イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
ほんとうに生きぬく道
「イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12)
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希代の芸術家である岡本太郎は、こう書いている。
「考えてみると、人生には、世渡りと、ほんとうに生きぬく道と二つあるはずだ。」(「自分の中に毒を持て」,p.122)
イエスの言う「世」とは、この世渡りをするところの世である。
この「世」について、先の本をもう少し引用する。
「世の中うまくやろうとすると、結局、人の思惑に従い、社会のベルトコンベアーの上に乗せられてしまう。一応世間体もよく、うまくいくかもしれないが、ほんとうに生きているのではない。流されたままで生きているにすぎない。」(同,p.137)
これこそまさに「やみの中」だ。死んだ人々がおびただしく群れている。
イエスという光はこの群れを照らし、これを見た私たちはやがていのちの光を宿すことになる。
そして私たちはほんとうに生きぬく道を歩み始める。
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[一版]2020年10月10日
[二版]2023年 1月 7日
健やかな一日をお祈りします!
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希代の芸術家である岡本太郎は、こう書いている。
「考えてみると、人生には、世渡りと、ほんとうに生きぬく道と二つあるはずだ。」(「自分の中に毒を持て」,p.122)
イエスの言う「世」とは、この世渡りをするところの世である。
この「世」について、先の本をもう少し引用する。
「世の中うまくやろうとすると、結局、人の思惑に従い、社会のベルトコンベアーの上に乗せられてしまう。一応世間体もよく、うまくいくかもしれないが、ほんとうに生きているのではない。流されたままで生きているにすぎない。」(同,p.137)
これこそまさに「やみの中」だ。死んだ人々がおびただしく群れている。
イエスという光はこの群れを照らし、これを見た私たちはやがていのちの光を宿すことになる。
そして私たちはほんとうに生きぬく道を歩み始める。
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[一版]2020年10月10日
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