WALKER’S 

歩く男の日日

35日目=我拝師山を仰いで

2016-05-30 | 16年四国の旅

 14時51分、総本山善通寺に到着しました。宿坊いろは会館に入ったのはお参りを終えた15時06分でした。お遍路さんの宿泊は8人、うち一人が外国の人です。
 当初は朝食を断って5時に宿を出て善通寺のあとは電車で金比羅さんに行く計画だったのですが、予約の時に夕食だけと言うのを忘れてしまい、結局金比羅さんはなしにしたのですが、それが大正解でした。青空屋の朝食、とくに鮭が最高に美味い。ぼくはこんなに旨い鮭を食べた記憶がありません。熱々でしっとり、脂も甘くしっかりした味、これさえあれば他のおかずはなにもいらない。それくらいの衝撃でした。朝食が凄いのは先ず磯屋、そしてうまめの木、かがみ宿と続きますが、そこに青空屋が入ってきた。金比羅さんはまた行くこともできるけれど、青空屋にまた泊まることはないかもしれない、そのことが残念すぎて宿をあとにするのが悪いことをしているような妙な錯覚さえ覚えました。ぜひ多くの人にこの宿を味わってほしい。岡田からでもいい、三島からでもいい、土居からはやめた方がいい、とにか
く自分が歩ける範囲でできるだけ多くの人がこの素晴らしい遍路宿を利用することを願うばかりです。
 大興寺から観音寺まではいつもと違ってものすごく気持ち良く歩けました。朝早いうえに日曜日、車がほとんど通りません。そのせいかどうか、かなりいいタイムが出てしまいました。足の痛みは全くないし動きもなめらかで朝歩いたベストより1分早い。
 観音寺の境内では銭型へ行きたい人がいたので薬師堂への石段を登るよう教えてあげました。日曜日とあって車で巡る人達が次々やって来ます。歩きの人は一人だけ、観音寺に泊まった人達はもう本山寺を出た頃かもしれません。朝の霧がすごくて天気もこれから悪くなっていくので9時を過ぎても一向に冴えません。もちろん雲辺寺山の姿も見えません。本山寺が近くなっても五重塔の姿が全然見えません。不思議なこともあるとよく見れば、覆いがかけられて改修工事中でした。少し残念だけどこれもまたとない風景。山門が目の前になったとき向こ
うでどちらに行こうか迷っている人が見えたので大声で左ですよ、と指示、普段なら滅多に出さない。お遍路さんだからできる。気がついて、有難うと返してくれました。この人には後で追い付いたときあらためてお礼を言ってもらいました。65番からの区切りで今日はゆっくり弥谷温泉まで、善通寺まで行く人にはまだ追い付きません。
 弥谷寺までは何とかベストタイ、本山寺までもそうでした。俳句茶屋の前で白い顎髭を蓄えた人がザックを横に休憩中、この人は宿坊に違いありません。やっと13㎞前の人に追い付きました。弥谷寺に着いたのは12時18分でした。弥谷寺もかなりの人で賑わっていましたが歩きの人は見掛けませんでした。山門を出たのは12時50分、溜め池のほとりで髭の人を追い抜き国道を横断する交差点でも遍路小屋で休んでいた男性を追い抜きます、この人はぼくが我拝師山を撮影しているときに追い付いてきて話を 聞くとやはり宿坊だということでした。曼荼羅寺まではベストを少しだけ上回りました。境内にはまた初めて見る歩きの人がいました。この人とは先の3つの札所でもいっしょだったのですが話しはしませんでした。出釈迦寺まではベストタイ、次の甲山寺まではまたもベストを1分上回る、1日に3回もベストを更新するなど今まで考えられないことでした。甲山寺では弥谷寺でも見掛けた小柄な外国人女性がいました。横に大きなザックが、やはり歩きでした。弥谷寺ではザックを持っていなかったので判断がつきませんでした。山門を出たところで曼荼羅寺で見掛けた男性と二言三言、彼は英語がペラペラ、前にもどこかで会っていたのでしょう。二人を残しぼくは最後の善通寺へ勇んで向かう、ここが1日の最後になることなど今までなかったから変な感じです。動きは衰えずベストタイ、すべての区間でベストタイ以上の元気な1日でした。
 大浴場ではぼくは1時間近くのんびりしていたのでリレーのように3人の人としっかり話ができました。2番目に話したのは曼荼羅寺の手前で会った人、88番から1番へ戻るべきか相談されて、いろいろ話すうちにいい答えにたどり着いて感謝されました。3人目は英語ペラペラのかっこいい人、顔もちょっと日本人離れしている。明日は国分寺までいくけれど、その近くの3つの宿がいずれも良くないとさんざん聞かされたので高松まで電車に乗って駅前のホテルに予約を入れた。賢明です。お風呂の中でこうして話すのも初めてのこと、いい体験でした。夕食のときは団体さんがうるさくてお遍路さんたちはあ
まりお話が出来ません。お風呂の中でしておいてよかった、と早々に食堂をあとにするのでした。