ジェームズ・ブラウンがどの程度日本人になじみがあるか疑問だし、当人を出さないでJ・B映画を作らなくてはいけないというハードルは高くて(第一現役の人だものね)、ニセJ・Bを出すくらいでは、「抱きしめたい」でビートルズを“出演”させたり、「グレイスランド」で全然似ていないハーヴェイ・カイテルをあえてプレスリーに仕立てたりといったワザが不足。
もともとストーリーテリングには興味ないらしく、ニセJ・Bがいなくなったり、また戻って来たりといった状況がまともに描かれない。その代わりというか、もともとこの監督の得意技だが、大勢の人間がそれぞれ沸き立ってくるように勝手に動く小芝居は見もの。美人という以外の印象のなかった常盤貴子の肝っ玉母さん(古いな)ぶりなど役者は全員生きている。
西洋式群像劇で多彩な人間が交錯するのとも違う、もっと人間関係が煮詰まった感じで、締めの“ファミリー”の一言が効いている。「ゴッドファーザー」の“ファミリー”と似た意味で使っているのだろう。
(☆☆☆)
本ホームページ
もともとストーリーテリングには興味ないらしく、ニセJ・Bがいなくなったり、また戻って来たりといった状況がまともに描かれない。その代わりというか、もともとこの監督の得意技だが、大勢の人間がそれぞれ沸き立ってくるように勝手に動く小芝居は見もの。美人という以外の印象のなかった常盤貴子の肝っ玉母さん(古いな)ぶりなど役者は全員生きている。
西洋式群像劇で多彩な人間が交錯するのとも違う、もっと人間関係が煮詰まった感じで、締めの“ファミリー”の一言が効いている。「ゴッドファーザー」の“ファミリー”と似た意味で使っているのだろう。
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