prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「鬼火」

2008年06月13日 | 映画

作られたのは1963年だが、しきりとニューヨークに行っていた話題が出てきたり、今ではすっかりおなじみだがパリの街のあちこちにアフリカ系の姿が見られる。主人公のアランが最後に読んでいる本は、ルイ・マルのインタビューによるとスコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」らしい。アランと同様、アル中で早死にした作家だから、合わせたのだろう。

貧しい知り合いが俺は戦争に行ったぞ(おまえは行っていないだろう)というところがあるが、アルジェリア戦争(1954~62)のことだろう。アランがパリ万博に関わったようなセリフがあるが、1947年のそれだろう。戦争やっている一方で、バブル的なお祭り騒ぎで浮かれていたということか。ちなみに、アラン役のモーリス・ロネは1927年生まれ。ドリュ・ラ・ロシェルの原作だと第一次大戦後の設定だが、時代を移したことでだんだんフランス中華思想が軋みをあげて解体してきているというモチーフが割りと見えやすくなったように思う。
自殺に使うピストルがドイツ製のルガーP06というのも、わざと外国製にしたのかもしれない。

精神病院に入院している患者でもトマス・アクィナスは神学か哲学かどうたらこうたらといったスノッブな会話を交わしていて、それは外の「正常」なプチブル連中も同じこと。

音楽はエリック・サティ。今ではすっかりポピュラーになったが、この映画の製作当時はそれ誰?という知名度だったはずで、それでいてセンスがまったくずれていない。

ここに出てくる「酒を飲ませまくる」アルコール依存症治療って何だろう。今の常識ではとにかくアルコールを抜き続けるのが基本のはずだが、この時代は違っていたらしい。四ヶ月くらいの断酒では安心とはいえない(何年断酒しても安心はできない)。
久しぶりに一杯飲んでしまう時の顔がなんともいえずリアル。その後、ぐずぐすに飲み続けてしまうのがアル中のはずだが、表現とすると雨にうたれてよれよれになっているのを見せるので、あまり崩れた感じがしない。自殺する前にも、トランクの中を整理したりしている。ルイ・マルの崩れようとしても崩れられない表現体質の表れだろう。
(☆☆☆☆)