サムイズダート・ロシア

めざせロシア式菜園生活!ダーチャごっことロシア&北海道のお話あれこれ

「ある」ものはいらない

2007-02-17 | ロシアコラム
プロコ日記の行く末をめぐる出版社とのやりとりを、S先生に報告。
今ある素材だけでは弱い(=売れない)ので、例えば
大正期の日本の音楽事情がわかるような解説をつけては……
との出版社側からの提案をお伝えすると、たちまちご立腹。
「どうして!? そんなのほかの本に書いてあるでしょ!?
その本を読めばいいじゃない!」

うーん、そういうことじゃなくて~。
「欄外脚注の面白さで読ませる」という文化は、
どうやら日本特有のもののようで、説明しても理解されそうにない。

そういえば過日もS先生が、さかんに首をかしげていた。
知人のK先生がドストエフスキーの新訳を出す意味がわからない、
というのである。
「だってもう翻訳があるじゃない!なのになぜまた出すの!?」

それで思い出したことには、S先生の息子のP君は、
私がロシア語のテキストを日本語に訳してノートに書いていたら
「ロシア語はロシア語のまま理解するものであって
自分で翻訳する必要はない。図書館で本を借りてきて
プロの翻訳家が訳した文章を読めばいい」とのたまっていた。

つまり、先人の偉大なる仕事は「絶対」であり、
若輩者が同じようなことをする必要はない、という考え方である。
自分なりの表現やアレンジを施すことに面白さがあるのに、
彼らにとってそれはどうやら「ムダ」なことらしい。
これじゃいつまで語り合っても平行線だわ。
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