イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
イエスが与える平安
「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネ14:27)
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平安とは何だろう。イエスが与えるこの平安とは何だろう。
ストレスのないことだろうか。
しかし、このストレスは多くの場合外部環境によってもたらされるので、イエスが私たちひとりひとりに与える何かとは異なるように思える。
イエスがここで約束しているのは、もっとずっと奥深いところ、すなわちたましいの平安のことである。
このことについては、「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ10:28)ともイエスは言っているので、平安というのは、御父との和解によってたましいの滅びがなくなるという安堵感のことをいうのかもしれない。
だから、イエスが平安をいうときにも、御父と私たちとの和解、そしてこの和解をもたらすイエスの十字架と復活のわざが底流にある。
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[一版]2021年 2月23日
[二版]2023年 4月29日
健やかな一日をお祈りします!
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平安とは何だろう。イエスが与えるこの平安とは何だろう。
ストレスのないことだろうか。
しかし、このストレスは多くの場合外部環境によってもたらされるので、イエスが私たちひとりひとりに与える何かとは異なるように思える。
イエスがここで約束しているのは、もっとずっと奥深いところ、すなわちたましいの平安のことである。
このことについては、「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ10:28)ともイエスは言っているので、平安というのは、御父との和解によってたましいの滅びがなくなるという安堵感のことをいうのかもしれない。
だから、イエスが平安をいうときにも、御父と私たちとの和解、そしてこの和解をもたらすイエスの十字架と復活のわざが底流にある。
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