人からの誉れ、神からの誉れ

 「外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。
 かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。」(ローマ2:28-29)

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 共通の知人について、「あの人は人から褒められたいというのが強い」とある人が評して、確かにそうだなあと思うと同時に、人から褒められたいということ自体について違和感も持った。
 あまり褒められることのない自分も、人からは褒められたいとはやはり思う。
 しかし自分は人からはあまり褒められなくてもいいな、というのが上に書いた違和感である。
 今日もやることをきちんとやる。
 御父からお褒めにあずかり、自分自身もその自分を褒める。
 もっぱら人から褒められるためにやっていたら、その人自身が置き去りになって見失い、その人をお造りになった御父を知ることもないような気がする。

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 健やかな一日をお祈りします!

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