隠された宝

 「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。」(マタイ13:44)

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 私はカネを求めていたかのようで、実はそうではなかった。
 人からの栄誉を求めていたかのようで、実はそうではなかった。
 ほんとうに求めていたもの、それが実に、聖書の中にあった。
 「 わたしはいのちのパンです。」(ヨハネ6:48)
 まさしくイエス御自身こそが、いのちのパン、わき出る泉(ヨハネ4:14)、また永遠のいのち(ヨハネ6:27)そのものであったとは!

 今の私は、特に何かを失ったわけでもない。
 明日も、今まで通り、ごく普通に売り買いするだろう。今まで通りに、怒り、泣き、笑うだろう。ストレスも、依然として大きいだろう。
 人としての営みには、さほどの変化があるとは思えない。
 けれどもなんといっても、イエス、この宝を手にした満足感の大きさといったらない。

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[一版]2006年 9月 2日
[二版]2016年 9月 2日(本日)

 今日は、上の記事を書いてから丁度10年にあたります。10歳の誕生日といって差し支えないでしょう。
 10年前のこの記事を今読んでも、自分の中に違和感がありません。まったくそのとおりです。
 ちなみに最近は、周りに恵まれてストレスも当時よりずっと少なくなったと思います。

 いろいろ書いてみたのですが、どれも思いつきの域を出ないので消してしまいました。
 ああ、あの日から10年経ったのか、という思いが全てです。
 求め続ける人には、恵みによってイエスは会ってくださいます。このことは確かなことです。

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