イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
希望
「そのころ、バプテスマのヨハネが現われ、ユダヤの荒野で教えを宣べて、言った。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ3:1-2)
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聖書を読もう。
ふと、そう思い立った。
新約聖書のはじめ、マタイの福音書、それをはじめから読んでみる。
で、上の箇所に当たった。
なんたって、上の声に応じて、その人だかりの程ったらない。
エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々(同3:5)
なんと! パリサイ人にサドカイ人まで! (同3:7)
聖書図鑑の類はぜーんぶカイカクしちゃったので調べようがないんですが、この頃のイスラエル人の歴史って、それはそれは惨めなものだったように覚えている。
10年くらいしか保たなかったんじゃなかったっけ、独立国家。
ここいら100年か200年てのは。
で、ヘロデ王の傀儡政権があって(ルカ19:12に、当時の世相がありますね)。
それを思うと、「天の御国が近づいた」ってのは、もう、希望にあふれた特大ニュースだったのでは、と、思いめぐらす。
で、当時特権階級のだったサドカイ人までが、こんにちは。
イエス様も、仰る、その第一声。
「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(同4:17)
なんという希望に満ちたお言葉なのだろうか!
こんなビッグニュースを伝えてくれて、…ありがとう。
でも、……ちょっと「ガクモン」しだしちゃったら……、その、なんという、つまらないこと、 "metanoia " 。
小理屈の類ではなかろうに、 "metanoia " 。
僕も、ちっともわかんない。
でも、希望に満ちたビッグニュースであること自体に、変わりはない。
全くもって我田引水の解釈、施すならば、「希望の日が『近づいたから』、しゃんと背筋、伸ばせよな」、そのようなものかと、勝手に思う。
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聖書を読もう。
ふと、そう思い立った。
新約聖書のはじめ、マタイの福音書、それをはじめから読んでみる。
で、上の箇所に当たった。
なんたって、上の声に応じて、その人だかりの程ったらない。
エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々(同3:5)
なんと! パリサイ人にサドカイ人まで! (同3:7)
聖書図鑑の類はぜーんぶカイカクしちゃったので調べようがないんですが、この頃のイスラエル人の歴史って、それはそれは惨めなものだったように覚えている。
10年くらいしか保たなかったんじゃなかったっけ、独立国家。
ここいら100年か200年てのは。
で、ヘロデ王の傀儡政権があって(ルカ19:12に、当時の世相がありますね)。
それを思うと、「天の御国が近づいた」ってのは、もう、希望にあふれた特大ニュースだったのでは、と、思いめぐらす。
で、当時特権階級のだったサドカイ人までが、こんにちは。
イエス様も、仰る、その第一声。
「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(同4:17)
なんという希望に満ちたお言葉なのだろうか!
こんなビッグニュースを伝えてくれて、…ありがとう。
でも、……ちょっと「ガクモン」しだしちゃったら……、その、なんという、つまらないこと、 "metanoia " 。
小理屈の類ではなかろうに、 "metanoia " 。
僕も、ちっともわかんない。
でも、希望に満ちたビッグニュースであること自体に、変わりはない。
全くもって我田引水の解釈、施すならば、「希望の日が『近づいたから』、しゃんと背筋、伸ばせよな」、そのようなものかと、勝手に思う。
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