イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
赦す権限
「そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」(ヨハネ20:22-23)
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復活のイエスからのメッセージ。
罪の甚だ多く神の怒りの下にあった私たちは、この復活のイエスを通して神の赦しをいただき、その神との和平状態に置かせていただいている。
ここで罪とは、神の律法に違反することである。
この律法にトライしようとしても、肉ある身としてどうしても違反を犯してしまう。
何度やってもだめなのだ。
私たちは、神の律法を守り得ないゆえに、神は私たちを受け入れず、神の怒りの下にいた。
それでも神は御子を受肉させて世に送り、律法を守ることのできないこの肉そのものに処罰を与える。そのことを成し遂げた御子は、三日目に復活する。
この十字架と復活のイエスへの信仰が恵みによって与えられ、御父に赦されたことを実感する。
御父には、罪を罪のままとする権限もあれば、罪を赦す権限もある。恵みとは後者に預かることを指す。
だから大切なことは、この全能の御父に、恵みによって罪赦していただいたことだ。
アダム以来断絶していた創造主と、和解できたのである。
私たちがアダムの肉を未だ持っているにも拘わらず、だ。
そのアダムの肉を持つ私たちは、誰かを赦すとすれば、赦すだけの根拠がなくてはなかなか腹の底からは赦すことができない。赦さないのは簡単だが、いずれにせよ、私たちは御父から罪の赦しを全権委任されるほどに、御父から認められているのである。
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[一版]2014年12月29日
[二版]2019年 6月16日(本日)
健やかな一日をお祈りします!
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あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」(ヨハネ20:22-23)
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復活のイエスからのメッセージ。
罪の甚だ多く神の怒りの下にあった私たちは、この復活のイエスを通して神の赦しをいただき、その神との和平状態に置かせていただいている。
ここで罪とは、神の律法に違反することである。
この律法にトライしようとしても、肉ある身としてどうしても違反を犯してしまう。
何度やってもだめなのだ。
私たちは、神の律法を守り得ないゆえに、神は私たちを受け入れず、神の怒りの下にいた。
それでも神は御子を受肉させて世に送り、律法を守ることのできないこの肉そのものに処罰を与える。そのことを成し遂げた御子は、三日目に復活する。
この十字架と復活のイエスへの信仰が恵みによって与えられ、御父に赦されたことを実感する。
御父には、罪を罪のままとする権限もあれば、罪を赦す権限もある。恵みとは後者に預かることを指す。
だから大切なことは、この全能の御父に、恵みによって罪赦していただいたことだ。
アダム以来断絶していた創造主と、和解できたのである。
私たちがアダムの肉を未だ持っているにも拘わらず、だ。
そのアダムの肉を持つ私たちは、誰かを赦すとすれば、赦すだけの根拠がなくてはなかなか腹の底からは赦すことができない。赦さないのは簡単だが、いずれにせよ、私たちは御父から罪の赦しを全権委任されるほどに、御父から認められているのである。
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