サムイズダート・ロシア

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三つのオレンジ

2008-06-29 | プロコ日記裏話
過日、来日ロシア人研究会でN.Sさんに久方ぶりにお会いし、
プロコフィエフ財団発行の「three ORANGES journal」15号を頂戴す。
この号の特集はズバリ「日本におけるプロコフィエフ」。
N.Sさんはこの号に、プロコフィエフが日本滞在時に親交をもった
数少ない日本の知識人、大田黒元雄と徳川頼貞について
英語論文を寄稿されたのであるが、そのなかにもっともな指摘がある。
大田黒の日記には頻繁にプロコフィエフとの出会いが出てくるのに、
プロコの日記では大田黒の記述はきわめてそっけなく、
それに比べて作曲を依頼してきた徳川氏は頻繁に登場する…と。
何度も家を訪ねて、より親密に会話を交わしたのは大田黒なのに、
徳川氏の依頼(=ギャラ)にまつわる話のほうが露骨に多いのは、
それほどアメリカ行きの旅費に切実に困っていた心中が
日記という超個人的なメモに反映された結果であろうか。
なんとも正直な人である。

それにしてもプロコフィエフの日本滞在日記は、
往時の日本を知りたいと思う者にとっては肩透かしの連続。
「作曲家になっていなかったら作家になった」と本人は書いてるが、
少なくともジャーナリスティックな視点は皆無の人だ。
せっかく大正時代の日本にきてるのに、突っ込みが足りん!
ここはどこなんだ! それはなんなんだ!
…と編集者なら確実にダメ出しをするであろうほどに
情景描写が極端に少なく、あっても中途半端であっさり終わる。
ひたすら自分が何をし、何を思い、何をすべきかに焦点が置かれ、
訳してるときは、あ~この人って自分しか関心ないんだ~
と天才のオレ様ぶりに正直呆れ果てたもの。
でも、大田黒日記に登場する彼は、いかにもロシア人的な
鷹揚さや茶目っけや人間くささを感じさせる27歳の若者なのだ。
日記をクロスさせて読むと、他者から見たその人のありようと、
本人のセルフイメージのギャップが見えて面白い。
そして恐らく、その両方が共に真実なんだろう。
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