やみからの救い

 「わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。
 だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません。わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。」(ヨハネ12:46-47)

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 アダムによる違反以来このかた、人間はやみの中に閉ざされ続けている。
 そのことは、旧約の史書をざっと見るだけでも明らかだ。
 そして時至って、イエスが光として世に来られた。
 やみはこの光に打ち勝たなかった(ヨハネ1:4)。

 イエスという光は、やみの中にまで光り輝く。
 そのことが「世を救う」ということであり、もしその光が見えたならば、最早やみの中にはとどまらない。

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