのかもしれず、どこよりもロシアでこの天才の研究がなされるべきなのだが、なまじ近い分かえって難しいのかもしれない。
もっともっと浩瀚な評伝が読みたくなった。

あまりにタルコフスキーがキリスト教や芸術性か政治的な弾圧といった文脈でしか語られてこなかったことに対する反発が著者の動機の底流にあるわけだが、やはりタルコフスキーを語るのに背景になる文化・伝統に対する理解は欠かせないという印象は読後も強く残る。
それがキリスト教的なのか、神秘主義なのか、ロシア的インテリゲンチャの伝統なのか、はきちんと腑分けできるような性格のものではなく、タルコフスキー内部でも混沌としていたろうし、語る側での焦点の合わせ方にもよるのだろう。

あれ、と思ったのは、若いときのタルコフスキーが酔って喧嘩したりしていたという記述で、黒澤明は「酒が飲めないタルコフスキーは…」と会った時の様子を書いていたけれど、飲めないのをムリに飲んでいたのか、やめたのか。

「サクリファイス」の原典だという「魔女」の原案がストルガツキー兄弟だというのは、初めて聞いた。
兄弟原作の「ストーカー」が、原作者が脚色したにもかかわらずまったく原作とは違ったものになっているあたりの事情も知りたいところ。タルコフスキーは脚本家の立場に関しては完全に自分に従属するものと考えていたようだが、実態はヒッチコック監督作における脚本家たちの重要性同様に考えるべきではないか。

裏表紙に広告が出ているドキュメンタリー「レールベルグとタルコフスキー」のDVDは採算がとれる見込みが立たず、発売は中止になったらしい。残念。
未だに早稲田松竹あたりでタルコフスキー作品は上映され続けているが、やはり少数派には違いない。

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