キリストにある原理

 「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」(ローマ8:1-2)

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 「キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理」。
 キリストの十字架の死と復活を信じる信仰が、この「いのちの御霊の原理」をもたらす。
 この原理は、信じる以前の原理であった「罪と死の原理」の対極にあるものである。
 アダムの肉をまとった人間は、その肉ゆえに「罪と死の原理」によって動かざるを得ない状況に置かれている。
 そうであったのが「いのちの御霊の原理」によって動くようになったこの切り替わりは、キリストの復活こそがもたらしたものである。
 この切り替わりが生じてキリストにある原理によって動く人は、罪に定められることはない。
 その切り替わりは、ただ神の恵みによってのみ機会を授かる類のものである。

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