サムイズダート・ロシア

めざせロシア式菜園生活!ダーチャごっことロシア&北海道のお話あれこれ

ロシア料理と大阪万博のゆうべ

2009-02-14 | ロシア料理とその仲間たち
またまたS先生が腕によりをかけてくれちゃいました。
今度はなんとロシア料理フルコース~!

事の発端は1週間ほど前にさかのぼる。
プロコフィエフ単行本の挿絵家探しに決着をつけるべく、
かねてから根回ししていた友人R嬢の絵をS先生についに紹介。
じつは、紹介も何も、出版社とはもう話をつけてしまったので
ここでNGを出されてなるまじ!とR嬢の大アピールを展開したのだが、
わがロシア語では微調整がきかず、話はどんどん大げさになり、
S先生の関心を過剰にひきつけてしまったらしい。
「私…その方をお招きしてロシア料理をご馳走したいわ。
そうだそうしましょ!予定を聞いておいてちょうだい!」
…というわけで、急きょロシア料理のゆうべとあいなったのだ。

豚足と牛肉を煮込んだロシアふう煮こごり、つけあわせはなぜか梅干。
そして絶品のブリヌイ&キノコのサワークリーム煮、
さらに、写真には写ってないが具だくさんのボルシチを経て、
出た!メインはアヒルの丸焼きだっ!

いつも食え食え攻撃の集中砲火を受けているので
同席のUさんと共に食べる前から戦々恐々としていたのだが、
本日は主役R嬢を迎え、歓談に花を咲かせながらの3時間余。
「おいしいです~」と次々完食するR嬢にS先生の気が向いてるうちに
ワインで胃袋をリセットしつつ、マイペースで食べられたおかげで
大量と思われたフルコースもいつのまにやら腹のなか。

そして話はいつしか、1970年大阪万博のソ連パビリオン裏話に…。
コンパニオンはどのようにして選ばれたのでしょう?希望して審査を受けたのでしょうか?と尋ねてみると、「とんでもない!当時はソ連時代ですから“任命”されたんです!」と胸をはるS先生。その栄えある名誉にあやかったのは、モスクワ大学の日本語科学生8名のうち5名。ちなみにはじかれた3名は、ユダヤ人、既婚者、日本共産党の通訳でトラブルを起こした学生だったそう。なにしろ時代が時代。コンパニオン候補者たちは、KGBの面接を受け、「ソ連邦を代表するにふさわしい学生」とのお墨つきを得て、休学扱いで来日したのだという。

とはいえ、若い学生たちのこと。ミニスカートの制服を自分たちで選んだり、ソ連パビリオン施工担当、T工務店のGさんがすてき~!と嬌声をあげたり、ひとりずつ車に乗せられてパレードしたり…と、エリートの青春を謳歌。ただでさえ大阪万博最長蛇、5時間待ちの人気パビリオンであったうえ、「共産国からの使者」への好奇も手伝ったのだろう。コンパニオンたちはマスコミの取材を多々受け、「ソ連のお嬢さん、大阪弁に四苦八苦」などと新聞に書かれたそうだ。

ソ連がアメリカと拮抗する紛れもない超大国だったころ、
日本がまだローカルな小国だったころの、今だから言える逸話の数々。
万博体験者には、聞けどもあきない裏話である。
そのお話、ぜひ研究会で発表してください!とリクエストすると、
「来年は大阪万博40年の集いがあるからそのときにね」とS先生。
「…よ、よんじゅうねん!!」
R嬢と思わず顔を見合わせ絶句した。光陰矢のごとし。
Comments (2)
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