prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「選挙」

2008年06月07日 | 映画

あれ、と思ったのは、2005年の選挙だというのに選挙事務所にパソコンがまったく見られないこと。
開票速報ももっぱら固定電話に入ってくるし。IT化は相当遅れているみたい。

ナレーションなし、字幕その他による解説なしで、カメラ(一台しか使っていないみたい)の置き方ひとつで、普段見慣れた選挙の風景の見え方を転倒させてしまう作り方はうまいもの。
候補者の側から見ると、行けども行けども途切れない人の海を波乗りしているみたいに大勢の、それぞれ違う顔の人たちがえんえんと続く。票とすると抽象的な数字になってしまうけれど、それぞれこの「顔」に候補者が顔つき合わせて「目を合わせて」(と、選挙参謀や一般人に注意される)顔と名前を覚えてもらわないといけないのが、選挙なのだなとわからせる。
小泉純一郎だの川口順子だのといったテレビでは「主役」の顔も、ここではたくさん並んだ顔のひとつに過ぎない印象。その一方で、どれもこれも当たり前だが日本人の顔ばかりで、アメリカみたいにいろいろな顔が並んでいるわけではないのがありありとわかる。

事務所開きの時の神主のお祓いだの、スーツにタスキという候補者の「制服」のまんまでお祭りの神輿を担いだり、老人会の集まりのラジオ体操に参加したりと、日本がムラ社会であることが改めてわかる。選挙そのものがお祭り以外の何者でもないのね。
「改革」「改革」という連呼をはじめ、「言葉」がみごとなくらい意味をなくして単なる符丁としてとびかっている。

山内氏が画面に出てきた時、あれ小泉純一郎にちょっと似ているかなと思ったら、演説で当人がしっかりそう言っている。ほかにも、選挙や政治についてこちらが常識的に考えているようなことを、画面の中で言われてしまう、という場面がたくさんある。みんな「わかっていて」、それでこのテイタラクの選挙や政治を維持しているわけ。
(☆☆☆★★)