復活という光

 「イエスは答えられた。「昼間は十二時間あるでしょう。だれでも、昼間歩けば、つまずくことはありません。この世の光を見ているからです。」
 しかし、夜歩けばつまずきます。光がその人のうちにないからです。」(ヨハネ11:9-10)

---

 イエスが世におられたあいだ、イエスは光であり世は昼間だった。
 十字架に架かってそのイエスが死なれると、光は消え世は再び夜に入る。
 今もってそうだ。世は闇で、暗い。
 ところがその中でも、キリストの復活という光を内に宿す人はつまずくことがない。

 何につまずかずに済むのだろうか。
 この世での世渡りにつまずかずに済むという訳ではない。
 復活という光を宿す人は、御国への道につまずくことがないのである。
 この人には、今も十二時間の昼間がある。

---

[一版]2009年 3月20日
[二版]2011年 2月19日
[三版]2014年 8月17日
[四版]2017年 5月15日(本日)

 よろしければクリック下さい。
にほんブログ村 哲学ブログ キリスト教・クリスチャンへ
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« イエスの声が... よみがえり主 »