偽善者たち

 「偽善者たち。イザヤはあなたがたについて預言しているが、まさにそのとおりです。
 『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。
 彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』」(マタイ15:7-9))

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 律法をひとりよがりに変形させたものをイエスに押しつけたパリサイ人に対する、イエスのこたえ。

 ところで、イエスは結構口が悪い。上の「偽善者たち」にせよ、「あなたがたは、悪い者ではあっても」(マタイ7:11)など。
 なぜイエスは、私たちをそのように呼ぶのだろうか。
 それは端的に、私たちが偽善者であり悪い者だからだ。
 偽善者を偽善者と呼び、悪い者を悪い者と呼んでいる。
 そうしないと、私たちが神の律法に反した存在であることを気付くことができないのだ。
 「この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている」からこそ、救いが必要なのだ。
 だから、イエスが口が悪いというよりは、むしろ親心に近い。

 もう一度書くと、私たちの心は、御父からあまりに遠く離れている。
 偽善者とは、善を偽る者のことであり、自分では善を行っているつもりだが、そんなことは善でもなんでもない、そういう人々のことだ。上のパリサイ人のように、自分は義だと信じて疑いもしない。
 しかし、善悪の基準もまた御父にあるのであり、私たちがひとりよがりに決めることではない。
 大切なことは、神の国とその救いなのであり、これだけが善である。

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